8月24日 日曜日 日本の頂上へ登る
午前二時。二百名ほどいる宿泊者たちは皆、起きて準備を始めていた。みんな日の出(ここではそれを「ご来光」と呼ぶ)を頂上で見るために、懐中電灯を手に歩き始めるのだ。僕らは、山小屋でご来光を見るつもりなので、こんな早い時間に起きる予定はない。ざわざわする人たちのせいで、山小屋の中の騒音は徐々に大きくなり目が覚めてしまったが、なんとかまた睡眠の中に自分を戻すことに成功した。僕は疲れているんだ。寝なきゃ…。
午前五時半ごろ、すっかり静まった山小屋で深い眠りにいた僕を誰かが起こした。無言で足を数回たたかれる感触。僕は、その合図が何であるかを割と瞬時に理解した。深い眠りから、一気に覚醒へ自分を仕向けて目を開くと、真っ暗だったはずの山小屋はオレンジ色の光で染められていた。ご来光だ。僕は、文字どおり飛び起きて靴を履いて外へ出た。暗い空に青味がかかって来て、徐々に明るく、黄色くなっていく。そのまましばらく待つと地平線から閃光が現れ、地上が光で満たされる。この光景を雲の上の世界から見ると、それなりの感動があると思う。去年は見られなかったご来光。今年は、寝過ごしたせいで太陽はすで半分以上姿を現していた。その失敗を少しだけ悔やんだが、それも忘れるくらい、僕の目の前の光景はすばらしかった。雲は僕らより低いところにも、高いところにもあって、二層構造となっていた。太陽は下の雲の層から頭を現し、5分ほどして上のくもの層に姿を消していった。雲にサンドウィッチされた僕たちは、その光景を黙って見つめつづけた。ありがちな感想だけど、地上で細々としたことにあたふたしている自分が、どうでも良いような気持ちになる、そんな気分。
ご来光をこの目に収めた僕らは、さっそく朝食をとった。ご飯と味噌汁と目玉焼きと、信じられないくらいに固いハム。僕は高山病かなにかでひどい頭痛に教われていた。しかも、新品の靴を履いてきたせいで、足は靴擦れを起こしていてひどい状態だった。左右二箇所ずつ、4ヶ所の靴擦れ。正直、歩くのもやっとだったのに、良くぞここまで登ってこれたと、後から思った。僕はその靴擦れのせいで、その後一週間、革靴がはけずにサンダルで会社に行く羽目になるのである。靴擦れもともかく、頭痛はかなりのもので、飯は全く喉を通らずじまい。どうしようもないので、ひとまずもう一度寝ることにした。出発は7時にしようということにして、僕はもう一度布団に戻った。二度寝。結局、起きたのは頂上から戻ってきた人たちでざわつき始めた8時頃。のんびり準備して9時ごろには山小屋を出発した。靴擦れは痛かったけど、頭痛は辛うじて治まった。あと1時間半で頂上だという。僕らは歩き始めた。
昨日の疲労はとれているようでとれていない。これは疲労のせいというよりも、高地での酸素薄のせいなのかもしれない。すぐに息があがり数十分ごとに休憩を取りながら登りつづけた。最後までなかなか苦戦をしたけど、なんとか頂上までたどり着いた。頂上には富士山の火山としてのシンボル、火口が大きな口を開けて待っている。一年ぶりの光景。かえって来た感じがした。その後、3776m地点での記念撮影と、火口の周りを歩く「お鉢巡り」をした。このお鉢巡り、一周1時間ほどかかる。見えている範囲を一周するのに一時間というのはなんだか変な感じだけれど、富士山の規模の大きさを実感できる。お鉢巡りを終え、僕らは下山を始める。
下山は富士登山のプロセスの中で唯一楽しみのある部分である。何もない富士山の斜面を全力で駆け降りる「大砂走り」。遮るものはないにもない。登る時に、僕らを十二分に苦しめた軽石の砂利は、クッションとなり斜面を駆け降りる僕らの衝撃を和らげる。斜度は35度くらいはあるだろうか。ゲレンデに例えてもかなりの斜度があり、そこを自分の足で駆け下りる。一度走り出すと、どんどんスピードがついて止まるに止まれなくなる。登りで足はガクガクになっているはずだけど、降りる時に使う筋肉はまた違うらしく、しばらくは結構走っておりつづけることが出来る。走っているというより、重力に身を任せて落ちていく感じ。そんな下山なので帰りは早い。登りは7時間ほどかかったけれど、下りは2時間ほどである。ふもとの売店で水を飲んで、かき氷を食べ、温泉センターに行って汗を流して東京へ戻る。富士山から見下ろした下界に戻り、また忙しい毎日が始まりそうだった。ちょっとだけうんざりした気分になったけど、それもすぐに慣れてしまった。今度はもっと登っていて楽しい山に挑戦するつもり。次は靴擦れにも気を付けよう。