第15話


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問題を抱えたまま1学期も中頃まできてしまいました。その頃には、成績もどんどん落ちてしまっていましたね。その時点で、自分でも別な道を探した方がいいだろうという結論に落ち着きかかってきました。今の状況で、もう一度モチベーションを高め直すことに、無理を感じていたし、別な道で気分一新スタートし直したかっていうのもありました。その為に、どのような道を探ればいいのか、学部の方に色々聞きに行きました。前までは漠然と思っていた日本語を教えるというのを真剣に考えていました。今のコースのままでは、どちらにせよ、全くといっていいほどしか、外国語科目についての学習はできなかったし、このコースでは、中高で日本語を教えることもできないので、そのあたりの情報を集めて回りました。その結果大学を変えるという結論に落ち着きました。
それでも、1学期の途中で止めるという決心が付かず、せめて年の最後までこのコースに残り、年明けすぐに学校を変えようと思っていました。というのも、少しでも単位を取っておけば、転校した時に単位を生かせるであろうし、また親に対して何と言っていいのか分からなかったと言うのもありました。 ところが、そのような甘い状況ではなかった事を、一学期の終わりに思い知らされます。成績が不振のために、学部に呼び出されることになりました。そこで、今までのいきさつを説明しながらも、ここで止めたくないということから、一生懸命弁明しました。しかし、いくら言葉を並べてみたところで、成績という数字は出ているのであり、弁明の余地はありませんでしたね。そして、大学を退学することになりました。
この時点では、また来年に違う大学に、日本語を教えられるコースに入ろうとずっと考えていました。そして、それまでの半年間をリフレッシュの為の期間にあてようと考えていました。少し肩の荷がおりた感じで、また、悩みから開放された感じで気分的には楽になっていました。ところが、それも数週間ほどで終わりました。移民局からの出頭の要請書が届きました。
移民局に行って話しを聞いてみると、大学を退学した事により、学生ビザがキャンセルされてしまう事になったのです。そして、出国までの猶予期間は1ヵ月。その上に言われたことは、向こう3年の入国禁止。一瞬にして前が暗闇になるというのがこの事かと思いましたね。1ヵ月以内にはこの国を出て、来年にやろうと思っていたことも全部消えてしまいました。
なによりも辛かったのは、親に電話をした時ですね。私の事を期待して、そして信じてくれていた親を裏切ってしまったっていう気持ちでいっぱいでした。電話で話したときも、ぼろぼろと涙が出てきてしまいました。それでも、親は帰っておいでとそっと言ってくれました。それにどれだけ救われたことか。それから、帰るまでの期間は私にとって辛いものになりましたね。特に何かをしたという記憶もないですね。彼が色々と私の事を外に連れ出してはくれましたけど、ほとんど家にいたと思います。そして、この先どうしようかということに途方にくれていました。実際に、日本に帰って自分は何を目指したらいいのだろうか、また学校に入って勉強するのだろうか、それとも就職した方がいいのだろうか、そういう事をずっと考えていた気がしますね。その憂鬱な気持ちのままで、あっという間に時間が流れ、帰国する日が来てしまいました。




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