11月8日 土曜日 釣りという正当化された怠惰。
いちねんぶりに釣りをした。海釣りだ。いちねんぶり、にかいめ。会社の人と、デザイン会社の人と、印刷会社の人とで漁船を借り切って、小田原の港から沖に出る。秋も終わりに近づいているだけあって、土曜日の朝はなかなか肌寒い。ところで、今日はこの釣りのために5時半の起床だった。5時の起床は、ただでさえつらいのに、昨晩の仕事といったら3時までおわらないでやんで、おかげで2時間しかねとらんのです。しかも、午前中のポイントはまったく魚がかからず、僕は釣り竿をおなかでかかえ、ずっと寝ておった。果報は寝て待つのだ。しかし、果報はこず、ただ睡眠だけが獲れた。いや、取れた。
あまりに魚がつれんので、たまらずわれわれは別のポイントに移動した。そこではめでたく大漁の鯖が釣れた。「鯖はもういいよぉ」といいながら、鯖ばかり釣った。本当はハマチのでっかいの(イナダという)が釣れるというんで、楽しみにしていたのだけど8人がかりで2匹しか釣れなかった。僕は鯖と鯛の子供のみ。そいつらをかついで、デザイン会社の社長宅へ乗り込み、奥さんに魚の3枚おろしを習う。10分で習得。これで、魚屋さんで魚が丸一匹買える。これは嬉しい。調子に乗った僕は、さっそく包丁がほしくなった。ボーナスが出たら、いい包丁を買おうと思う。
しかし、釣りっていうのは、餌さえ放り込めばあとは待つだけっちゅう、なんとも平和な行為で、その間は何もしてない。達人はなんかするのかもしれんが、僕は何もしない。待つだけだ。なので、ただ「ぼーっと」するわけだけど、その「ぼーっ」には、「あ、かかった!」という幸福な区切りが訪れるわけで、釣りってのは「ぼーっ」が好きなら、全編幸せに満ちた素敵な遊びなのである。そいで、釣れたての魚を切ったり焼いたりして食べたらおいしいのである。今日の僕も、社長宅で鯖を刺身にして、ほくほくの御飯で食べたりした。これはうまくないはずがなかろうて。第一、鯖はいたみやすい魚なので、通常生で食えないわけで、それが食えるプレミアム感ちゅうたら、格別なわけです。
社長の家は社長だけあって、とっても素敵です。でっかいプラズマテレビがあって、地下室があって、いい酒が並んでて、車はマセラティで、米は魚沼のひとが買いに来るほどうまいというこしひかりで、わさびは本わさびをその場でおろし、海苔は有明さんの高級のりで、そいで、その社長がすごい人柄が良くて、そーいうのが全然いやみでなく、ただただ素敵に映るわけです。幸せな人生と正しい金持ちのかたちだなぁ、とひとしきり感心したあと帰路につく。それにしてもさすがに昨晩の睡眠時間が短すぎて、家についたらすぐダウン。電車を下りて、家まで歩いていると、どんどん地球が傾いてきて、大丈夫じゃない感じがした。19時ごろ布団に入り、睡眠に落ちるまでの時間、数秒であった。のんびりしたような、命をすり減らしたような、不思議な休日であった。