東京ディズニーランドの社会学的研究

  −TDLに人々が集う理由と社会への影響−


      日本大学文理学部社会学科4年  浅沼 伸介




  =目次=


序章 問題意識と関心                                           

第1章 日本人のレジャー感覚とテーマパーク                     

第2章 他の国内テーマパークとの相違点                       

     第1節 立地とメディア                                   
     第2節  「アメリカ」というテーマ                          
     第3節 ミッキーマウスというカリスマ                     

第3章 盛り場としての東京ディズニーランド

     第1節 アトラクションに見る「遊び」                       
   第2節 TDLという祭りの場                              
     第3節 疑似イベントと虚構性                

第4章 ディズニーランド都市の拡大                        

     第1節 Disnification                                        
     第2節 都市としてのディズニーランド                       
     第3節  社会のアリバイとしてのディズニーランド       

第5章 総論                                                   

      参考資料                                               




序章    問題意識と関心


 1983年4月15日に開園した東京ディズニーランド(TDL)は、ずば抜けた集客数を誇る
テーマパークである。昨今の不況の影響下で、レジャー・余暇の出費が減少傾向にあ
る中、連日数万という人々が訪れている。2000年度における総入園者数1730万人、売
上高1828億円、経常利益147億円という数字は驚異的である。さらに、2001年3月31日
までの累計入場者数は2億6300万人を越え、日本人全員が2回は訪れている計算になった。
 東京ディズニーランドの成功に目を付け、バブル期には数多くのテーマパークが乱立
された。しかし、いずれもパッとした成果を残していない。赤字続きで閉鎖に追い込ま
れたテーマパークもある。私は以前、東京近郊にある「よみうりランド」という遊園地
でアルバイトをしていたことがあるが、ここも経営状況は厳しい様相であった。平日に
バイトに入ったときもあったが、平日の遊園地は、あまりにもガラガラである。「今日
は収益よりも人件費の方が高くつくのではないか」と心配になったほどだ。しかし、そ
れが東京ディズニーランドとなると、話は違ってくる。平日だろうが、雨天だろうが、
毎日何万というお客さんがこの地を目指して押し寄せてくるのだ。この集客力は、どこ
にあるのだろうか。さらに、世界の遊園地の入園者数のトップは現在も東京ディズニー
ランドで、アメリカにあるディズニーランドを抜いて世界一となっている。なぜ本場よ
りも日本の方が入園者数が多いのだろうか。
 また、2001年9月4日、東京ディズニーランドの隣りに、海と冒険をテーマにした「東
京ディズニーシー」がオープンした。運営会社である株式会社オリエンタルランドの20
01年度中間決算は、先日、始めの想定である76億円の経常赤字から、54億円の黒字予想
へと上方修正された。新規オープンしたテーマパークは、最初は必ず人が入る。現在閉
園の危機に瀕しているような赤字テーマパークも、例外ではなかった。つまり、この上
方修正は、東京ディズニーシーが開園し、集客力が落ち込むと思われていた東京ディズ
ニーランドの入園者数が、予想以上に健闘した結果である。何故すぐ隣りに話題のディ
ズニー・テーマパークがあるにも関わらず、東京ディズニーランドの方に足を運ぶのか。
 桂英史は、著書『東京ディズニーランドの神話学』の中で、「東京ディズニーランド
が建設され、その事業は娯楽産業として大成功を収めている。その大成功そのものが、
過激さをはらんだ事件なのだ」(桂,1999,P.9)と述べている。この「事件」を社会学
的に解明していくことは、社会における「遊び」を解明し、日本人の特性を浮かび上が
らせる事につながるのではないか。またこれだけの人々が訪れることにより、社会へな
んらかの影響があるのではないか。これが、今回のテーマ設定に至った動機である。
 本論では、まず始めに、遊園地産業でなぜ「テーマパーク」が隆盛を極めたのか、そ
してなぜ東京ディズニーランドが一人勝ちなのかを探っていく。その後、話をマクロな
観点に移し、ジャン・ボードリヤールの「社会のアリバイとしてのディズニーランド」
論を参考にしつつ、ディズニーランド都市の拡大についてふれていきたい。



