4月25日 日曜日 キルビル vol.2
ビートルズの「ラバーソウル」をかけながら、昨晩からうちに泊まりにきている前田氏と一時間ほどバックギャモンをしたあと、彼を田町駅に送り、僕はそのまま自転車に乗って平和島のシネコンに「キルビル vol.2」を見にいった。vol.1が公開された当初、僕の周りの人たちはキルビルに対して辛口の感想を述べる人が多かった。多かった声は「日本のサムライをおちょくっている。」とか、「日本に憧れた外国人が空手や柔道に憧れてるように、タランティーノは日本映画に憧れて、外国人なりの解釈でサムライ映画を撮ったのだけど、それがチンケだ」とか、そういう類の意見であった。タランティーノに特別な思い入れのない僕は、それらの感想からキルビルは、つまらないB級映画なのだろうと推測し、忙しかったこともあり結局キルビルを見ることはなかった。知らなかったのだけど、キルビルは完成当初から2部構成で公開されることが決まっており、この週末からVol.2が公開されていた。それに伴ったプロモーション活動で、Vol.1のDVDが発売され、レンタルビデオでも借りることができたので、僕はDVDを借りてきてキルビルを観たのだが、それがもうすばらしい出来だったのである。前述の辛口批評をしていた会社の先輩たちは、いったい何が不満だったのか解らない。彼等はマトリックスをべた褒めする人種だ。僕はマトリックスが全然好きじゃないし、面白いとも思わない。どうやら人種が違うらしい。金曜日に「vol.2は見るか見ないか迷うなぁと言っていた先輩を後目に、僕は迷いなくキルビル vol.2を観にきたと言うわけだ。 この映画は、あらゆる映画を知り尽くした映画オタクであるタランティーノの集大成で、すべてのすばらしき映画に対するオマージュになっている。ほとんどのシーンにはモチーフがあり、そのコラージュとタランティーノなりのポップな映像が混ざりあいひとつの新しいストーリーとしてまとめてある。オムニバスであり、その連続性がとびきり新しい表現となっている。vol.2はvol.1にくらべてストーリーがたっていたが、それでも随所にほくそ笑ませるところが多々あった。この映画の制作はさぞ楽しかったであろう。自分が好きな映画の好きな場面を、自分なりにリメイクしてよりよくしたうえで、それがひとつの作品として成立しているのだから。映画館を出た後、自転車を漕ぎながら、僕はちょっとへこんだ。圧倒的な才能を見せつけられると、なんだかへこむ。もちろん、僕がタランティーノと同じくらいのことをしているかと言うと、全然そんなことないのだけど、それでもへこむ。才能とはこういうものだ。努力と、「好きこそものの上手なれ」とはこういうことだ。それを極めると、こんな面白いことが出来るのである。僕が日々、僕なりに考えて行動していることなど、のみの耳くそほどかそれ以下だ、とそう感じる。タランティーノは天才だ。今日、キルビル vol.2を観てそう思った。とはいえ、表現というもののひとつの回答を観た。この衝撃を忘れずに痛いと思う。