初午について

2月の最初の午の日は、初午の日でした。

現在の伝統行事は旧暦のまま行う物と、と新暦の月と日に旧暦の日や干支をそのまま移して行うものが混在しています。この為江戸時代には盛んだった行事が、前後の行事や日程の関係で、明治以降すたれて来たものも多いのです。

暦の事はこちらに少し詳しく書いているのだけれど旧暦で黄道24節気での行事は基本的にそのまま行い「何月のいつ」となっていた物の殆どは現在の暦の月に移ったので、季節感が合わなかったりもします。

初午はその一つで、今ではあまり馴染みのないお祭りだったりしますが江戸時代にはとても盛んな行事でした。

旧暦では、ちょうど啓蟄の前後で春を身近に感じるお祭りでしたしなにより、庶民に最も身近で、社の数も多かった稲荷様のお祭りだったのです。本来は旧暦2月、最初の午の日なので今年(2000年)は3月13日にあたります。

ご存知の様にお稲荷様は言葉はちょっと悪いのですが「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と江戸に多いもの例えとして使われるほど町の暮らしには馴染み深いものでした。その社祭が初午なので、江戸を挙げてのお祭りという雰囲気さへあったようです。

長屋でさへ入り口に幟を立て、武者絵を画いた大行灯をつるし家々では地口絵灯篭を掲げたようです。

「地口」って言うのは、今で言えば「駄洒落」って言うか「おやじギャグ」と言うかそんな感じの言葉遊びでそれぞれが、粋な文句を考え、それを絵にして灯篭を作りそれを競い合ったと言われています。

子供たちが社の前で太鼓打って踊り大身の武家も、お稲荷様を奉っている屋敷ではこの日ばかりは門を開いて市井の人々を招き入れ酒食を振る舞って、踊りに興じたとの記録も多々見受けられます。

お稲荷様は家内鎮守であると同時にその頃の大病であった痘瘡の平癒神として奉られていました。この為、どこのお稲荷様へお参りすると痘瘡にかからなかったなどという噂が立ち、翌年からはその社が押すな押すなの混雑になったとの記録もあったりします。

暦が変わってから、2月の11日迄ではまだ冬の真っ盛りですし、粋な地口を競うような雰囲気も薄れ種痘が一般化して、祭り自体が行われなくなっていきました。

現在も大きな稲荷神社では初午が行われてはいますが、江戸の人々が楽しんでいた初午からはちょっと遠いものになっていたりします。

今でもこの行事があれば「おやじギャク」がお得意なおとぅさん達は町のスターだったかも知れませんね。

江戸のつれづれ
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