絵本編 ページ 1
図書館などで借りたものも入っていますので、記憶が頼り。
あやふやな記述があるかもしれませんが、そこはまあ
ご紹介ということで、お許しを。(揉み手、揉み手)

 「あなたの好きな言葉を5つあげてください。そして、その理由も」
 「〈あなた〉〈好きな〉〈言葉〉〈5つ〉〈そして〉
 理由は、いま目の前にあるから」
 ——谷川俊太郎
 (高橋源一郎『ぼくがしまうま語をしゃべった頃』)


 バムとケロのにちようび  島田ゆか:作、絵  文溪堂
 ちょっとセピアがかった、独特の絵柄がたのしい。バムとケロの、凸凹コンビも、子どもには大人気!
 私は最初、とっつきが悪かったけど、娘はすんなり「おもしろ〜い!」と飛びついた。
 子どもと大人の感性の差なのか、単なる娘と私の嗜好の違いなのか。でも、なんどもページを開くうちに、カワイイと思うようになったから不思議。

 やっぱり、私の感性が、摩耗しかけているのかな。

(12/'99)


 むかしのこども  五味太郎:作、絵  ブロンズ新社

 「むかしのこどもは○○でした」と、はじまる、それぞれの事柄が、とっても皮肉が効いていて、おもしろい。(呑気に面白がっていては、いけないのかもしれないけど)

 近ごろの“教育の崩壊”だとか、“子どもの置かれた状況の過酷さ”を、ノスタルジックに語る人がいるけれど、私は反対。郷愁だけで、昔と今の社会のありかたを、比べてほしくない、と思う。

 では、昔の状態に戻せばいいのか?
 可能性としても無理。
 それよりも、“昔の日本”が、それほどスバラシイ、理想的な社会だったか、といえば、答えはノーではないの。
 たしかに、失われたものも多いんだろう、とは思う。得たものが、それと引き替えになるほど価値のあるものかといえば、そうではないものも多い、のかもしれない。

 それでも、私は“昔”に生まれたいとは思わない。
 よほどの地位の高さか、財産の豊富さか、とにかく文字どおり中流の家庭に生まれる可能性があるならば、と条件付きなら、OKしてもいい。けれど、市井の、一般大衆の、それも女なんて、絶対に生まれたくない!

 それにしても。帯にもあるけれど「それは、まだ、きみが“むかしのこども”だからですよ」という言葉は、まさに現在の状況をあらわしていて、ちょいとカナシイ。

 ——と書いてきて、やっぱりこの本は〈大人の絵本〉だね、ってことに気がついた。
 娘は、「退屈〜」と、わめいていたもの。
 まあ、しかたがないよね。8歳の子どもにとって、絵本は明るくたのしく、ぎゃはは、と笑って読めるようなもの、のはずだから。

 この皮肉がわかるようになるころには——あんまり、わかってほしくないな。逆説的な意味で。

(12/'99)


 きいろいバケツ

 新聞に「読み聞かせ 親子リレー」なる方法が載っていて、私たちは驚喜! だってこれ、なっちゃんが幼稚園のころからやってるよね〜って。(自慢話?)
 ようするに、親だけが読んで聞かせるのでなしに、子どもにも読んでもらおう、ってこと。1ページずつ、と決めてもいいし、改行をはさんでブロックごとでもいい。親がたくさん読んで、子どもはちょっぴり、またはその反対でもいい。自分たちのやりやすいようにルールを決めて——べつに決めなくてもいいけど——やってみよう。

 これは子どもが大きくなって、「読み聞かせをやめた方がいいのか」「続けた方がいいのか」という親御さんたちから出された質問に対しての答え、だそうだ。子どもが自分で読めるようになったら、もういいかな、と思う。面倒くさいなぁ、という気持ちも湧いてくる。
 でも、「読み聞かせ」は、ある程度子どもが大きくなっても有効、だそうだ。有効、なんて書くと薬の効能みたいでイヤだが、大きくなったから、とわざわざやめることでもない、という意味。

