5月30日 日曜日 バックパッカーとして


 僕はバックパッカーだ。バックパッカーとはバックパック(リュック)ひとつで旅をする人のことを言う。バックパッカーの旅行には、予定なんてあってないようなもので、体ひとつと最低限のものだけもって、自分が興味ある世界を旅するのである。荷物は出来るだけ少ない方がいい。宿だって決まってないし、どんな移動手段でだって動けるように身軽でなくてはいけない。そういう旅行をしていると、人間が生きていくためにほんとに必要なものなんて、ほんの少ししかないことが分かる。だからなのか、短期の旅行だというのに、アホほど荷物を担いでやってくる人を見ると、一種軽蔑に近いような気持ちがわき起こる。その手の人たちの荷物の中には、旅行中に数度しか使わないようなものがたくさんはいっているのが常だ。そんなものは知恵を使うか、ちょっと我慢するか、どうしても必要ならば現地調達してしまえばいいのだ。僕達が日頃から使っているものが、その現地にないものあっても、現地の人はそれで生きているのだから慌てなくてもいい。むしろ、現地の人々の生活に合わせて時間を過ごすこと。それ自体が旅だと僕は思っている。だから、外国に行く時にみそ汁を常備していたり、サトウのご飯を持っていたりするのには、僕はあまり賛同できない。そのなかでも一番びっくりしたのは、ローマの街で韓国人がでっかいクーラーボックスからキムチを取り出して、幸せそうに食べているのを見た時だ。石に縛り付けてトレビの泉に沈めるか、真実の口の中にスタンガンを仕込んでおくか、スペイン階段の一番上から突き落とすしかないと思った。いつも自分が過ごしている環境を、旅に持ち込むことは、受け入れてくれるその文化や環境に失礼であると僕は考えるし、それは旅に対する冒涜でもある。でも、人間なんて、いつも過ごしている環境が少し替わるだけで、いろんなことに対応できなくなったりする人がいっぱいいるのも事実ではあると思うので、100歩譲って「ローマでキムチ」や「ハワイでみそ汁」は許そう。しかし最後にひとつだけ言わしてくれ。最近テレビで見た通販番組の中でみた、携帯型DVDプレイヤーのCM。「キャンプに行った時でも、好きな映画が楽しめます」。こんなやつは、いますぐ逝ってよし。

 ところで、なんでそんなことを書いているかを説明すると、妻とハネムーンのスタイルについて喧嘩になったからである。僕達のハネムーンはクロアチアを予定している。クロアチアは十年前くらいは内戦ではちゃめちゃだったのだけど、その前はヨーロッパ有数のリゾート地で、美しい景色と、おいしい食材に恵まれた素敵な国なのだ(行ったことないけど)。内戦が終わった今は、昔の状態を取り戻し、リゾート国として、ヨーロッパの中で絶大な人気を誇っている。不思議なことなのだけど、クロアチアのそんな情報は日本には全然流通していない。直行便もなければ、本屋にガイドブックもない。でも、だからこそ、僕はそこに旅に出るのである。みんなが知っているところに行っても楽しくない。というわけで、ハネムーンにクロアチアを推薦したのだが、イタリアやフランスやモルディブなんかを期待していた妻に抵抗にあった。そんな嫁には、クロアチアの中でも最も人気があるドブロブニクという街を紹介した。ドブロブニクは別名「アドリア海の真珠」と呼ばれ、イタリア人も憧れるという絶景の地なのである。城壁に囲まれた街にある白い家に赤茶の屋根が映え、コバルトブルーの奇麗な海。妻に写真を見せたら「そこでOK」ということになったのだけど、問題は僕はバックパッカースタイルでそこに行こうとしていたことである。予約なし、予定なし、手荷物できるだけなし。だって、情報がないし、どうなるか分からないし、予想だにせぬいい場所を見つけてそこにずっといたいかもしれないし。すべてのルートを予約なんてしたらせっかく見つけたいい場所に留まることができないなど、融通が利かなそうだし。でも、なにより、次に見える風景が予想出来ているというのは、僕にとってそれはすでに旅ではない。旅の中での自由な選択肢から生まれる、偶然の出会いや出来事。これが、僕にとっては醍醐味だから。旅、そのものだから。そして、なにより、僕はそのスタイルでいままでのほとんどの海外旅行をやってきて、一度も楽しくなかったことがないから。

 まあ、しかしながら、これは妻のいう通り、ステレオタイプなハネムーンスタイルからは大きく逸脱する。いわんや、何をやるにしても、あらゆるイベントは子供の頃に夢を見た、ステレオタイプなスタイルで執り行うのが好きな妻である。新婚旅行でいうならば、南の島の海の見えるコテージが宿で、宿に着くとハイビスカスのレイをかけられて、「コンニチワ〜」とか、下手な日本語で言われて、こっちはバカの一つ覚えの「ボンジュール」と「メルシー」と「セボン」くらいしか言えなくって、あこがれの部屋の大きなベッドには天蓋が張ってある。そして旅行代理店のハネムーン担当者に「いま、海の見える部屋から波の音を聞きながら手紙を書いています。いろいろとありがとうございました。やっぱりハネムーンはタヒチで正解でした」とか書いてしまうのである。それが、彼女にとっての旅なのである。これはあきらかに僕の思っている旅とは違う。しかも、分が悪いことに多数決をとると、ほとんどの人が後者に味方に付くと思われる。今回はハネムーンということで100歩譲って旅行用の鞄はを、長い取っ手の付いたトランクケースみたいなやつにした。車が付いているやつ。リャリーっていうのかな。これで、今回の旅行のスタイルはもう既にバックパッカースタイルではないが、そこに固執してもしょうがないので、そのステレオタイプな海外旅行タイプで行くことにした。実は、僕が上に書いたバックパッカースタイルだって、ひとつのステレオタイプである。つまるところ、この両方を「旅」というひとつの言葉で兼用しているのが良くない。僕は今回、新しいタイプの旅行に出かけるのだ。そう自分に言い聞かせた。出発は3週間後である。このとき、宿も飛行機も決まっていない。実は、その件で後日、また大もめになるのだけど、それは書くと長くなるので割愛する。結婚とは大変である。

karrimor air port 70 リュックにもなる。
バックパッカーとしての最後のあがき。

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