11月22日 土曜日 誇らしげな花婿。潔くうたう。
今日はこの2ヶ月で4回目の結婚式だった。この日記にもたびたび結婚式の話題が出てきたが、それも今日でひとやすみになる。4回の結婚式で思ったのは、結婚式ににじみ出る、新郎新婦の人間性についてである。結婚式は式場がプランを持っているとはいえ、必ずその夫婦ならではの嗜好が凝らされ、彼ら自身の特徴がでてくる。そういってにじみ出てくる彼ら、彼女らの人間性に触れると、僕は純粋に嬉しい。それが、客をもてなすためであっても、自分達の自己満足のためであってもだ。僕に訪れた「結婚式ラッシュ」はひとまず終結するけど、どの結婚式もそれぞれ、その人達らしくてよかったなぁというのが感想。
そもそも、僕は自分が結婚式をあげることに対してはネガティブではあった。なにしろ金がかかりすぎるし、大量の人々にご祝儀を要求してしまうことになる式は、本当に必要なのだろうかと思っていたからである。でも、結婚していった人達の言葉やそのときの表情などをみていても、それは十分にやる価値のあるものだと思ったし、呼ばれる側としても、相手が親しい人ならばいちいち楽しめてしまうもんだなぁ、と自分でも意外な感想をもったのだった。ひとえに、結婚披露宴のマンネリを解消すべく、ウエディングプラナーなる人達の努力の結晶なのかもしれない。しかし、式の演出もさる事ながら、嬉しいのは人間自身が出すべき味を出し切っている式である。今日はそんな式だったと思う。
お台場の高層ホテルから眺めた東京は、どこまでも晴れ渡り、そんな天気を呼び込むのも実力だよなぁ、と僕に思わせるナイスガイ大窪氏の結婚式は幕を上げた。花婿は花嫁を横にたずさえ、誇らしげに会場全体を見渡し、ゆっくりと式場へ入ってきた。花嫁はうらやましいくらい綺麗だ。緊張のせいで少し弱々しく見えるが、隣にいる力強い花婿が、彼女をしっかり支えている光景がむしろ美しい。花婿も緊張はしているようだったが、その緊張を逆手にとって、いつも以上に堂々と振舞っているかのようにみえた。結婚披露宴という一生に一度の晴れ舞台を、誰よりも味わってやろう。そんな思いが、彼が入場時に会場を見渡した表情から伺えたのだった。僕はなんだか愉快な気分になった。これだけ堂々としていれば、見ているほうも気持ちが良い。
花嫁花婿が人形になってしまっては、面白みにかける。今日の結婚式は、まさに大窪氏が主役であった点が僕の満足点であった。なんだか、人の結婚式をえらそうに評している風だけど、大窪君に「僕は君の結婚式を見ていて愉快だったよ」といいたい。式の途中、花嫁のお色直しを追って、花婿が一次退場をする際に、司会者がエスコート役を募ったので、迷惑かとは思ったが張り切って立候補させていただいた。出席者である僕も、ただの人形になるわけにはいかなかったのだった。彼の腕を取り、出口までエスコートする。僕らは並んで腕を組んで会場にお辞儀をした。なんだか愉快だった。そうそう、11月22日は「いい夫婦の日」だそうです。お幸せに。