ケルト魂に火をつけろ
おすすめアルバム(ロック篇)

ケルティック・ヒッピー
THE HORSELIPS

酔いどれアイリッシュ・パンク
THE POUGES

アメリカン・アイリッシュの叫び
BLACK47

The Pogues(1982-1996)

the best of
the rest of best

Philip Chevron / James Fearnley / Jem Finer / Darryl Hunt / Shane MacGowan / James McNally / Cait O'Riordan /Andrew Ranken / Spider Stacy / Terry Woods

◆POGUES Site◆ 

ポーグスの結成は82年。クラッシュやセックスピストルズに感化されパンクバンド「Nipple Erectors(後にNipsに改名)」を結成、ロンドンをベースに活動していたシェイン・マクガワンは地下鉄構内でティン・ホイッスルを吹いていたスパイダー・ステイシーと出会い、Nips のギタリスト、ジェイムス・フェーンレイを加えたトリオで「Pogue Mahone(ポグ・マホーン)」を結成する。このバンド名はゲール語で"Kiss My Ass"を意味する(良い子は使っちゃいけない言葉です)。ロンドンのパブやストリートでアイリッシュトラッドを演奏していた彼らはギタリスト/ベーシスト/ドラマーを加え6人組となり、シェインのオリジナルをレパートリーに加えていき、やがてワイルドなライブアクトが評判となる。
バンド名を「ザ・ポーグス(The Pogues)」と改めたのちインディーズからシングルデビュー。84年にはクラッシュのツアーサポートを務め、スティッフレコードと契約。デビューアルバム「Red Roses for Me」をリリースする。翌85年、元ラジエーターズのフィリップ・シヴェロンをメンバーに加え、エルヴィス・コステロのプロデュースで2nd「Rum Sodomy and the Lash」を発表。このアルバムは英米で好評を博し、特にシェインのソングライティングが注目を浴びる。その後、映画出演やメンバーチェンジ(ベーシストの交代、テリィ・ウッズの加入)を経て88年、アイランドレコードと契約し、スティーヴ・リリィホワイトのプロデュースで最大のヒットとなるアルバム「If I Should Fall from Grace with God」を発表。シェインとカースティ・マッコールのデュエットによる同アルバム収録の「Fairytale of New York(ニューヨークの夢)」はUKチャート2位を記録する。
かくして絶頂期を迎えたポーグスだがこの頃からシェインのドラッグ、アルコール問題がバンド活動に支障をきたし始める。アルバム、シングルはヒットするもののライブのすっぽかしなどが重なり、やがてリーダーであるシェインがバンドからクビを宣告される。バンドはクラッシュのジョー・ストラマーをヴォーカルに迎えたり、ステイシーがヴォーカルを務めるなど活動を維持していくが1996年、正式に解散する。一方のシェインは相変わらずアルコール問題を抱えながらもニック・ケイヴとのデュエットシングルを発表するなど活動を続け、94年に新バンド「ポープス(Popes)」を率いて、シネイド・オコナーとのデュエットを含むアルバム「Snake」を発表。その後もシェイン・マクゴワン&ポープス名義で勢力的に活動しているようである。

ポーグスのサウンドはよく「アイリッシュトラッドとロンドンパンクの融合」と言われる。 彼らはレベルソング(英国に対する反攻歌)を得意としたアイルランドが誇るバラッドグループ、ダブリナーズ(後に共演)や60年代のアイルランドで勃興したトラッドフォークを —ともすれば古臭く、ダサく感じられがちなこれらの音楽を— 生楽器を交えながら巧みにパンクというよりはロックンロールバンドのフォーマットに乗せたことによって甦らせた。そしてシェインの嗄がれ声で吐き捨てるようなヴォーカル、飲んだくれのキャクラクター、、、パンク野郎を地で行きながら同時にどうしようもなく美しく悲しい歌を作り出す卓抜したソングライティングのセンスがポーグスの音楽をより魅力あるものにしていったと言えよう。
そして忘れてならないのが実力派の2人、フィリップ・シヴェロンとテリィ・ウッズの途中加入である。フィリップはアイルランド初のパンク・バンドと言われた「ラジエーターズ」を率いてのヒット曲もあり、ポーグスでも名曲「Thousands Are Sailing」を残している。またテリィ・ウッズはシェインが「60年代のポーグス」と敬拝していたグループ「スウィーニーズ・メン」のメンバーであり、その後も「スティーライ・スパン」や「ウッズバンド」などでトラッド・フォークの最前線を走ってきた人物である。シェインの才知はこんな才覚を持った男どもにバックアップされていたのである。

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BLACK47(1992-)

Green Suede Shoes(1996)
Larry Kirwan(guitar&vocal)Chris Byrne(uilleann pipes/tin whistle/vo.)
Fred Parcells(trombone/tin whistle)Jeff Blythe(tenor, soprano & baritone sax.)
Thomas Hamlin(drums/percussion)David Conrad(bass)

◆Official Site◆ 

バンド名はアイルランドのジャガイモ飢饉の被害が最も深刻だった1847年を意味する。NYをベースに活動するアイリッシュ・アメリカンの6人組。92年、自身のレーベルBLKから「Black47」でインディーズデビュー。その後、元カーズのリック・オケイセックのプロデュースによる「FIRE OF FREEDOM」でメジャーデビュー。94年、セカンド「HOME OF THE BRAVE」リリース。シェイマス・イーガンアイリーン・アイヴァースというアイリッシュ・アメリカン最高のトラッド・プレイヤーも参加している。96年に3rd「GREEN SUEDE SHOES」、99年にはライブアルバム「Live In New York City」をリリース。
ディストーション・ギターとイリアン・パイプスをフューチャーし、ラップっぽいヴォーカル、ニューオリンズ風のホーンアレンジ(ちなみにサックス・プレイヤーは元デキシー・ミッドナイト・ランナーズ)、レゲエそしてアイリッシュトラッドをふんだんに取り入れた独自のロックを造り上げており、またフロントマン、Larry Kirwanが吐き捨てるように唄う詞の内容は相当に政治的かつラディカル。

「GREEN SUEDE SHOES」(1996)
は上述の通り、彼等の3作目。 のっけから歪んだギターとパイプスが絡むタイトル曲はもちろんR&Rの古典「俺のブルー・スウェード・シューズにゃあ触んじゃねえ」のモジリで、自バンドの歩みを唄っている。そしてベトナム帰還兵を題材にした「My Love Is In New York」、ハンガーストライキで死亡したIRA闘士の告白「Bobby Sands MP」とシビアに攻めておいて、シェイマス・イーガンがバンジョーで参加しているアイリッシュ・トラッド(リール)を織り込んだ曲「Czechoslovakia」はほとんどコミック・ソング。さらにそれっぽいブルース・ギターで始まるロリ−・ギャラガーに捧げたナンバー「Rory」など。
ロック、パンク、レゲエを基本にアイリッシュ・トラッド、ニューオリンズ・スタイルを織り交ぜたサウンドは混ぜんとしているのだが、あふれる感情をシリアスな詞とおふざけスレスレで吐露する真摯なヴォーカルのお陰で散漫な印象にならず、むしろ楽し気なものに仕上がっている。
追記:98年のイギリス映画「ザ・ブレイク」に「Green Suede Shoes」が使われています。
追記2:2000年1月に大手レーベル、Shanachieから「Trouble In The Land」をリリース。

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私の所有するアイルランド関連のCDについては「'disc'graphy」のコーナーへ

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