8月23日 土曜日 富士登山、最難関の道を選ぶ。
日本一の山、富士山に登る。昨年に続き2度目の挑戦。2度も登る理由は、一度登った時に得られた感動が忘れられないとか、富士山の魅力にはまったとか、そういうものではない。少なくとも、昨年登った時の富士山は、余りに殺風景で、登山道にも変化がなく、軽石の砂利で覆われた斜面はあまりに登りづらい。楽しい思い出はほとんどない。しかも、なめてかかったうえに、7合目で足の疲労がピークに達し、僕らはまともに前に進めなくさえなった。這うようにして山小屋に転げ込んだ、苦い経験に包まれているのである。おまけに、朝を迎えた山小屋で見られるはずのご来光(日の出のこと)も、天気が悪くて見られず、ただ日本一の山に登った、という事実以外には何も残らなかった。むしろ、なめてかかっただけに、惨敗感は大きく残った。
少し、言い訳をさせてもらうと、僕らが選んだ登山道は「御殿場口」というところで、富士登山道では最難関とされている。この登山道はタフな奴等しか選ばない。よく「富士山なんて3時間くらいで登れるよ。誰だって登れる山だよ。」などという話を聞く。間違ってはいない。そういう観光ルート化された登りやすい登山道は確かにある。というより、「御殿場口」以外はどこもそうらしい。標高2,000mくらいまで車で行き、一合ごとに休憩所があり、売店がある。そんな、整備された登山道を登って頂上へたどりついても、それが富士山を制覇したことになるか、ということを僕らは九州男児的に考えたのです。非常に九州男児的。御殿場口は、標高1,100m地点にある。一応「五合目」ということになっているが、3776mの1100m地点が、どう計算して5合目になるのかはよく分からない。標高差2600mは、富士山の登山道一のハードさだ。御殿場口から登り始めると7合目(3200m)まで全く何もない。本当に全く何もないのである。あるのは石ころだけ。雨が降った時に、それを逃れる木陰もない。というより、木が一本も生えていない。だから動物もいない。たまに思い出したように虫が「ぶーん」と飛んでいるくらいだ。自分たちの歩く音しか聞こえない。木がないので風の音もないのだ。ただただ軽石と砂利に包まれた単調な空間は、別の惑星に来たような気さえする。
去年は食料、水とも装備が不十分で体力を奪われて大苦戦した。正確に言うと、装備が不十分だったのは、同伴の前田氏のほうだった。ちゃんと水をたくさん持ってくるように伝えていたのに、登り始めて1時間後の休憩時に「日野ちゃん、水、俺にもくれん?」ときた。おいおい、前田君。それってどういう意味だい。あと5時間は続くんだよ、このつらい道が。僕らはその後、僕の水を分け合ったものの、足りるわけもなく、水分失調で大きなハンディを背負って登山することになったわけである。今年も、そんな思い出の御殿場口から挑戦。口笛吹ながら、楽勝で登り、富士山に完勝というのが今年の目標。
昨年の粗相を反省してか、今年の富士登山の段取りは、全て前田氏が執り行っていた。集合時間、場所、宿泊する山小屋の手配、メンバーへの連絡。メンバーは、僕と前田氏、前田氏の、大学時代の寮の友である吉野氏。僕の会社の同期、藤井氏。その大学時代の友人である、小西氏。吉野-前田-日野-藤井-小西と5名それぞれ1人か2人が友達。あとはみんな初対面。友達の友達は、みな友達なのである。8時10分の集合だったが、ちょっと早めの8時についた。藤井氏が先にいて、次に吉野氏、小西氏と集合。来ない人が一人いる。前田氏だ。電話する。「もしもし、日野ですけど。」前田氏の声は「まじごめーん」。まじごめーん、じゃないって、君が幹事でしょ。完全なる寝坊。というわけで、2年目も粗相から始まった前田氏をおいて、僕らは静岡県御殿場市へ向かった。
御殿場について食事をし、その間を使って1時間半おくれの前田氏は合流。タクシーで御殿場口へ向かった。天気は良好。登山日和。水や食料も充分に持った。準備は万端のはず。12:10に僕らは登山口を出発した。最初のころは、少しは草木が生えていてのどかな風景があるけれど、30分もたつとそれもなくなってしまう。足元は細かい灰色の石。土や岩ではないから、足が地面とかみ合わずずるずると滑る。これが富士登山を数倍きついものにする。ただ、数千メートル登るだけならそれはきっとたいしたことはないのだけど、足元が滑ることによる運動量のロスが、僕らの体力をどんどん奪って行くのだ。1時間くらいはなだらかな斜面だけど、これで普通の人は充分にへばってしまう。1時間歩いたところで、僕らは休憩を取った。案の定、僕も含めみんな、すでにへばっている。去年、前田氏が「日野ちゃん、水くれん?」と言ったのは、まさにこの地点だったなぁと思い出し、あらためて腹がたった。この後は、斜面がきつくなる。だから余計に足元は滑る。風景に変化はない。ただ空気が薄くなっていき、すぐに息があがる。心臓がばくばくする。石の大きさが大きくなっていき、雲がどんどん近づいてくる。僕らは30分に一度ずつの休憩を取らなくてはいけなかった。どこまで行っても変化のない中、雲の位置と石の大きさだけが変わって行く。雲は僕たちの下になり、石はどんどん大きくなってきた。日も暮れ始めた頃、後を振り向くと、僕らのずっと下にある雲に、富士山の影が映っていた。影富士というらしい。見事な影富士、これを見られたことは幸運だ。こういう風景の変化があると、俄然士気も上がってくる。人間には変化が必要なのだ。同じ作業の繰返しは、人間から精気を吸い取っていく。僕らは山小屋に用意されている、カレーライスにモチベーションの焦点を合わせ、さらに突き進んだ。18時頃には、ようやく白い山小屋が見えてきた。今日のゴールはまもなくだ。なくなったはずの体力も目標が見えれば、知らぬうちに沸いてきた。人間には具体的な目標が大切なのだ。
充分な食料と水のおかげで、昨年のように厳しい戦いにはならなかったが、楽な戦いではなかった。山小屋のある8合目までの平均は6時間半とされているが、僕らは5時間半でたどり着いた。上出来である。僕らはこれから山小屋の受付を済ませて、食べ放題のカレーライスをむさぼるのだ。着替えを済ませて集合した5名は、前田氏の「お前ら男だ」という音頭での乾杯を行い、ビールを飲んだ。その後、僕は雑魚寝の布団の上で一番最初に就寝。深夜の空は満点の星で、天の川や地球に接近している火星もくっきり見えて、とても奇麗だったらしい。これを見逃したのは少しだけ残念だった。