 うちでは、この「きいろいバケツ」が、“読み聞かせ・親子リレー”のお初だった。それも、新聞記事を読んでいて思いだしたことだけれど。
 といっても、誤解なきよう。これは、さんざん親がひとりで「読み聞かせ」をさせられてから、さらに「親子リレー」に突入した、という背景がある。
 「も一回読んで」「もう一回」「ねえ、もっと」
 日をおいていわれることもあったし、その日に何度も請求されることもあった。(嗚呼、親の苦労。私も結構、頑張ってきてんじゃないの) しまいに疲れて、「もー、舌が動かない」といったら、ある日「じゃあ、なっちゃんが読むね」といって、もうすっかり頭に入ってしまっている物語を、「読むのでなく思いだして字面を追って」いったのである。

 あー、ここまでたどり着くのに、何行かかったこと。
 この本は活字も大きいし、全部をあっという間に読めちゃうからいいよ〜。子どもがひとりで読んでも、あまり負担にならないしね。
 というわけで、オススメの1冊でございました。チャンチャン。(^_^;)

(09/99)

 みけねこレストラン 竹下文子:作 鈴木まもる:絵  偕成社

 おとなりのでぶねこ、“すみれ”チャンは、いつも窓の内側で、どてっと昼寝。いつも、上等のお肉、新鮮なおさしみを食べていて、人間よりぜいたく。そりゃ、太るわな——と“ぼく”。
 でも、ある日、すみれが家出して、探しに行くと……? ぼくはすみれに命令されて、池に映った雲を、虫取り網でせっせとすくうハメになって。すみれはそれを材料に、レストランを開く、というのです。

 リズミカルな文体が、気持ちいい。“ぼく”とねこの“すみれ”のやりとりが、オカシイ。
 幼年童話なので、あーっという間に読んでしまえます。この作者の作品は、いつも安心して子どもに与えられるので、ファンなんですよ。
(06/99)


 月刊クーヨン 落合恵子:監修 クレヨンハウス

 雑誌のオススメ、というのは、少々逸脱かな、とも思ったんですが……。
 それに、これはママさん向けだしね。
 でも、これはホントにいいですよ。「育児と育自のコミュニケーション・マガジン」と銘打たれただけあって、さすがの刺激的な内容。子どもだけでなく、女性を取り巻く問題点も毎号満載で、それだけ世の中は、女が生きやすいようにはできていないのだ、と思い知らされます。
 実は、最初、ちょっととっつきが悪く感じていたんです。というのも、あまりに正論、あまりに真っ正面から社会に切り込む、といった姿勢なので、少し斜めに見ていたんですね。本当は、彼女たちこそ“はみだしっ子”なのに、そして私も同じなのに、近寄るのが怖かった。まあ、人見知りの私の性格もあったのでしょうけど(?)
 でも、いざページをめくってみれば、すとんと胸に落ちる事柄ばかりで、いつの間にかファンになってしまいました。

 巷で流れるヒット・ソングの楽譜も載ってきます——もちろん、選曲にはクーヨン“らしさ”が漂ってますが——子どもが切って遊べる付録?もあって、なかなか盛りだくさん。
 育児、という文字を見ると、男性はなかなか手に取らないかもしれないけれど、これは是非! 男性に読んでほしいなあ。子育てなんか関係ない、と思ってる人たちも、すべてね。
 べつに親に限らず、私たちオトナは、この世の何もかもを次世代に手渡すために生きてるんだと思うから。
(06/99)


