11月15日 土曜日 愛国心、愛校心とかそういうたぐいのもの。
僕の大学の恩師である先生が、九州大学の教官として紹介され、スピーチのために前へ出た。今日は大学のゼミの同級生であるよしちゃんの結婚式で、僕と彼女の恩師も主賓として出席しているのであった。スピーチは始まる。先生は、話の頭に「私は現在、九州大学の教官でありますが、今回はあくまで九州芸術工科大学の教官としてお話をさせていただきたい。」と言った。僕やよしちゃんの母校であり、先生の長年の職場であった九州芸術工科大学は、近年進められている、国立大学の統廃合の対象となり、2003年10月1日に九州大学芸術工学部として九州大学に統合された。それにより実質「九州芸術工科大学」の名称は、その日をもって消滅していたのだった。 僕らの先生は、日常からそういうことを多く口にする方ではないと思っていたので、その台詞は僕にとって、とても意外だった。式の参列者にとっても、スピーチをする先生の肩書きが九州大学であろうと九州芸術工科大学であろうと、どちらでもかまわないはずだった。でも、先生はそれにこだわって話を始めた。それは、愛校心みたいなものであり、僕もその気持ちは強いほうなので、「ああ、先生もそこにこだわってくれるんだ」と、少なからず嬉しい気持ちになった。関係ないひとには、どうでもいい話かもしれない。でも、僕にとっては生まれた村がダムに沈んだかのような、やるせなさが充満していた。僕なんかより、ずっと長い間大学にいた先生にとっても、当然そういう思いがあったのだと思う。
愛国心とか、愛校心とか、帰属するものに対しての愛情みたいなものを、あまり持たない人もいるけれど、僕はなぜだかそこは大事にしたいと思うのです。国のことだって、学校のことだって、心底愛しているとかではないのだけど、総論的には自分が帰属する集合を誇りに思っていたい。大事に思っていたい。そういうのって馬鹿らしいかな。そういう風に言う人もいそうだけど、とか思ってるなかで先生がそこにこだわってくれたのが、僕にとっては嬉しかったのだろうと思う。
式が終わった後の3次会は、大学のクラスのみんなと、新郎さんだけで飲んだのだけど、その時に「やっぱり、うちの大学の人にはうちの大学の独特の雰囲気があって、今の自分の回りにはこういう人たちがいないから、なんだか安心する」というようなことを言っている人がいた。僕も同じようなことを考えたことがある。結局、国でも学校でも、その枠のなかで独特の文化やコミュニケーション法が存在していて、その違いとかそれに対する愛着のようなものが、愛国心とか愛校心の根源になるんだろうなぁと思った。そこにばっかりこだわるのも良くないかもしれないけど、今日は、無くなってしまった僕の大学の人々が、なんだか愛しく思える出来事が多々あった1日であった。