わかガイドの口車には絶対のらない事。

バリを歩いていると、人懐こそうにカタコトの日本語を話すバリ人がいる。どこの国でもこうした傾向はあるのだが、日本人観光客は日本語を話す現地の人をすぐに信用してしまう帰来がある。スケジュールを訪ねられたりして、ガイドを引き受けようとしてくる。
そして多くは、後から車代やらガイド料など法外な料金を請求されてしまう。長年の親友ならいざ知らず、初めて会った人にガイドを頼むのは日本人ぐらいなものである。観光したければ、正規のガイドにお願いする事をお勧めする。

リは芸能の宝庫であり、ケチャとバロンダンスは観て帰りたいものである。

バリには実に様々な芸能があらゆる所で催されている。その中でもケチャ・ダンスとバロン・ダンスは観光客に人気が高く、バリの思い出の一つとしてしっかりと心に焼き付けて帰っていただきたい。
ケチャはデンパサールのアートセンターで毎晩6時30分から公演されている。バロン・ダンスはバリ中部のバトゥブランで朝9時30分から行われている。特にこのダンスではバリ独自のガムラン・サウンドも楽しむ事ができ、バリ観光のハイライトとして充実した一日を過ごすことができるだろう。
言い忘れたが、アートセンターでのケチャ・ダンス鑑賞には虫除けスプレーで予め防御しておく事をお忘れなく。ここの蚊は非常にたちが悪く、私も一年前に取材で行った時にイヤというほど蚊に刺され、今でもその跡が消えず困っている。

対策は万全に。バリの蚊を甘く見ると痛い目?いやかゆい思いをするぞ。

ウキウキ気分でバリに降り立つ人は多いだろう。昼間は殆ど気にしない蚊なんだが、夜になると憂鬱な存在となってくる。夜出かける前には必ず虫よけスプレーを露出する手足に吹き付けておこう。どんな一流のホテルに宿泊していても部屋に潜んでいる虫には悩まされる。気がつくと毎日のように体のどこかを刺されていることが多い。近くのスーパーマーケットに行けば、殺虫剤や蚊取り線香を売っているから、夜出かける前や就寝前には準備しておきたいところだ。私も以前ケチャダンス取材のためにデンパサールのアートセンターに行ったのだが、カメラを持っていたため両手がふさがっていて蚊に刺され放題だった。両足首に嫌と言うほど蚊に刺され、その跡が1年以上消えずその間ずーっとかゆくて悩まされたものだ。

じめてやられてしまった。マネーチェンジャーでのイカサマ両替。

2002年1月現在のレートは75前後。ホテルの近くのフィルム現像屋で1万円両替したんだが、見てる前で男が750000ルピアを見せ、再び男が自分の手の中に回収した。なんか変だなとは思ったが、、、、ホテルに戻りすぐに両替したルピアを数えたら、なーんと200000ルピア
足らなかった。「やられたー!まずい」と思い、ホテルのカウンターに行って説明した。その店で白を切ったら警察に連絡しろ!と言ったので、一目散に店に戻った。男はバイクで出かける寸前だった。「お前かもったろ!?」と言ったら、すぐに数えなおした。その手は震えていた。
結局、お金は返してくれた。しかし、何度も行っている私でもやられるんだ。みんな気をつけてくれ。

ンケートに注意しろ。最近、街中やレストラン、ビーチなどでアンケートをしているロイヤル
バリビーチクラブという会社がある。アンケートに正直に記入してしまうと、翌日「ホテル無料宿泊券当たりました」とホテルの部屋に電話があるようだ。この会社は数100万円単位のリゾート会員権を販売目的とする会社で、ホテル無料宿泊券はお客様を説明会に勧誘する手段。
安易に滞在ホテルや自分の名前を記入しないほうが良いでしょう。
おいしい話しには必ず裏があると思っていたほうが楽しいバリを満喫できますよ。

リはカップ麺の宝庫である。

ここ最近バリの街中にはサークルKもあったりするが、大きなスーパーマーケットに行くと、山と積まれたカップ麺がある。その中にニッシンのカップヌードルがあるが、日本で食べる味とは全く違う。はっきり言ってマズイ!試してみるといいだろう。しかしその周りにはインドネシア産や中国産のカップ麺が山と詰まれている。これが案外珍味でいけるのだ。ただどれをとっても香辛料がきつくてスパイシー。子供には少し無理があるかもしれない。カップヌードル以外はカップ内に折りたたみ式フォークが入っている。日本のようにレジで割り箸をもらえないので注意しよう。長期滞在者には助かること請け合いだ。