第1章 日本人のレジャー感覚とテーマパーク


 東京ディズニーランドに来園するゲスト(ディズニーでは、来園者を「ゲスト」、従業
員を「キャスト」と呼ぶ)は、圧倒的に日本人である。2000年度の海外からのゲスト率は、
1.9%。つまり、98.1%は国内各地から訪れたことになる(オリエンタルランド社発表の来園
者サンプリング調査より)。まずは、日本人のレジャーに対する性格や特徴を考察するこ
とから始めていきたい。

  日本人のレジャーの特色は、一日のうちにいくつものメニューをこなすのが好きなこと
である。朝からゴルフをやり、夕方から宴会、カラオケと、一日のうちにいくつかの遊び
をやってしまう。遊びの種類を指折り数えることに充実感を覚える。ヨーロッパ旅行のツ
アーでは、わずか一週間で数カ国を巡ることになる。当然一日にまわる観光地も増える。
やはり日本人は、あれこれとせわしなく楽しめる方が好きなようだ。テーマパークのよう
にいろいろな施設がたくさんあった方が、好奇心旺盛な国民性には相性がよいのだろう。
 次に、日本人の精神的特徴を見てみる。『人が集まるテーマパークの秘密』という文献
の中で、著者の伊藤正視は、日本人の特徴を「集団帰属意識の強さ」と「物事に対するこ
だわり」という2点から分析している(伊藤,1998,P.17-19)。集団帰属意識の強さは、
農耕民族としての労働に対する考え方などが日本人の性格を決定づけたと考えられる。そ
れに次ぐ特徴は、外来文化に対する好奇心の強さと取り入れ方、吸収の仕方にある。明治
維新に限らず、日本人は驚くほど巧みに外国の文化、技術、芸術、宗教を貪欲なまでに取
り組み、時には自分自身にあうように加工しなおし、消化、吸収してきた。もともと日本
は多民族社会であり、国際化をしていた。大きな混血の歴史があったが故に、日本人には
外来文化をたくましく取り入れる能力があるのだろう。
 そして、もう一つの特徴は物事に対するこだわりである。集団帰属意識の強い日本人に
は、西洋的な自我意識は薄い。その代わり、なんであれ一つのことを掘り下げ、探求し、
それを人間形成、人生の修行の手段として道を究めようとする伝統的な精神文化を持って
いる。外に向かって自己表現をしようとすることよりも内面、つまり精神を重視する文化
といえる。例えば、柔道は昔は柔術と言った。しかし柔術に強いだけでなく、人の生きる
道をそこから学ぶという考えが生まれた。この他にも、書道、弓道、香道、華道など、何
かにつけて求道精神につながっていくのである。
 このように、勤勉でこだわりの強い日本人の性格は、サービス業にとっては手強いもの
である。それはテーマパークにとっても同様である。しかし逆に、こだわれば感動もして
くれるし、値打ちもわかってもらえる。例えば、建物のディティールにこだわれば即、感
銘してくれる。またテーマの中のより生きたストーリーの演出は、異文化への好奇心や、
旺盛な知識欲によって、エンターテイメントにしやすくなる。集団や仲間意識が強い国民
性は、最もテーマパークに向いているのである。数千年前に多民族国家として国際化を経
験して出来上がった日本人の精神性は、変化に対応することがうまい。そしてコピーした
ものを自分に合うように作りかえ、オリジナルなもののように使いこなしてしまう。あら
ゆる物事に対し、その本質を掘り下げ探求していく真摯な姿勢は、勤勉な日本人の特徴で
ある。本質を考えることは新たなイマジネーションを膨らませることになる。このように
日本は、東京ディズニーランドを始めとするテーマパーク産業が、受け入れられやすい土
壌がもともと培われていたのである。



第2章 他の国内テーマパークとの相違点

では、テーマパークが受け入れられる基盤が日本人に既に存在していたならば、なぜ東京
ディズニーランドの一人勝ちになっているのか、それをこの章で解き明かしていきたい。