 ぼくの水たまりバケツ 作・絵:エリサ・クレヴェン 訳:たが きょうこ  徳間書店

 以前に紹介した「エルンスト」の続編です。今度は、エルンストのお兄ちゃんが登場! なかなか、いい味をだしてくれてます。
 “お兄ちゃんのソルは、ものを集めるのが好き。でも、エルンストは現実にあるものじゃなくって、もっと違うものを集めたい……”
 下記の「びっくりいろあそび」にも負けない、カラフルな色のお話が楽しい。とにかく絵がきれい。コラージュの技法で、布やら葉っぱやらが、自然に絵のなかに溶け込んでいるのが、とってもユニーク。またまた私たちは、夢中になってしまいました。イヤなことがあっても、彼らの世界に飛び込んでいけば、気分はカラフル。灰色のこころも、あっというまに明るく染め上げられてしまいそう。
 ラストには、“おいしい色”も待ってるしね。(^_-)-☆
(05/99)


  作:チャック・マーフィー

 しかけ絵本です。
 いろいろな“色”たちが、ページを開くたびに、びっくりさせてくれます。色のとびらを開けると——ほら!
 ネタバレになっちゃうので、これ以上書けないのが悔しい。でも、楽しいしかけがいっぱいですよ。
 他愛ないといえば他愛ないですが、オトナも充分に遊べますよ〜。(って、私だけか? 喜んでんのは)
(05/99)


 ふゆねこさん 作・絵:ハワード・ノッツ 訳:まつおかきょうこ 偕成社

 なっちゃんが小学校の図書室から借りてきました。
 ネコの本はふたりとも大好きなので、きゃっきゃといいながら開きました。
 訳本のせいなのか、語り口調は淡々としています。内容もです。寒い寒い地方のお話で、夏に生まれた野良猫の仔は、初めて経験する冬という季節に、ちょっとブルってます。
 そこへ現れた、子どもたち。
 オトナの私は、そこで少しドキドキするけれど——子どもたちがイタズラなどしないかどうか——なっちゃんは彼らに自分を投影して、一緒になって仔猫をかわいがろうとしているみたいです。読み方が違いますね。それでいいんですけど。
 あまりに淡々としていて、絵本としてこれで成り立つのか? とも思いましたが、さりげなくも味わい深い絵のおかげで、不覚にも涙してしまいました。
 当然なのだけれど、これがまた違う絵がついていたら、違った味わいがあったでしょうね。
 私なら、まず手に取らないでしょうこんな本を、選んできてくれたなっちゃんに感謝(?)
(05/99)

 スーホの白い馬 (モンゴル民話) 再話:大塚勇三 絵:赤羽末吉 福音館書店

 単純な私は、涙、涙、また涙。
 モンゴルの楽器、馬頭琴の創成話として語られています。
お話は、世界中によくあるものだけれど、舞台と状況が変わると、また違った魅力がありますね。
 草原で暮らすスーホという男の子が拾った白い子馬。ともに成長しておとなになったとき、狡い王様に白馬を取り上げられてしまいます。
 これ以上書くと掟破りだから……といっても、すでに結末はバレてるかも?

 それにしても、固い友情のお話を読むと、泣けてくるのは何故? 現実で、めったにこんなことってないから? だからこそ、お話の題材になって、人は貪り読むの?
 民話というのは、嘗てあったことを忘れないために、人々が語り継ぐ、というところもありますよね。このお話は、そういう意味で、馬頭琴を大切に、誇りに思う人々の精神をよく表していると思います。
 今でも、馬頭琴の弾き手を養成するために、子どもが小さいころから熱心に修練させるのだとか。そこには、たしかに大人から子どもへの“強制”があるわけだけれども、それを一切否定してしまっては、文化、伝統は廃れてしまいます。
 文字通り、血と涙を流しながら立派な弾き手になったとき、ではその子どもは、「これは押しつけだった」といって辞めるか?
 そうした子もいるかもしれない。けれど、一方で「やってきてよかった」と思う子もいることは事実。でなければ、これほど世界に様々な弾き手が出てゆくこともなかったでしょう。教えるおとなの側も、誇りと決意と信念とをちゃんと持っている、ということでもあるでしょうね。
 そして、そうしたときに、この物語が語られ、そうした精神をも同時に伝えたのではないでしょうか。
(参考:“なっちゃんの日記1年生篇”)