タスクエア周辺でツーリストにアンケートですと近寄ってくる男女がいるが・・・

アンケート調査をしているんですがぁー、と言って筆記用具を持って近づいてくる。名前と宿泊先のホテルを書かされ、あとからホテルに電話が入り「○△◇が当たりましたよ!」なんて言って人を喜ばせてくれる。がしかし、当たったと言っておきながら、あとから料金を請求してきたり、トラブルが後を絶たない。クタスクエア周辺はショッピンのメッカだから多くの人が集まってくるところ。周りでアンケートに答えている人を見ても、絶対に無視しよう。せっかくの楽しいバリ島旅行だ。トラブルには巻き込まれないようにしよう。

■ニョマンは、"3番目の子供"という意味の名前

僕はバリでニョマンという人たちにたくさん出会いました。洋服屋のニョマンちゃんでしょ、シーブリーズのニョマンさん、遊び人のニョマンくんにも。そのニョマンくんの妹の旦那の名前もニョマンくん...ポピーズのフロントマネージャーだってニョマンさんです。バリ人のほとんどはヒンドゥ教で、厳格ではないけれど階級分けされています。その階級によって名前のつけられ方も違うけれど、90%以上を占めるスードラ階級と呼ばれる平民階級の人たちが、僕たちがバリで出会う平均的なバリ人で、ワヤン、マデ、ニョマン、クトゥッという名前が付いています。

その名前は、何番目の...という意味でつけられています。1番目がワヤン、プトゥ、グデ。2番目がマデ、カデ、ヌガ。3番目がニョマン、コマン。4番目がクトゥッ。そして5番目からまたワヤン....というふうに。それ以上の人数なら繰り返しつけられていきます。今はバリヒンドゥ教以外に、モスリムやクリスチャン、ブディストも増えていますが、たいてい今でもそういう名前がついています。ついでに言うと、その名前の後にそれぞれ固有の名前が付きます。例えば洋服屋のニョマンちゃんのフルネームは、ニ・ニョマン・ケルティと言います。最初のニは女性を表し、男ならイとなるのです。ニョマンは3番目の子供という意味。そして、ケルティというのが固有名詞ということになります。苗字はありません。(苗字のように、おじいさんの名前を全員につける人たちもいます)

繰り返してつけていくわけですから、計算上ではワヤンがいちばん多いことになるのです。それなのになぜか僕の知り合いや友人には3番目のニョマンが多いのです。なぜだろうと考えました。たぶん、3番目あたりの子供が僕と気が合ったのかも知れません。そんな気がしました。今、デンパサール(これはバリの州都)に住んでいるような都会派の夫婦には、子供は二人までという人たちが多いようです。家も狭いし、忙しいし、どうしてもたくさんの子供をつくる環境が得られない。どこの国でも都会に住む人間は同じ悩みを抱えているようです。最近では村に暮らしている人もだんだんそうなってきているようですが、少なくとも僕らの年齢以前のバリの子供たちは5〜6人の兄弟姉妹はあたりまえで、7〜8人も別に珍しくはありません。

■日本人の甘い誘惑〜あんまり勝手なこと言わないで。

海外に行く話をバリ人にしてはならないと教わったのは15年以上も前のことである。バリ人はバリに生まれて、一歩も島の外に出ることがないから、というのがその理由である。貧困な生活におさらばして島を出たいと思っているのはやまやまである。しかし行きたくても行かれないのが現実。島を出られるとしたら、優秀な留学生になるか、海外公演をしているガムランの楽団員になるか、お金持ちになるか、外国人と結婚するかしかなかったのである。
80年代になってスハルト政権が観光政策を打ち出したこともあり、日本人客は増え始めたものの、インドネシア人の出国手続はかなり規制が厳しく、当時日本に来たことがあるバリ人なんて、ほんの数えるほどであった。

