古代ギリシャ

古代ギリシャといえば、ギリシャ神話の神々とそうした神々を信仰した街。
神と神の裔たる人々の織り成す物語には魅了されるものがあります。
神話や叙事詩から気の向くままに、、、、

ギリシャ神話の神々
ゼウスを中心に、ヘラ、アテネ、アフロディーテ、アポロンなど多くの神々が結構人間臭く振舞うところがいいです。特にゼウスは好色で、色恋沙汰がたーーーくさん。(未着手です)
ホメロスの叙事詩
ホメロスって誰?
今から3100年ほど前に生きたホメロスは3300年ほど前のトロイア戦争を歌った叙事詩「イリアス」「オデッセイア」の作者として知られています。なにせ古い人なので詳しいことは不明らしいですが、歴史の父とも呼ばれるヘロドトス(紀元前484頃-)による「ホメロス伝」によれば、ホメロスとは「盲人」を意味するキュメ人の方言で本名はメレシゲネス。トロイア戦争後、163年目に生まれたとあります。
叙事詩って?
なにせ文字もちゃんとなかった昔のことなので、物語は口伝えに伝えられました。物語することを職業にした吟遊詩人のような人たちによって伝えられていった訳ですから、講談のように観客をひきつける修飾された語り物でした。この古代ギリシャで口伝えにされた語り物が叙事詩と呼ばれています。
今に伝わる最古で最大の叙事詩が「イリアス」と「オデッセイア」であり、その作者がホメロスであると伝えられているのです。
イリアスとオデッセイア
パリスの審判に端を発して、ギリシャがトロイを攻め、最後は「トロイの木馬」の計略によってトロイが滅びたというトロイア(トロイ)戦争。トロイの紀元前約1260年の地層に大規模な火災の跡があることから、この頃にトロイア戦争があったと考えられています。 その戦いは10年におよんだといいますが、そこでの10年目のトロイアをめぐる攻防戦を描いたのがイリアス、トロイア戦争後に運命のいたづらに翻弄され彷徨したオデッセウスを描いたのがオデッセイアです。
ちなみに、イリアスはトロイアの聖都イリオスをめぐる攻防戦を描いており、イリオスの物語、あるいはイリオスの合戦の意味、ILIASと綴ります。また、オデッセイアはオデッセウスの物語の意味です。
トロイア戦争の発端からの9年間、戦争末期のスペクタクルであった「トロイの木馬」の計略の辺りを歌った叙事詩は残念ながら伝わっていません。ただ、ギリシャ神話として伝えられるのみです。
トロイア戦争のあらまし
ゼウスが神様を集めて宴会を催したときに、諍い(いさかい)の女神(美しくない)を呼ばなかった。怒った諍いの女神は黄金のリンゴに「いちばん美しい人へ」と書いて宴会の席に投げ込みます。
「私のもの!」と名乗りを上げたのが、ゼウスの嫁さんのヘラ、戦いの女神アテネ、そして美の女神アフロディーテの3神。ゼウスに「誰が一番きれい!」と迫るのですが、ゼウスはトロイア王家の王子の一人、パリスに審判をゆだねるのです。3神はそれぞれに賄賂をちらつかせるのですが、美人で評判のヘレネとの結婚につられてアフロディーテの勝ちを宣言します。この場面は「パリスの審判」として多くの絵画が書かれている(3人の美人とリンゴ、そして美少年ひとりという絵になりやすい構図)ので見たことのあるかたも多いでしょう。
ヘレネが独身だったら問題なかったのですが、既にギリシャのタンタロス家のメネラオスに嫁いでおり子供も居る。それを無理やり略奪結婚したものだからさあたいへん、ギリシャ対トロイアの戦争へと発展します。ギリシャ側はメネラオスの兄、アガメムノンを大将に大挙してトロイアに攻め込みます。対するトロイア側はパリスの父プリアモス王、パリスの兄ヘクトルが大将。
トロイアの聖都イリアスは難攻不落で9年の月日が流れます。そして10年目に大合戦が起こりトロイアの大将ヘクトルが倒れるまでがイリアスに描かれます。
攻めきれないギリシャ側は大きな木馬を戦場に残して退却します。戦利品である木馬をイリアス城内に引き入れ、勝利の祝杯をあげたトロイア軍が寝静まった頃、木馬からギリシャの兵隊が出てきて門を開け放ち、イリオスを包囲したギリシャ軍と内外から攻めてトロイアを滅ぼし、戦争は終わります。
ギリシャへの帰路、嵐に流されたオデッセウスの旅はオデッセイアで描かれますが、これは戦争後のお話。
イリアス単語帳
 イリアスを読みはじめて障害になるのは、出てくる人物名の多さです。当時はまだ姓がなく、だれそれの息子だれそれ、というよう呼び方で人を呼び分けていました。名家の出だと、2、3代前からの系図が出てきてしまいます。
 僕も、これじゃあたまらないと人名、地名などをメモし始めたのですが、とにかく多い!そのうえ、ギリシャ神話などでの人名はアッティカ地方の方言形で書かれているものが多いのですが、ホメロスがイオニア地方出身ということでイオニア地方の方言形でイリアスは書かれていたりします(僕が読んだ岩波文庫の松平千秋訳だけかもしれませんが)。そんなこんなで、双方の軍勢のリスト(軍船表と呼ばれる)が載っている第2歌までのところで、人名が200余り、地名などが300弱という膨大なリストになりました。
 このまま、捨ててしまうのももったいないと、閑をみてはぽちぽちと打ち込んでいるのですが、まだ人名を50ばかりの状態。でも、完成するのを待っていたら永久に公表できないので、中途ですが公表することにしました。

このページの最終更新は に行われました。