「法然上人と蛇石」
蛇(じゃ)石の口の中に祀られている法然上人の歌碑 (昭和13年頃の建立)
うまく撮れませんが、
「さむくとも秘かに いれよ 西の風 弥陀の国より 吹と思へば」
でしょうか。
歌の2行目以降は読みに間違いはなかろう。問題は最初の行である。
拓本を採ってみたので下に示す。地元の冊子では「秘かに」と読んでいるが、「袂に」であろう。
ところで、法然上人の弟子の親鸞聖人が作った歌に、
「寒くとも 袂に入れよ 西の風 弥陀の国より 吹くと思えば」
というのがある。
「枕石寺伝」によると、建暦2年(1212)布教中の親鸞が二人の弟子と共に常陸を通りかかったとき、吹雪になり日野左衛門頼秋という武家を訪ね、一夜の宿を請うた。頼秋は「仏道を修行する者が雪や寒さを苦にして安楽に宿をとるとは何事か」と断った。
親鸞聖人たちは石を枕に雪中で休まれた。その夜、頼秋は夢の中で千手観音のお告げを受け、外に出てみると石を枕に念仏する聖人の姿を見て改心、聖人の教えを受けて帰依し、自分の邸宅を寺として「枕石寺」を創建したとある。雪中で休まれた親鸞が詠まれたのが上記の歌である。
そう思ってこの拓本をみると、1行目の下から2文字目の右半分は明らかに「秘」のくずし字ではない。「袂」のくずし字とも少し違うようだが、「夬」の下半分のくずし字には見える。
話変わって、まんのう町宮田に法然堂があり、ここでは、「寒くとも 袂に入れよ 西の風・・・」の歌は法然によって讃岐で作られた、としているようだ。
また、善通寺五重塔の南側には法然上人逆修塔があり、ここにも「寒くとも 袂に入れよ」の歌が刻まれている。
蛇石 蛇石
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