第1節 立地とメディア

 まずは、何と言っても立地である。志摩スペイン村(三重県)、レオマワールド(香川
県)、ハウステンボス(長崎県)などのように、都市部から離れたところに建設されてい
る郊外型テーマパークは多い。これらの多くは、「テーマパークを作れば客はやってくる」
的な発想による事業着手の結果、広大な敷地が安価で確保できる郊外にテーマパークを作り、
過度な入場者予想数を計算し、最悪の場合は閉鎖に追い込まれる。現に、香川県のレオマ
ワールドは、「四国のディズニーランド」として鳴り物入りで登場したが、苦戦を強いら
れ、ついに2000年9月から「休園」に追い込まれてしまった。その点、東京ディズニーラン
ドは、東京駅から電車で約15分という好立地である。これ程まで近くに巨大都市を備えて
いるテーマパークは、世界でも珍しいのではないだろうか。日本にディズニーランドを設
置する事が決まった際、候補地としてあげられたのが、「浦安市」と「富士山麓」であった。
浦安市に決まった理由は、ディズニー側の発表では「絶えず目に入る富士山が夢の世界を
現実世界へ引き戻すから」というものであったが、浦安市が「東京」という巨大都市の目
と鼻の先であったから、という要素も含まれることは自明の理であろう。
  そして、ディズニーが数多くのメディアによって生活に浸透していることも、東京ディ
ズニーランドの強みとしてあげられる。例えばディズニー映画。レンタルビデオ店に行け
ば、ディズニーコーナーが必ずあり、最新作から、「シンデレラ」「ピノキオ」「白雪姫」
「ピーターパン」といった有名古典作品まで、数多く揃っている。これらの作品を「聞い
たこともない」という人はもはや皆無であろう。また、ディズニー音楽も数多く浸透して
いる。邦楽洋楽問わず、有名なアーティストがディズニー音楽をカバーするCDを発売して
いたり、携帯電話の着信メロディとして使われることまである。そして、最近は「ディズ
ニーストア」という小売店も全国各地に登場している。この店舗は、扱う商品はもちろん、
BGMや内装に至るまで、全てがディズニーで埋め尽くされている。こういった小売店が都心
から地方まで数多くオープンしていることは、東京ディズニーランドへのリピート促進作
用も少なからず働いているだろう。このように、ディズニーは、既に生活の中に浸透して
しまっている。極論すると、ディズニーキャラクターの描かれた物が、家に一つもないと
いう家庭はほぼゼロに等しいのではないだろうか。こうした子供の頃から刷り込まれてい
る「洗脳」によって、「ディズニーなら大丈夫」という安心感が生まれ、他のテーマパー
クとの大きな差異となっている点は否めないだろう。



第2節 「アメリカ」というテーマ

東京ディズニーランドは世界で3番目のディズニーテーマパークとして日本に登場した。
アメリカ合衆国に2つあり、アメリカ以外の初のディズニーランドということになる。デ
ィズニーランドほどアメリカ大衆の伝統的な価値観や夢が一カ所に集約され、しかも具体
的に表現されている場所はおそらくほかにないだろう。
 能登路雅子は、著書『ディズニーランドという聖地』の中で、ディズニーランドを「ア
メリカ精神のエッセンス」と表現し、その中で最も顕著にみられるのがノスタルジーであ
ると分析している(能登路,1990,P.83-85)。ディズニー映画が大衆に受ける原典は、
ストーリー、映像、音楽、演出ともにノスタルジーにある。ノスタルジーを題材に作った
映画の世界をテーマパーク化することにより、新しいノスタルジーを感じさせる立体的な
エンターテイメントの世界をウォルトは生み出したのである。ディズニーランドのコンセ
プトは、「ファミリーエンターテイメント」であり、ファンタジーとノスタルジーの世界
である。そこには2つの隠し味がある。それは「エデュケーション(教育)」と「アメリ
カへの愛国心」である。まず第一のエデュケーションとは、日本の教育と異なり、知識を
押しつけたり、説教がましいものではない。ディズニーランドに来て楽しいひとときを過
ごせば、何かに興奮したり、興味を持ったり、感動したりする。そうした自分自身に接し
て、新たな自分を発見することがあるかもしれない。そうした自分が潜在的に持っている
隠れた能力に気付かせたり、引き出したり、良い個性を伸ばしたりすることをエデュケー
ションと考えた。
  例えば、東京ディズニーランドが学校団体向けに製作している『修学旅行・遠足ご利用
ガイド』を引用すると、

