4月24日 土曜日 29才になる僕たちについて
土曜日の夜、僕は高校の同級生である前田氏とふたり、僕の家で酒を飲んでいた。もうそろそろ日付けも替わる頃ウイスキーを飲みながら聴いていたマイルス・デイビスのアルバムが終わり、部屋はしんとなった。「何か懐かしいやつをかけてよ」という前田氏のリクエストに応え、奥田民生の「29」というアルバムをプレイヤーにセットし、部屋の明かりを消した。僕と前田氏は、まだ大学一年生だった10年前、奥田民生に傾倒していたのだ。僕らより、ちょうど10歳年上の奥田民生は、ユニコーンを解散してソロ活動を始めたばかりであった。ソロデビュー作であるこのアルバムには、ユニコーン時代とはあきらかに異なる曲がズラッと並んでいた。10年前の僕らにとって、それはちょっと大人の臭いがするアルバムであり、また、彼独自のだらだら感に満ちあふれたスタイルは僕らの心に響き、「こんな大人になりたい」と思ったものだった。後にも先にも、僕が日本の芸能人に憧れたのは、この時代の彼のみである。僕と前田氏は、福岡と東京で別々に暮らしながらも、奥田民生が持っているスニーカーやブーツ、Tシャツ、ジーンズを真似て奥田民生風を気取り、彼の作る歌に影響されて、力の抜けた歌を作って歌った。僕は彼と同じ形のギターを13万円も出して買った(ギブソンは買えなかったのでオービル)。僕と前田氏にとって「奥田民生」とは、ひとつの「時代」なのである。驚くことに、あれから10年の月日があっという間に流れ、僕達はいつの間にか29歳になろうとしていた。最近の彼の活動に関しては、熱心に追いかけるようなことはしていないのだけど、昨年の秋頃、ツアーのチケットがとれたので、前田氏を誘って日本武道館にライブを見にいったその帰り道。ふと来年は自分達が29歳になることに気付いた。「ねえ、そういえば俺達、来年はもう29歳やねぇ。民生は29歳の時にはユニコーンっていうひとつの形を作り終えて、ソロ活動をはじめて、あの「29」を作ったんよね。これってヤバくない。俺達が憧れた頃の民生の歳に、俺達なりようとよ。」と、僕は前田氏に話しかけた。僕らはお堀沿いの道を九段下の駅に向かいながら、二人で「う〜ん・・・」と唸るしかなかった。そんな会話を思い出して、このアルバムをかけたのだった。僕達はウイスキーやビールを飲みながら、暗い部屋の中で響く「29」を黙って聴いていた。その沈黙は「あれから10年がたったんだなぁ」と言っているようだった。10年前に「俺達、早く30歳になりたいよね」なんて言っていた僕らは、そろそろその希望が叶いつつある。しかしながら、これはちょっとまずいかもしれない、とやや焦りを覚えながらも深く入ってきたアルコールが、眠気を誘ってそんな気持ちもどこへやら。「29」が全曲終わると、部屋はまた静かになった。きっと、前田氏と僕、それぞれ思うところがあったと思うが、それには言及せず、思いを心に秘め、床に入ったのだった。
すごい地味なアルバムながら、確か100万枚は売ったのだよね。