 みどりのゆび

 この本を知ったのは、萩尾望都のコミックスから。「みどりのゆび」を持つ男の子は、草や花、樹などを触って、生き返らせる力を持っているんです。
 そこから、「園芸の上手な人」を称して、「みどりのゆびを持ってる人」という言い方が出てきたんですね。
 いいなあ、こういうの。
 でも、読んだのはずいぶん昔のことで、図書館で見つけただけなので、どんな内容だったか、はっきり覚えていないんです。紹介者として失格ですが、ふと思い出して、懐かしくなって……。どなたかご存じの方がいらしたら、詳しく教えてもらえませんか? (それが目的で載せたんだったりして)
 私はどうも、花殻摘みすらすぐに面倒くさくなる方なので、とても「みどりのゆび」持ちとはいえませんね。でも、念願の「庭」ができたので、これからちょっとは励んでみようと思ってます。芝を植えて、ハーブの鉢をならべて……夢だけは、旺盛なんですけどね。
(03.99)


 おもちゃ屋へいったトムテ
 作:エルサ・ベスコフ 絵:ささめやゆき 訳:菱木晃子 福音館書店

 ベスコフは、書評を読んで興味を持ちました。ちょうど限定復刊! で出た「おりこうなアニカ」を買って読み、淡々としているけれど、心に浸みる物語に惹かれました。
 「ブルーベリーもりでのプッテのぼうけん」「もりのこびとたち」など、身近に出てくる自然の描写が魅力。
 これはそういったものとはちょっとニュアンスが違って、物語してますね。いたずらっ子のこびとの男の子が、お父さんのいうことを聞かずに、街へ行ってしまいます。そこがおもちゃ屋さんだったから、彼はトムテ人形に間違われて……。
(12/98)


 はらぺこあおむし 文と絵:エリック・カール 

 これも大人気! のエリック・カールの絵本ですね。子どもが赤ン坊のころから、「しかけ絵本」はあれこれ読んで(見て)きたけれど、この本の発想には、娘も大喜びでした。
 「美味しいもの」を次々に食べてゆくあおむし。半分羨ましそうに、指をくわえてみている娘。でも、アレレ?
 教訓臭さがなく、さらりとお話が進んでゆくのが、人気の秘密なんでしょうね。それと、とってもきれいで個性的な色使いとが。
(11/98)


 ぐりとぐら 文:中川李枝子 絵:山脇百合子 福音館書店

 これを忘れてはいけませんね。永遠のベストセラー、可愛いねずみの“ぐりとぐら”のお話第1弾です。散歩の途中で、タマゴを拾ったぐりとぐら。おうちからお鍋を持ってきて……。
 「えんそく」「かいすいよく」「おいしゃさま」など、いっぱい出ています。「おきゃくさま」はサンタクロースのお話。クリスマスにぴったりですね。
 今さらですけど、絵本というのは、本当に絵のイメージと文、内容が噛み合わさっていないと成り立たないものなんだなあ、と思います。
(11/98)

 ハムスター・まも日記 作、絵:おまたたかこ 小学館

 なっちゃんが小学校の図書室から借りてきた本。イラスト飼育日記、といったところ。ハムスターの絵がとってもリアルなんだけど、ハムスターそのものが、とっても可愛い。
 どんな動物でも、一匹一匹に特徴やクセがあり、とても個性的。そんな当たり前のことを、さりげない描写と説明で、見せてくれる。
 なっちゃんは今、ハムスターに夢中です。といっても、飼ってるわけじゃないけど。ペット・ショップでしか実物を見たことがないくせに、可愛い、可愛い、を連発してます。自分で面倒みられるようになったら、飼おうね、と言い聞かせました。 内容によると、ちょくちょくカゴから出して“お散歩”したりしてる。うーん、そこまでせにゃならんのか……。
(作者のHP→http://www.mamo.net/
(11/98)


