1月31日 土曜日 頼むぜオヤジの巻
昨日から東京に出てきている両親を連れて、婚約者の実家へお伺いする土曜日の朝。ご両家の顔合わせというやつだ。通常はここで「結納」という儀式が行われるのだけど、僕らは婚約者との話し合いで、それをやらないことにした。そのかわり、うちの一家が先方宅へ挨拶に行くことになっていて、それが今日なのである。行きすがらの中央線の窓からは、新宿副都心が綺麗に見えて、スケールの大きな建物群の姿に両親は見とれているようだった。僕がはじめて東京に来た時も、新宿の副都心はなんだか要塞のように見えて、紅潮感のようなものを感じたのを良く覚えている。高層ビルに着いている赤いランプが暗いような明るいような都会の夜の闇に瞬いていて、その見なれない異様な風景が今でも忘れられない。
余裕をもって出た僕らは30分ほど早く、目的の国立駅に着いてしまった。しょうがないのでスターバックスコーヒーで時間をつぶしていたら、婚約者が振袖を着て迎えに来てくれた。シチュエーションにはシチュエーションにあったことをするのが好きな彼女だ。振袖姿も悪くないと思った。車を運転してきたお義父さんも、前回お会いした「部屋着バージョン」から一転。とても上等そうなスーツに身をまとっていて、カッコ良かった。僕らは先方宅へお邪魔して、改めてのご挨拶をしたあと、品のいい料亭に場所を移して祝いの席を持った。初対面の両親同士で、どんなことになるやらと心配していたのだけど、何の問題もなく和やかに時間は過ぎていった。おいしい和食をご馳走になり、たくさん写真を撮った。何気なく押したシャッターだけど、何十年後に見る時は僕と彼女の、ひとつのマイルストーンになるんだろう。昨年、何かの時に僕の母が、はじめて祖父母のところへ挨拶にきた昭和49年の写真を見たのだけど、その写真の中に写る父や母、祖父母は形式上つくられたぎこちない親近感にあふれながら、今まさに何かが始まる時のような顔をしていた。母は父の一家とはあかの他人だったのだと、改めて感じたら不思議な気持ちになったが、今日の写真もそんな写真になるんだろう。僕の子供が今日の写真を見る時は、どういうことを感じるだろうか。
さて、宴もたけなわで解散した後は、父の希望で新宿へ行った。昨日、行きたいところがあるかと尋ねたら「新宿と池袋っていうのはどげんかいな(新宿と池袋ってのはどう?)」と父は応えた。「池袋…?」と普通は思う。もはやサンシャイン60は観光地でもなんでもない。いまさら池袋に行きたいってのはどういうことなのかと尋ねると「いや、ハトマメのイベントがあるけんくさ。それが見たかったい」と父。「ハトマメ?」と戸惑っていると、母がハトマメを解説してくれた。それは「さんまのスーパーからくりTV」が番組内で企画した曲の曲名で、セイン・カミュを中心とした在日外国人がユニットを組んでCDを発売したものとのことだった。そのCDの発売イベントが、池袋のHMVであることを、父はどういうルートかで知っていたのだった。それがどういうものかはわからなかったが、なにはともあれ、東京に来たら芸能人に会いたいという気持ちは良くわかるので、インターネットでイベントを調べて問い合わせをしたが、あいにく、CD購入後の整理券の所持が、会場への入場には必要だとわかり、父は残念ながらハトマメイベントには行くことができなかった。しかしながら、僕はその「ハトマメ」というCDのことが気になったので、レコード屋さんで「ハトマメ」を買って帰った。家に戻って曲をかけると、セイン・カミュのへたくそな歌が部屋に流れた。歌詞の内容は、浅草寺でハトのえさ用の豆を自分で食べている外国人に「それはハトの食べるものですよ」と教えてあげたかったのだけど、英語がわからなくて伝えられなかったという経験から、英語を勉強しようと決めた人の気持ちを歌っているという、完璧にしょうもない企画モノだった。その曲を聴きながら、僕はちびまるこちゃんのまるこが、父のヒロシを責めるときのような気持ちで「これをあんなに生で見たがっていた、父っていったい…。」と部屋に立ち尽くした。切れの悪い一日の終わりに、ため息をつきながら布団に入った。その曲のことを、楽しそうに解説している父母の顔を思い出しながら。