9月14日 日曜日 戸越という町、祭りに酔う。
祭だ。僕の住んでいる戸越の町は祭一色だった。町の人たちの表情は祭りの色に染まり、はっぴや浴衣を着込んだ人たちの表情は、どこか誇らしげだ。祭の中心地、戸越八幡宮の境内には露店が並び、浴衣を着た中学生や高校生が、一年に一度のおめかしを披露していた。町の片隅の駐車場にはゴザが敷かれ、テーブルが並べられ、その上には惣菜や酒が並んで、人々がそれを囲んでいる。町の長老らしき人が真ん中に座り、その後ろにはお神酒やお供え物が積まれている。この祭の伝統を、そういう風景や人々の表情から感じとることが出来る。戸越の人たちはきっと、小さな頃から一年に一度訪れるこの祭を心待ちにしているのだろう。各町内は、自分たちの御神輿を持っていて、それを担ぐのを楽しみにしているような町の人たちの顔はとても印象的だった。夕方に、御神輿を担ぐ彼らを実際に見たけど、みな一様に良い顔をしていた。僕がこの町の生まれだったら、きっと同じようにこの日のために、いろんなことをしていたのだろう。3年前にこの町に越してきた僕はにとっては、祭は参加するものではなく、風景でしかなかった。
この町には戸越銀座という有名な商店街がある。1.6kmある商店街は、直線距離だと日本一の長さを誇るそうだ。全力で走っても5分以上かかる。祭色の商店街を散歩しながら、ひとりで寿司屋に入る。この寿司屋とは結構な馴染みで、月に2〜3回くらいは顔を出す。軽くつまめば3000円くらいだし、お腹いっぱい食べても5000円程度。同じ物を銀座で食べれば、軽く10,000円を超えてしまうのを考えれば安い。それに一人暮らしをしていると、なじみの店というのは、なんだか自分の家のように思えてくるのだけど、この「勢家」という寿司屋もそんな店の一つである。暖簾をくぐれば、大将がいて、ママがいて、僕と同じ歳の若大将?がいる。その日は寿司をつまみながら、戸越の祭についていろいろと話が聞けた。
そもそも祭とか御神輿とかは、豊作祈願がその起源であるそうだ。ちょっと前までは、御神輿を担ぐ男の数がたりなくて、浅草のほうから金を払って担ぎに来てもらうような時代もあったらしい。戸越の御神輿を見ていると、担いでいる人に女の人が多いのに気がつく。これも、本来女の人が担いだりしていなかったのだろうけど、担ぐ男の人も減り、時代の流れで御輿担ぎが、ただのイベントになってしまった結果なのだろう。ちなみに、御神輿を担ぐ時は、ちゃんとした御輿を担ぐ時の正式な格好をしなければいけないという。女の子って、そういうイベントチックな格好って好きだから、担ぎたいというのもあるけど、きっとあの祭の格好がしたいだけ、という説も僕の中では浮上した。そんな話をしながら、最後に「トロの一番うまいところを一貫だけ握ってくれ」とお願いし、その極上のトロの余韻を噛み締めながら店を後にする。
そういえば、寿司屋の大将に「あんた、博多だったら山笠があるでしょうが。あれ見ちゃうと、ここの御輿なんてみれねぇだろ?」と言われた。それは図星で、祭りの雰囲気をうらやましいなと思いつつ、一方で「こんな小さい御神輿を、そんなにたくさんの人で担がなくても。」という目で見ていた。御神輿を担ぐ戸越の人たちの姿を、山笠を担ぐ博多の男たちに重ねると共に、担ぐことに対しての意識の違いに違和感を覚えていた。山笠の山を担ぐ男の心意気や気合。笑いのない世界。僕はあの山笠の世界がものすごく好きである。ああいう作り物でない「魂」が脈々と流れているから博多の町は博多でいられるのだと思う。戸越だって、この戸越の祭と御神輿があるから、戸越は戸越でいられるのだ。戸越の人は、きっとこの戸越の祭を誇りにしている。僕は博多の山笠を一番だと思うし、誇りに思う。それでいいと思う。戸越も博多もいい町だ。そこへの祭の力は大きい。祭は町を一つにする。そう思った日曜日の夜。