12月28日 日曜日 夕日が奇麗なところがあるから
最近、新居に引っ越した友人の執行氏を訪ねて、車で西へ向かっていたら、夕日が奇麗に見えるところがあるから、そこに行こうと携帯電話に連絡が入った。執行氏たちは先に行っているから、僕らは追って同じところを目指すことになっていた。結局、僕達の車は道を間違えて、沈む夕日を見逃してしまったのだけど、いなくなってしまった太陽は、まだ夕焼けを作っていて、それを少しだけ眺めてから執行氏の新居へと向かった。福岡という街はちゃんとした規模と利便性を持ちながら、少し車を走らすと海があって、山があっていい。東京でそれをやろうとしたら、倍以上の時間とお金がかかってしまう。僕は別に超自然派ではないけれど、適度に自然がないと、人間はやっぱり落ち着けないんじゃないかなと思っている。街だって、東京みたいに大きいと、なんだかひと一人一人の価値が薄まっているような気がするしね。街で人と肩がぶつかっても、詫びさえ入れないでしょ。自分が生まれ育った街だから、すべて自分にちょうど良いような気がしているだけかもしれないけどね。でもさ「夕日が奇麗なところがあるから、見にいこう」なんて、ちょっとしゃれてるじゃない。そんなことを考えながら、執行氏の家に着いた頃には、たんぼに囲まれた福岡郊外の街は闇に包まれていた。静かな日曜日の夜。昔なつかしいビデオなんかを見て楽しんだ。