10月25日 土曜日 博多のうまいもんば食うてきたばい


 福岡の実家で目がさめた。明日は妹の結婚式で、そのために昨日の夜の便で福岡に帰ってきていた。今日は、祖父、祖母とうちの家族とで最後の食事会をやることになっていて、僕は朝から久留米市に住む祖母を、車に迎えに行く役目になっていた。目覚めは9時ごろ。いたって健康的に目覚めた土曜日の朝。土曜日に二日酔いでなかったことなんて、いったい何週間ぶりだろう。実家なので健康的なのだ。10時には家を出て、片道1時間ちょっと。母親と一緒に家を出た。

 僕が学生時代に70万円で買った中古の日産マーチは、新型マーチが台頭している今となっては、ずいぶんとしょぼくれて見えた。走行距離は10万キロに迫ろうとしている。よく頑張った。まだまだ走りは良い。車は南へ南へと向かう。窓の外を流れる福岡の景色は、やはり僕をほっとさせる。見た目は東京の郊外と変わらないけれど、何かが大きく違う。不思議だけどそうなのだ。うまくはいえないけど、何かが明らかに違う。匂いだろうか。光の色だろうか。福岡市を離れていくに連れて、風景はどんどん田舎らしくなっていく。筑後平野の稲穂は半分くらい刈り取られていて、秋が終わりに近付いていることを教えてくれる。柿の木に実がたわわになっていた。

 考えてみれば、東京では柿の木でさえ見ることができないでいる。この季節は、柿の木に橙色の柿がずっしりとぶら下がり、キンモクセイはその強烈な香りを街に振りまくのだ。そういうのがない世界って、やっぱりつまんないと思うんだけどなぁ。そんなことを思いながら、車を走らせているうちに、ばあちゃんの家についた。僕らはばあちゃんを車に乗せて福岡市内に戻る。まさに「とんぼがえり」。久留米のばあちゃんは83歳。本当の誕生日は11月3日なのに、戸籍上は1月3日になっているらしい。「年の終わりより、年の初めの方が縁起が良いからね。」とばあちゃんは車のなかで言っていた。12時半には、福岡市内の我が家に到着していた。

 妹の結婚を祝う食事会は、1時間ほどで終わって、僕は高校時代の友人、柳氏と合流して福岡の繁華街、天神で明日の結婚式用のネクタイを購入。その後、同じく高校時代の友人、執行氏と合流。夜はお気に入りのラーメン屋に行った。頑固おやじは健在で、シンプルでスタンダードな、正しい博多ラーメンを作り続けていた。東京でもいろんな豚骨ラーメンが流行っているけれど、僕はここ「梅ちゃん」のラーメンのような無骨なものが本当の博多ラーメンなのだと教えてあげたい。華はないけれど、これぞ博多っこの魂なのである。しっかりとしたスープには心地よい臭みがあって、油はやや多め。具はチャーシューと、紅ショウガと、ネギと、白ごま。それだけ。うまい。ほんとにうまい。


 ラーメンとビールを平らげ、僕のたっての希望で、その近くにある別のラーメン屋で2杯目のラーメンを食べる。こちらはちょっと進化したラーメンで、これはこれで東京には絶対にない、博多ラーメンの進化系としては完璧に完成された、無二のラーメンなのである。僕は、日本中のラーメン屋で麺部門ランキングをつけろといわれたならば、ここ「土占(てん)」(つちへんに占と書くのだけど漢字がでらん)のラーメンをチャンピオンに据えたいと思う。オリジナルの極細麺は、注文時に固麺で仕上げてもらうに限る。その歯ごたえは「こりこり」していて、がしかしただ固いわけではなくって、その歯ごたえの心地よさは、もう神業の域なのである。もちろんスープもチャーシューもうまい。麺もスープもチャーシューも、この店でしか食べられない味でありながら、特異なものではなく、いたって博多ラーメンという枠のなかで完結しているすごいラーメン。無骨な「梅ちゃん」とは、ある意味、正反対にある博多ラーメンといえる。

 その後、大好きなもつ鍋屋に行こうとしたら満員で入れなかったので、1時間後の予約だけして、貸しスタジオに入る。楽器を借りて、3人でロックンロールごっこをして、腹ごなしをしたあと、でもつ鍋屋に突入。もつ鍋を食べた。うまい。うまいが、さすがに腹がいっぱいになってきた。しかし、もつなべを食べ終わったあとは「ちゃんぽん」を入れなくてはいけない。今晩3種類目の麺だ。多すぎるが、もつ鍋の後はちゃんぽん麺だと決まっているのでしょうがない。ちゃんぽんをなんとか食べてしまうと、もうこれ以上は無理。腹一杯になり過ぎて、まともに動けなくなってしまった。自爆。あほみたいだが、うまいもんが、たくさんあり過ぎるのだからしょうがない。本当にしょうがない。ああ、うますぎる、博多の食べ物は。明日は妹の結婚式。

お祝儀10まんえんを妹に贈呈しているシーンを撮影。

日曜日へgo! / Diary Topへ戻る

Home