舞台となる河

—ネパール、パシュパティナート 1995年5月

 

 

 

「2体の死体を焼き終わったんだよ。」

先ほどから隣にいる歯のかけた痩せた男が、芝居の内容を教えてくれるようにのんびりと河の方向を指差した。

ネパールの聖地、パシュパティナートのガンジスの支流は乾期の終わりを迎え、ゆっくりと流れていた。向こう岸の河川敷には2人の男がホウキでしきりに黒いものを掃いては、河に捨てている。その度にジュッという音がして、もやのような白い煙りが上がる。

さながら男達は裏方が芝居の退けた舞台を片づけているような淡々とした表情で作業を続けていた。緊張がとけて気の抜けたような空間。そこには心地よい疲労感と晴れ晴れとした空気が立ちこめている。

 男は指を鍵先に丸めて促がした。私たちは魔法にかけられたように男の後を付いて行く。

向こう岸にはまた新しい白い煙がまっすぐと紺青の空にたち昇り始めた。

 「ほら、見てごらん。彼は最後の戦いに挑んでいるよ。」

 雑草を踏みながら、向こう岸に渡ると男はいたずらっぽく笑いながら、煙に近づいて行った。

 その黒い塊は盛り上がり、くすぶった煙りを吐いていた。くの字型に折り曲がった棒状の先端は、なるほどボクサーのグローブのように丸まり、内側にエネルギーをため込んで、尚も細かく動いている。丸太のようにすっと伸びている部分は脚なのだろうか。

 死体は焼かれる時には、炎の勢いで身体が起き上がるという話しはどこかで聞いていたが、こんなに真近でそれを確認するとは思ってもみなかった。

 人間の体だと言われなければ、それはただの材木が焼け焦げているようにしか見えない。

 老婆がふたり無言ですわって、残り少なくなっていく遺体をじっと見詰めている。親族の者だろうか。

私たちのような旅行者が土産物屋を覗くような感じで、ここを通り抜けるのが非常に失礼のような気がした。申し訳ないような、悲しそうな顔を作って軽く会釈をした。偽善的な自分が浮き彫りにされたようでバツが悪い。

正直に言ってもう人間とはいえない物体を前に、自分が人の死を目の当たりにしているという実感がない。

 かって祖母の葬式を経験した。座敷に横たわる遺体はもう生きていた頃の祖母ではなかった。冷たくなった遺体を見ると必ず誰もが泣き伏した。死が悲しいというよりもその変わり果てた姿を見て、ショックのあまり声が出たのだ。

 ほんとうの悲しみはむしろかなり時がたってから、祖母がおやつだよ、と勝手口から顔を出したり、植木に小さな背中を丸めてかがんでいる姿を垣間見たような気がして振り返っても、もう二度と見ることがないのだ、と思うときにひたひたと冷たい波のように押し寄せてきた。

 老婆達はただ前方を見て、放心したように動かない。そこには悲しみというような感情は見られない。ただ人が死ぬとこうなるのだという事実をありのままに受け入れているという行為に他ならない。どんな人間も最後には変わらぬ物理的な終わり方をする。

 想像していたようなおどろおどろしい情景ではなかった。あまりにも静かな時間。やがて、この動きが止んで炎が消えたとき、また先ほどの男達がやってきて、河に向かって煤を掃き捨てるのだろう。舞台の後始末をするように。

 「10ドルでいいよ。」

冷静に考えるとこの国では法外な金額を言って、悪びれずに男は舞台の観賞代を請求した。左側の小さな階段をぬけると表に出られた。

ヒンドゥ教徒でなければ決して入れないという寺院の前の広場は光と色に満ちあふれている。けたたましい音楽が鳴り響き、花婿と花嫁が極彩色の衣装をまとって登場した。人生の晴れ舞台に立つ二人は神々しいような輝きに包まれている。

 私たちもついこの間、ずっと北のまだ春になりたての国で彼らと同じ舞台に立っていた。この世で心安まる人に巡り会えたということは、どんなに尊いことか。

 亡くなった祖母がそのことをどれほど、どのように喜んでくれるか、今、目の前にありありと想像することができる。

 周りを取り囲む群衆に混ざって花嫁の顔を見ようと前へ進み出た。恥かしそうにうつむいた花嫁のくっきりとした横顔が茜色のベールの中で揺れた。

 その向こうでは決して止まることのない河の流れと、静かな充足した舞台が続いている。