  ①本格的なショーや音楽を身近に体験
    パークの随所で、さまざまな民族や時代の音楽、ディズニーの名曲などを
    楽しめます。本物のショーに、じかに触れる体験も。 
  ②歴史・地理の体験学習の宝庫
    日本と海外の交流の歴史をはじめ、世界各地の伝統や文化に素材を
    求めたアトラクションが数多くあります。 
  ③最先端の科学技術
    宇宙旅行やタイムトラベルなどをリアルに「再現」した
    各種の最先端技術が、科学的好奇心への扉を開きます。 
  ④造園技術の粋を集めた「花と緑」
    各テーマに沿って花と緑を配した技術とその多彩さは、国内でも類のないほど。
  ⑤さながら建築や美術の博物館
    ビクトリア様式、ニューオリンズの歴史的景観など、
    世界のさまざまな時代の建築・美術を見ることができます。
  ⑥ヒューマニティと国際性
    世界中から訪れるゲストや、パークに満ちているディズニーの精神を
    身近に感じ、考えるきっかけにしていただけます。 
と書かれており、ディズニーランドがいかに体験学習に適しているかが記されている。

 能登路によると、ここでの「エデュケーション」は、押しつけであってはならないとい
う。博覧会では、この押しつけも受け入れられる。博覧会は有益であり、ためになること
は良しとする心構えが、お客にあらかじめあるからだ。だがテーマパークはリピーター力
が命であるため、エデュケーションは隠し味でなければならない。現にディズニーはそれ
を実践している。ストーリー性のある空間、きめ細やかな作りの建物やアトラクション、
楽しい色彩感覚、清潔な環境、純粋な子供心を感じさせる演出、ノスタルジーをかき立て
る情感、これら一つひとつ丁寧に取り扱うことが、すでに隠し味なのである。
 第二の愛国心は、ノスタルジーの効果を押し上げる大きな要素である。同じディズニー
ランドでも本場アメリカのディズニーランドで醸し出す雰囲気は、東京ディズニーランド
やフランスのディズニーランドとはかなり異なっているという。それは子供の頃から慣れ
親しんだノスタルジーともいえる世界と、偉大なる自分たちの国だという思いが重なり合
った空気である、と能登路は解説している。この空気はそもそも、アメリカ人にしかわか
りえない誇りである。愛国心をくすぐる誇りが懐かしさとして醸し出されているのだろう。
この愛国心は、日本人にはない。しかし、東京ディズニーランドは、「古き良きアメリカ」
という言葉に代表される、日本人のアメリカに対する憧れが、うまく口に合うように再加
工されているのである。

第3節 ミッキーマウスというカリスマ

 ミッキーマウスがディズニーランドの象徴であることは誰も疑わない。ミッキーマウスは
人類に共通する感性を持ち合わせている。私は、一昨年の夏にモンゴルを訪れたが、モンゴ
ルでもミッキーのイラストを見かけた。ミッキーは世界中の子供達のアイドルなのだ。これ
だけ世界中の人々に長期間、親しまれてきた実績は大変なものである。何ものにもかえるこ
とができない膨大な財産であり、含み資産である。ミッキーマウスはディズニーランドの司
祭であるばかりでなく、時にはアメリカを代表する大使であり、子供の夢の代理人である。
ディズニーランドのスポンサー企業にとっては、ミッキーマウスはそのイメージにあやかっ
て広く消費者に、よりよい印象を持ってもらうための素晴らしいメッセンジャーでもある。
ミッキーマウスのカリスマ性が多くの来園者を生む契機の一つになっていることは間違いな
いだろう。これまでの「絶叫マシーンに乗る」という乗り物中心の遊園地に対する考え方と
は全く異なるものである。またキャラクターは、商品販売の面にも影響を与えている。キャ
ラクターは商品と消費者を結びつける「つなぎ役」でもあるのだ。ブランドや、美しいデザ
イン、色合いもつなぎ役である。ぬいぐるみ、お菓子や雑貨など東京ディズニーランドで売
られている商品は、ほとんどキャラクター商品である。東京ディズニーランドの物販が19
97年度で560億円という実績は、流通業でも注目の的である。このように、テーマパー
ク産業にとって、キャラクターという存在は非常に大きなものである。しかし、ただ新しい
キャラクターをつくれば良いというものではない。東京ディズニーランドのように、他メデ
ィア(映画等)との関連性が高くなければ難しい。そうでなければ、知名度が低いため、商
品販売力が弱く、テーマパークのアピール力や採算性にも問題が生じるだろう。それが他の
テーマパークの失敗の一因にもなっていると私は考えている。