 こぞうのブローくん 作:寺村輝夫 絵:(……は忘れた)  ポプラ社(……だと思う)

 これは、ママの思い出の本です。何せウン十年前のことですから、現存しているのかどうか……。でも、寺村輝夫さんはまだ現役みたいですね。細かいところまでは忘れてしまったけれど、主人公の女の子が描いた絵の子象、ブローくんが現実になって、夜の街へ一緒に出てゆく、というお話です。
 ブローくんの大きな耳のなかで、ブーンという音が響いて、彼はそれが気になって気になって治せる人を捜しに行くんですね。絵の雰囲気もあって、夜の幻想的な香りに酔いしれました。ぞくぞくわくわく……私の原初のセンス・オブ・ワンダーです。
(11/98)


 アイラのおとまり 作、絵:バーナード・ウエーバー 訳:まえざわあきえ 徳間書店

 アイラ、という名前と表紙の絵柄から、女の子の主人公を想像していたのだけれど、そうじゃなかった。(無知〜。そうだよね、アイラ・レヴィンというミステリー作家がいたっけ) 表紙の絵は、単に裾の長いガウンを着ていただけです。(^_^;)
 お隣の仲良しのところへ、“初めてのお泊まり”をしにいく男の子、アイラ。寝る前に何をしよう、ベッドに入ってから何を話そう。どきどき、わくわく。
 そんな風にい〜っぱい想像していったのに、お友だちはあっさりと寝ちゃった。あーあ。
 でも、そこからが、この本の楽しいところ。
 娘は、幼稚園の年長さんのときにこれを読み、ちょうど“お泊まり保育”があったこともあって、結構感情移入していたみたい。ママも、子どものころのときめきを思い出しました。
(11/98)


 フェリックスの手紙
・シリーズ  アネッテ・ランゲン 絵:コンスタンツァ・ドロープ  訳:栗栖カイ  

 はじめに手にしたのは、このシリーズの2巻、「小さなウサギの時間旅行」。
 ソフィーが大切にしているウサギのぬいぐるみ、フェリックス。学校の遠足で、一緒に博物館に行ったら、急にいなくなってしまった。家に帰ってからも心配でたまらないソフィーの元に、ある日手紙が届く。「ヘンなところに来ちゃった、ここでは馬にカンヅメのお化けが乗って走ってるんだよ」
 そう、彼はなぜか中世のヨーロッパに行ってしまった。他にも、バイキングの世界にお邪魔したりと、フェリックスはそのたびに手紙を書いてくる。彼は、日本にもやってくるんですよ!
 これは一種の“しかけ絵本”です。フェリックスの書いたとおぼしき、たどたどしい文字の手紙が、本当に本に挟んであるんです。だから、実際の本の中身よりも、読むところはいっぱいあって、得した気分!
 ソフト・ショップでCD−ROMも見つけました。まだ持っていなかった1巻「世界旅行」を買って、パソコンのモニター上で見ました。情報量の多さを利用して、世界の国々の解説などが入れてあり、本とは違った楽しさがあります。
 3巻まで出ていることは知っているけれど、あとはどうなのかな。3で終わり、かもしれませんけれど。今度、どこかのサイトで検索してみようっと。
(10/98)


 どろんこおそうじ  絵と文:さとうわきこ  福音館書店

 ちらかしやのこいぬとこねこは、“ばばばあちゃん”に「おそうじしなさい」といわれて、ほうきとぞうきんを持つ。おそうじなんて、簡単簡単、とはじめたのはいいけれど……。
 “ばばばあちゃん”の登場する作品のうちの1冊。ちっともお片づけをしない子どもには、頭から叱るだけでなしに、こんなやり方も──という“教訓”があるかどうかは別として(たぶん、ないと思うけど)、単純に楽しめる1冊。
 うちはいただきものの“カルタ”が、ばばばあちゃんとの出逢い。なかなか型破りな“ばばばあちゃん”が可愛くて、結局振りまわされているのは、周囲の方では、と思ってしまう。
(10/98)

