5月8日 土曜日 悪意渦めく東京にて
昨晩、西麻布のカラオケ屋で会社の同期と遊んだ後、午前三時頃店を出た。久々に外でお酒を飲んだら、気持ち良くなってしまって、どうやら2時間くらい眠ってしまっていたらしい。まあ、それはいつものことなんだけど、眠い目をこすりながら店の外に出ると、嫌な光景が目に飛び込んできた。僕の自転車がひっくり返っていたのだった。ひっくり返るという言葉の通り上下逆さま。サドルは地面にへばりつき、車輪は天を仰いでいた。自転車自体はワイヤーでガードレールにくくりつけていたので、その場に留まってはいたのだけど、そうでもしていなかったら車道にでも放り投げられてしまっていただろう勢いだ。そんな自転車の姿をみて、僕は悲しい気持ちになったが、怒りは不思議と湧いてこなかった。都会がこんな理不尽な暴力に包まれていることなんて解りきったことじゃないかと、酔っぱらった頭ながら冷めた目でそれを見たのかもしれない。僕はかわいそうな自転車を元通りに立て直してから、ガードレールにくくりつけたワイヤーを外して自転車にまたがった。それじゃーねー、とそれぞれの家の方向へタクシーに乗る友達を横目に、自転車を漕ぎ出したら様子がおかしい。「あ、空気が・・・。」これにはさすがに脱力した。僕の自転車を引っくり返した悪意は、引っくり返すだけでは物足りなかったか、タイヤにまでその悪意をぶちまけていたのだった。時間は午前三時。これじゃあ、自転車に乗って帰れそうもない。僕は自転車を押して、少しだけ場所を変えてから、タクシーを拾って家に帰ったのだった。土曜日の朝、目が覚めてから中国語の教室に行って「私は日本から来ました」と言えるようになってから、タクシーで西麻布に自転車をとりにいった。西麻布からはちょっと歩けば広尾がある。広尾はお金持ちが住むハイソな街だけど、商店街もちゃんとあるし、自転車屋さんでパンクを直せればと思ったのだった。自転車を置いてある場所について、ひとつ、ため息をつき、僕は広尾まで歩き出す。タイヤをよく見てみると、どうやらパンクではなく空気が抜かれているようだった。ということは僕の自転車は、昨晩僕がカラオケで寝ている間に空気を抜かれた挙げ句に、持ち上げられて投げ飛ばされたのか、引っくり返されたかだろう。そんな昨晩の自転車の姿を考えると心が痛んだ。これは確実な「悪意」そのものであった。新たな事実が発覚して、すこし気がめいったけれど、幸い天気はよく、西麻布から広尾までの散歩は気持ちの良いものであった。広尾の商店街には10分ほどでついたものの、結局そこには自転車屋さんは存在しなかった。ずいぶん探しまわった挙げ句に、酒屋のおやじに聞いたのだから間違いない。「ああ、広尾には自転車屋さんはないんだよね。恵比寿までいったらあると思うけど」。広尾はお金持ちの街だから、きっとみんな自転車がパンクしたら乗り捨ててしまうんだろう。夕方からは仕事にでなきゃいけないのに、この時間のロスは痛いが、しょうがないので恵比寿に向かって歩き出す。たぶん20分くらいでつく。そんな恵比寿への道すがら、とある自動車整備工場の前を通り過ぎた。ものは試しと、整備士のおじさんに話しかけた。「西麻布で自転車の空気を抜かれて困っているんだけど、空気入れてもらえたりしないよね?」。整備士のおじさんは「お、いいよ、こっちおいで」と快く僕を工場の方へ招き入れて、自動車専用の空気入れで勢いよく空気を入れてくれた。自転車のタイヤはあっという間にぱんぱんに空気が入った。「なかなかいいもんもってるだろう?」と、得意げにおじさんは言った。悪意もあれば善意もある。都会とか田舎とか関係なく、そういうのって人間全体にある程度は存在するものなのだ。終わり良ければ、、、じゃないけど、結局のところ、おじさんの善意のおかげで、僕はいい気分で自転車をこいで家に帰ることができたのだった。
帰り道にある空き地。シロツメクサとかたくさん咲いてて奇麗。もうすぐマンションが建設される予定。