第3章  盛り場としての東京ディズニーランド

第1節 アトラクションに見る「遊び」

  ロジェ・カイヨワは、遊びのカテゴリーとして、アゴーン(競争)、アレア(運)、ミミ
クリー(模擬)、イリンクス(眩暈)の4つを設けた。そして、アゴーンとアレアはしばし
ば結びつき、ミミクリーとイリンクスは結びつきが強いことを指摘した(カイヨワ,1990,
P.45-66)。このカテゴリーを使って東京ディズニーランドを分析するとどうなるか。東京
ディズニーランドは、ワールドバザールに始まって、アドベンチャーランド、ウエスタンラ
ンド、ファンタジーランド、トゥーンタウン、トゥモローランド等の独自な特色をもったア
トラクションがあるが、その多様性にもかかわらず、これらの仕掛けはすべてミミクリーと
イリンクスの結びついた世界に観客を導入するものとなっている。それを具体的な事例で説
明するため、2つの人気アトラクションを分析してみよう。


 1.事例分析:「カリブの海賊」

 「カリブの海賊」は、ボートに乗ってカリブ海における海賊を見て回るアトラクションで
ある。この「カリブの海賊」の仕掛けは、次項の表1に示したように、ゲストが知らず知ら
ずのうちに、ミミクリーとイリンクスの世界に組み入れられるようになっている。この仕掛
けは、日常生活から心理的に隔離された異空間を作ることで達成されている。まず光の明暗
を利用することが、(1)〜(11)までの全般に渡ってみられる。次に、視点の移動による心理的
錯覚を生み出すことが、(1)(3)(4)(5)(7)(8)(9)(10)にみられ、さらに、高低の利用が(7)、
これに加えて効果音の利用が(3)(6)(7)(8)(10)や、オーディオアニマトロニクスという技術
を利用した人形の動きなどがゲストを異空間へと誘い、日常生活意識から遙か遠くに導かれ
たという意識を作り出す。こうしてゲストは、作り物の世界と知りつつ、十七〜八世紀の帆
船時代にカリブ海を荒らしまわった海賊の世界に自分をおいてしまうのである。
  また、ここで注目すべき点は、「カリブの海賊」のストーリー構成である。本来、ストー
リー構成の基本は、“起・承・転・結”である。これを「カリブの海賊」に当てはめると、
起:「カリブ海の港に海賊がやってくる」、承:「海賊が上陸し、街を支配してしまう」、
転:「炎を放った海賊により、カリブの街並みが火に包まれる。牢獄に閉じこめられた海賊
もいる」、結:「海賊たちの墓。がい骨になりながらも、金銀財宝の上に座っている。(死)」
となる。しかし、実際のアトラクションの流れでは、ボートが暗闇を滑り落ちた後、最初に
見えてくるのが海賊たちの墓であり、次いで襲来、街を支配、炎上という順番でボートは進
んでいく。つまり、本来は「起→承→転→結」と流れになるべきものが「結→起→承→転」
いう流れのアトラクションであることにより、カリブの海賊のストーリーはゲストにとって
永続的に続いていくのである。