ところが、いまでは日本に行ったビーチボーイの話なんて、あちこちで耳にするようになった。バリに海外旅行に来たお金持ちの日本人(パブリーな時期でもあった)が、まずしいバリ人に同情心からか、「かわいそう。日本はいいよ。日本に来ればお金を稼げるよ。」なんて彼らの気持ちを刺激するだけ刺激して帰ってしまうから、残されたバリ人はたまったものじゃない。日本からは若者がたくさん来て、湯水のようにお金を使う。どうしたって日本に行って稼ぐ皮算用を始めてしまうのだ。中には自分がお金を出してまでバリ人を日本に連れて行く奇特な人も現れ始めた。日本を見せてやりたいという親心の人もいたようだし、いやらしい気持ちのおじさんも、おばさんもいた。ビーチボーイにのぼせあがったお姉さんもいる。玉の輿に乗る気持ちで、ビーチボーイたちはジャパニーズ・ドリームを夢見て日本人の女の子の軟派に今日もいそしんでいる。

■ラクに稼げる黄金の国・ジュパン1〜2年でバリに家が建つ。
「私がお金出してあげるから日本に行こう!」なんて、簡単に言わないで欲しい。バリの秩序を乱してしまっているのだ。ビーチボーイたちはとにかく日本人の女の子と友達になって、日本に連れていってもらうことを夢見ている。「マキコ、アユミ、ユリ...ボクの彼女は日本人!」というビーチボーイ、ヨノは、バリに店を持たせてくれる女の子を見つけたいと口癖のように言っている。その前に日本にも行って2〜3年働きたいと考えているようだ。「日本人は色白でかわいいし、簡単にSEXもできる。ボクはバリ人じゃないけどね。」とジャワ人の彼は笑って言った。

経験者の口コミやら紹介やらで、日本に行きさえすれば働き口もちゃんと用意されているようだ。彼らの間には、そういうシステムもできあがっているらしい。1年や2年日本で我慢すれば、バリで稼ぐ年収の10倍〜20倍は軽く稼げるのだから彼らも必死である。日本で2年ほど働けば、バリに家を建てるお金くらい稼げるし、うまくやれば、家と車と遊ぶお金を稼げる。途中でくじけても車を買う資金くらいは稼げるのだ。バリで中古のワンボックスを買えば、白タクのオーナーになれるのだ。

いつしかビーチのミチュアミお姉ちゃんの中にも、自分で稼いだお金で日本に行き、クラブで働いてきたという娘が現れた。「ニホンノチカテツ、ムズカシイネ」。湘南でミチュアミをやって来たという娘もいた。隣の家の若い男の子や女の子が日本へ行って、1年か2年で家を一軒買うお金を稼いでくるのだから、回りの人たちだってだまっちゃいられない。ウチのグータラ亭主をただ遊ばせて置いても仕方ないし、お隣りさんが羨ましくて仕方ない。「ちょうどうちの兄さんも日本人と友達だから招聘状を書いてもらって保証人になってもらおうよ。」ってことになる。友人の妹にさんざん頼まれたが丁重にお断りさせていただいた。こちらもバリでビジネスをしている以上、日本でもインドネシアでも、出入国管理事務所(イミグレーション)のブラックリストに載るわけにはいかないのである。しかし、この手の依頼は後を絶たない。

●もしバリ人を轢いたら袋叩きの刑(リンチ)という噂も。

車で轢かれて殺されてしまった場合、ほとんどのバリ人は泣き寝入りだそうです。なぜなら車は金持ちが持っているもので、轢かれるのはつねに貧乏人だからだそうです。たとえ心情的に許せなかったとしても、どうすることもできない。弱いのはいつも貧乏人。お金持ちは裏金を出すので、警察に捕まるのかさえわかったものじゃありません。日本の場合も、交通事故に対する罪は軽いけれど、たいていは事故を起こした人が何らかの保険に入っているでしょうから、少しは気休めになるかも知れない。しかしバリ人が保険金をもらった話なんて聞いたこともない、と彼は言っていました。(それについてはいろいろと調べておいた方が良さそうです)
いずれにせよ、轢かれてしまった人がお年寄りでも子供でも、家族にとっても村にとっても重要な働き手です。交通事故だろうが何だろうが、それを奪われたのだから仕返しをするのは当然という考え方だそうです。だから、事故を起こすとあちらこちらから村人に寄ってたかってひっつかまえられて袋叩きにされると言われました。とくに田舎で人を轢いてしまったら逃げろ!と、あるバリ人は言いました。でも、それじゃひき逃げじゃないか。とにかく運転は慎重に。事故にはくれぐれもご注意を。

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