 ちいさいおうち  絵と文:バージニア・りー・バートン 翻訳:石井桃子 岩崎書店

 風そよぐ原に建った、ささやかな若夫婦の家。はじめは樹木に取り囲まれ、季節ごとの花が咲き、小動物が訪れ……。
 でも、時が過ぎ去るうちに、ちいさいおうちの周囲は徐々に街へ、巨大なシティへと変貌してゆく。ちいさいおうちは見捨てられ、ひとりぼっちになって、古びてゆくだけ……。
 私自身は、これを「小学○年生」という雑誌で読んだ覚えがあります。ディズニーっぽい絵柄で、文章はかなり省略してあったんじゃないかな。本は、絵が入っているせいもるでしょうが、わりとページ数は多いです。でも、私の読んだのは、ペラペラ、ペラ、で終わったような気がするから。
 でも、時代が移り、周囲が変わり、人がゆとりをなくしてゆく変遷と、ちいさいおうちの悲しみは、充分味わっていたように思います。(このあたりは、子どものために文脈、文体を変えてもいいか? という命題と繋がりますね)
 アメリカという国は、まだまだ広大な自然も残っているし、都会は都会で私たちのイメージには、結構昔から都会のままだったような気もするし、でこれをアメリカの話として読んでいると、ちょっと不思議な気もするのですが、振り返ってみれば私たち自身が同じような体験をしてきたのだなあ、と気がつきました。
 私は名古屋の下町育ちで、どちらかといえば宅地が密集している場所にいたわけですが、それでも少し郊外の方へと歩けば、まだまだ田んぼや畑はいっぱい残っていました。
 用水にはふたがなくて、遊んでいて落っこちる子がいたり、人ン家の木に登ったり果実をとったりして叱られたりと、今でいう田舎の子めいたことばかりしてました。
 都会の片隅に長いあいだ眠っていた、ちいさいおうち。彼女はふたたび人のいい若夫婦のものになって、緑あふれる郊外へと移ってゆきますが、そこもまた“都会”になったら、どうするのでしょう。
 そんなことを考えさせられる一冊です。
(10/98) 


 サニーのおねがい 地雷ではなく花をください
  文:柳瀬房子 絵:葉 祥明  自由国民社

 地雷撤去キャンペーン絵本。ボランティアで刊行され、収益はすべて対人地雷の除去のために活用される、と奥付にありました。
 ユニセフ親善大使の、黒柳徹子さんの話が解説として載っていましたが、むごいですね。
 旧ユーゴスラビアを訪問した際、MINEと書かれた黄色いテープが張られており、そこは地雷を埋められている危険がある、という目印なのだそうです。
 ボスニア・ヘルツェゴビナには、推計300万個、旧ユーゴ全体では、1000万を越える地雷が埋められている、といいます。全部撤去するには、膨大な時間と費用がかかり、どこに埋められているのかもはっきりしないとか。農作物も作れない。子どもたちは遊び場を奪われて。
 卵形のチョコレートの中に、小さなおもちゃの入っている<キンダー・エッグ>というお菓子があり、それにそっくりな地雷までまかれている、といいます。あとは、アイスクリームの形をした地雷、ヘリコプターなどのおもちゃの形をした地雷などもある、と。
 くまのぬいぐるみに仕掛けられた爆弾で、5才の女の子が即死した、とも書かれていました。黒柳徹子さんがいわれるように、これらは最初から子どもたちをターゲットにしています。赦せない行為ですよね。こういう地雷を作ることを思いついた者は、人間ではない、と思います。
 不況、といいつつ、そこそこ幸せな生活がおくれる私たち、日本人。何かできることを考えようと思います。

難民を助ける会: http://www2.meshnet.or.jp/~aarjapan (本誌、奥付より抜粋しました)
(08/98)