     表1. 「カリブの海賊」の分析                    
                     

 <アトラクションの流れ>    |  <工夫されている環境構成>       
                |
・アドベンチャーランドの入り口 |・海賊のイメージとは程遠いしゃれた感じの建物。 
 付近にある建物               |・建物の感じとはそぐわない海賊のコスチュームで迎え入
・入口は狭く看板も全体にマッチ | れ、意外な感じで興味を持たせる。外からは、人がたく
 したデザイン。          | さん集まっているのがわからない。           
            ↓              │・蛇行しながら並んでいるので実際より待っている人を少
・待つ                      │ なく感じる。折れ曲がるたびに視点が変わるので建物の
            ↓              │ 内部をいろいろな角度から見られ、あきない。 
(1)水路に浮かぶボートが見えて  │・家の中に水が流れている意外性と、これから起こること
   くる。                      │ への期待を膨らます。                       
            ↓                 │                                             
(2)ボートに乗る。静かに動き始  │・一度にたくさんの人をさばき、待たされている感じを持
   める。                      │ たせない。                                 
            ↓                 │・穏やかな流れは、ミシシッピ河、乗っているボートはそ
                               │ こを渡るボートに見立てられている。         
(3)視界が開け、広くてドーム状  │・同設の「ブルーバイユーレストラン」をミシシッピ河畔 
  の空間に出る。              │ の大邸宅の庭先に見立て、そこで食事をするゲストの様
                               │ 子やざわめきも臨場感あふれる風景の一部として活か
            ↓                 │ されている。                               
(4)庭が見えなくなる頃左側から  │・ざわめきが遠のくのに合わせて視点の移動。静けさと暗
   音楽が微かに聞こえ、光る物  │ 闇の中に不安な感じを出す。                 
   も見えてくる。              │・「何が起こっても知らないぞ」という不気味な忠告で気を
(5)暗闇の中へ。河幅が狭くなる。│ 引きつけておき、いきなり暗闇の中で急流を下らせて驚
(6)海賊からの忠告。            │ かせる。同時に、もうのどかな河下りは終わり探検が始
            ↓                 │ まることを暗示させる。                    
(7)暗闇、音のない空間に入り急に│                                        
  ボートが落ちる。            │                                             
(8)洞窟の中。海賊たちの世界が  │・見せる場面と暗闇が交互におとずれる。暗闇から次の場
  左右交互に現れる。          │ 面に行くときは音か光が先行する。暗闇から蛇行してい
(9)金銀財宝といった情景の描写や│ くので、狭いところでもかなり移動した気持ちにさせる。
  海賊の墓場の様子。          │ 視点の移動もある。                         
           ↓                 │                                             
(10)暗闇を通って広いドーム状の │・大砲の音と僅かに見える煙が先行して広い空間へ出る。
  空間へ出る。海賊たちが大き │ 海賊たちは、オーディオ・アニマトロニクスで表情まで
   な船の上で撃ち合いをする中 │ 巧みに出せる。進んでいるボートに向かって攻撃が仕掛
    をくぐり抜ける。           │ けられ、スリリングなものにする。           
      ↓            |
(11)音楽に合わせて海賊たちの   │・ボートが進む河の両側に、リズムに乗って軽快にいろい
  活躍ぶりを見る。           │  ろなシーン(酒、女、略奪、捕虜)が出てくる。




 2.事例分析:「スペースマウンテン」

 「スペースマウンテン」は、宇宙空間をハイスピードで走り抜けるジェットコースター
タイプのアトラクションである。人工の自然(風景)を作り、その中にジェットコースタ
ーを走らせている。その意味で「ディズニーランド」の理念を代表する乗り物だと言える。
ドームになっているため、自然の天候の影響を受けない、画期的な全天候型のジェットコー
スターだ。ドームの中がすべて宇宙ステーションのように作られており、ドームに入った
瞬間から「スペースマウンテン」の世界に入り込めるようになっている。スペースシャト
ルの形をしたコースターに乗り込み、出発すると、中は暗く、プラネタリウムのような星
が輝いている。視界が星以外に見えないため、平衡感覚が分からなくなり、これからのコ
ースターの動きが読めない。上へ行くのか下へ行くのか、右に曲がるのか左に曲がるのか
(よほど目を凝らしてみたら別だが)分からないというスリル感。これは、普通のジェッ
トコースターの逆の作り方(理念)によって作られたジェットコースターである。昔なが
らのジェットコースターは、視界はすべて自然の風景であり、レールも全て自然の風景で、
レールもちゃんと見えている為、イメージはその分限定されてしまう。しかし、「スペー
スマウンテン」では、視覚が限定されない分だけ楽しいイメージが膨らむ。
 それでは、普通のジェットコースターは、どこにイメージが介入する余地があるのだろ
うか。それは、ふだん見なれている自然の風景のスピードや重力と、コースターに乗った
時の風景のスピードの加速や重力との格差の度合いにある。この度合いが少なければ、
「大したことない」となってしまう。これを打ち消すためには、ふだん見なれているはず
の自然(風景)が吹き飛んでしまう(現実的な体験に還元できない)くらいの加速やパワ
ーの重力体験が必要になるのである。
 「スペースマウンテン」は、ジェットコースターそれ自体としては大したことはない。
これと同じものを、ドームを外して、自然条件の中で普通のジェットコースターのように
運転したら、まったく平凡なものになってしまうだろう。普通の遊園地のジェットコース
ターよりも貧弱な体験になってしまうだろうし、誰にも感銘を与えることはできない。そ
れをドームの中で自然条件を完全に人工的に作ることによって、人間の心理(イメージ)
に圧倒的にインパクトを与えるコースターに転化させている。そこが画期的なところであ
り、それこそが東京ディズニーランドの言うところの「ショー」としてのアトラクション
なのである。
   松本孝幸は、『遊園地の現在学』の中で、ジェットコースターを2種類に分類している。
それは、「現実(重力)的な<未知体験>の系列」と「精神(イメージ)的な<未知体
験>の系列」である(松本,1992,P.60)。東京ディズニーランドが用意しているアトラ
クションは、後者であり、精神的な<未知体験>こそ、カイヨワの言うミミクリーとイリ
ンクスが融合した状態なのではないだろうか。



