「柞原の西行三本松」

 
西行が白峰の崇徳天皇陵にお参りして崇徳天皇の御霊をお慰めして、善通寺へ参拝する途中に、現在の丸亀市柞原町にある丸い石を見つけて、そこに3本の松の苗を植えた、となっている。

丸亀市柞原の高幢神社


高幢神社の本殿


境内の一画に西行三本松の株を保存したお堂が建っている。


西行三本松の枯株


由来の説明板

(現在はこの説明紙の下の方の文字が消えかけているので、「番外霊場香川その2」と画像合成させて頂きました。)

村人が「昔この地は住吉大神をお祀りしてあった所」と答えると、西行法師が「(御神体であった)この石は本朝和歌の太祖である」と申されたとのことである。

そこで、住吉大社のホームページを見ると、

「和歌の神さま」として、
古来より住吉大社は白砂青松の風光明媚なところから、万葉集や古今和歌集などの歌集に数多く歌が詠まれております。
特に平安時代からは、歌道を志して参拝する人々も少なからず、献詠もまた数知れぬという有様でした。境内にはたくさんの歌碑・句碑が奉納されています。

和歌の名人である西行も当然住吉大社にもお参りしているであろうから、「住吉大神を祀った跡」と聞いて、大変敬虔な気持ちになり、松の苗を植えたのであろう。

住吉大神とは、古事記に書かれている、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)であるが、
前述の住吉大社のホームページによれば、

住吉大社の御鎮座の由緒は、第十四代仲哀天皇の妃である神功皇后 (じんぐうこうごう) の新羅遠征(三韓遠征)と深い関わりを持っております。

とある。

神功皇后は息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)のことであるが、高幢神社の主祭神は
 息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)
 武内宿祢命(たけのうちすくねのみこと)
 底筒男命(そこつつおのみこと)・中筒男命(なかつつおのみこと)・表筒男命(うわつつおのみこと)
となっているようである。住吉大社とは主祭神が逆になっており、高幢神社の本殿も女神の造り(千木の切り口が水平、鰹木が偶数)となっている。

仲多度郡史」(S47.11.25, 香川県仲多度郡 編)の記述をご紹介しておくと、
 





西行庵 正面  全景  内部  江戸時代の記録  歌碑  山家集  生木大明神  滞在期間

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