 ネコとクラリネットふき  絵と文: 岡田淳  クレヨンハウス

 ある日、ドアの前にいたネコは、自分の家みたいに“ぼく”の部屋に入ってしまった。それからネコは、“ぼく”が吹くクラリネットの音を聴いて……。

 簡素な線で描かれた“絵”が楽しい。やはり、絵本は“絵”が重要ですね。ちょっと“ヒデヨシ”(アタゴオル物語)に似た顔のネコちゃんが、とてもいい味出してます。
 私も、ネコ好きが高じて、ネコが出てくるものを見ると、つい手にとってしまいます。うちは、この本のように、窓の外にネコちゃんがやってきます。
 でも、1匹だけじゃないんですよ。2匹の母猫が、それぞれ子どもを5〜6匹も連れてくるんです。片方の子ネコたちは、乳飲み子からようやくひとりでゴハンを食べられるようになったかな、といったサイズ。もう一方は、生まれて半年くらいで、いちばんやんちゃな時期。
 娘のアサガオ(もう枯れかけていますが)の鉢にじゃれて、何度も倒してしまったり、自転車のカバーに噛みついて、穴を開けてしまったり。やりたい放題です。
 話が横道にそれました。
 恥ずかしながら、クレヨンハウスの本は初めて手にしたのですが(よく行く書店には、これまで置いてなかった——これは、通販で購入しました)、装丁もしっかりしていて、好感が持てますね。長〜く付き合ってください、と本がいっているよう。
 ちなみに「月刊クーヨン」という雑誌も、最近とりはじめたのですが、これも面白い! 発想の転換というか、本当におとなから子どもまで楽しめる造りになっています。環境ホルモンとか、アダルト・チルドレンなど、考えさせられる話題もいっぱいです。
 あ、また話が横道にそれてしまった。
(08/98)


 エルンスト  リサ・クレヴェン  なぎ・ともこ訳 (リブロポート)

 某女性向けゲームの登場人物のようなタイトルだけれど、この本の主役はワニの男の子。
 好奇心満々のエルンストは、いつも「もしも……」って考えてる。
 「もしも、ぼくが小鳥だったら」
 「もしも、毎日がぼくの誕生日だったら」
 偶然にもこれを、娘の六歳の誕生日に購入したのだけれど、このお話は、エルンストが「毎日がお誕生日だったらなぁ」と考え込むところが、クライマックス。
 図書館で借りて、娘がとても気に入ってしまったので購入した一冊。とにかく絵がキレイ。点描のような技法で、絵の具がぎっしりと乗せてあるのが、心地良い。何度見ても飽きない。
 一枚一枚の絵に、額縁のように枠が描かれているのが、パッチワークで作られたもののようで楽しい。一時期、毎日のように読まされていたので、娘が内容をすっかり覚えてしまったほど。朗読するように、逆にそらで聞かせてくれた。
 子どもが惹かれるものって何だろう。あらためて、考えさせられる本。
(08/98)


 あおくんときいろちゃん レオ・レオーニ  藤田圭雄・訳 (至光社)

 子どもにいろいろ絵本は読ませて(見せて)来たけれど、こちらが思い入れて与えたものはこれが最初。
 昔、書店でバイトしたときに、買おうかどうしようか、と迷って、いいや、いつか子どもができたらその子に買ってあげよう、と決めた。その夢が叶って、本当に嬉しい。
 無造作に絵の具をぽと、ぽと、と置いたような絵柄が楽しい。ロングセラーということもあり、この本のファンは多いハズ。
 この本を題材に、エッセイを書いたことがある。読書に教訓をよみとるのは好きではないし、邪道だとさえ思うけれど、それでもあれこれ考えるのは悪いことではないだろう。この中に出てくる、「混じり合う色」がどういうことを指しているのか……。個性? 人種? あるいは親と子……? とても大切なことを感じさせてくれる。
(08/98)

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