第2節 TDLという祭りの場

 東京ディズニーランドは、現代の祭りの場なのではないか。もっとも、「普段の生活」
=日常(ケ)、「東京ディズニーランドで遊ぶこと」=非日常(ハレ)とはっきりと区別
されていたのは開園の数年間の話であり、総入園者2億人を突破した現在では、もはや日常
に組み込まれている世界ということが出来るだろう。
 東京ディズニーランドは、1998年に開園15周年をむかえた。そして、この年の年間入場
者数は、開園以来、現在までの最高記録である。新しいアトラクションが誕生したわけで
もないのに、この年が記録として残っている理由は、1年間にわたって「15周年記念」イベ
ントが繰り広げられたからである。イベント目当ての入場者が増えているということは、
東京ディズニーランドが無意識的に祭の場として捉えられていることの裏付けなのではな
いだろうか。

  東京ディズニーランドを祭りの場と考える文献の一つに、『ディズニーランドの経済学』
がある。その中で、著者の粟田は、民俗学者の柳田国男の祭り論を例に出している。
「日本の祭りの重要な一つの変わり目は何だったか。一言でいふと見物と称する群の発生。
即ち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言はばただ審美的の立場から、この行事
を観望者の現はれたことであろう。それが都会の生活を花やかにもすれば、我々の幼い日
の記念を楽しくもしたと共に、神社を中核とした信仰の統一はやや薄れ、しまふには村に
住みながらも祭はただ眺めるものと、考へるやうな気風をも養ったのである。」
柳田国男は、中世農耕村落の庶民をモデルにして、日本人の在り方を追求しようとした。
その立場に立てば、「祭から祭礼へ」の変化は好ましくないものに映るだろう。しかし、
見物人の発生、それも大群衆が、祭りをいっそう華やかにし、祭りに参加している人々の
心を高揚させる役割を果たしている点は見逃せない。この場合、祭りを演ずる者と観客と
の心の一体感は、見ること、見せることをお互いに意識することで一層高められる。見せ
る者が見る者を巻き込んで、熱狂的な興奮を引き起こす。そしてついには、見せる者と見
る者との区別がなくなり、祭りは「お祭り」となり、最高潮に達するのである。(粟田,
1984,P.129-131)
  ここまで来て、思い当たる節がある。一昨年の1月下旬から6月下旬まで東京ディズニー
ランドで開催されたイベント「Club Disney スーパーダンシンマニア」。このイベントは、
シンデレラ城前の特設ステージが巨大ダンスフロアとなり、ミッキーマウスなどのキャラ
クターと共に、ダンスミュージックやパラパラを踊る、という内容であった。このイベン
トは連日盛況を博したが、これこそまさに「見る者」と「見せる者」との区別がなくなっ
た状態であり、「お祭り」なのである。そして、このような参加型イベントは、近年特に
増えており、今年の1月から5月までのイベント「Dポップ・マジック!」もほぼ同様のス
タイルである。参加型イベントは、強いリピート力を持っており、私はこれらの事から、
「ハレ」が少なくなったボーダレスの現代であるが故に、日常に取り込まれるお祭り空間
として、東京ディズニーランドが存在する気がしてならない。 


#これで、ようやく半分だったり・・
つづき