一瞬の光 / 白石一文
白石一文の小説って伝えることへの意志が感じられる。一番最近に出た「草にすわる」って本の帯にも「小説の大きな役割に挑む著者の覚醒の物語」ってコピーが書いてあったりして、そうやって聞くと、なんだか説教臭そうなんだけど、僕の感じではそうでもない。真実なんて本当にないと思う。僕は、真実なんてないけれど、何を信じるかががそれに替わるのだと思うようにしている。自分が信じるものを真実としておくことにしている。でも、多分この人は「真実なんてないなんていうのは逃げだ。」といったような勢いで、真実の探求を小説というものを通して行なっている、そんな志を感じるんだよね。
この人の作品をいくつか読んだけど、共通する要素がある。まず、とても頭の良い主人公が出て来て、主人公は九州のどこかの出身(白石氏は福岡県出身)。父親はいなくって、妹と二人兄弟。母親も早いうちに死んでいる。物語には主人公を取り巻く2種類の女性が出てくる。一方はよく出来た、才色兼備系の女性で、主人公に好意を抱く。二人はつきあっている。もう一方は、主人公と心のつながりを持つ、精神的にか家庭的にか、あるいは両方に問題を抱えている女性。前者は、後者と主人公との関係を知りつつ、それを容認したりする。主人公は、その両者の間で、本当に惹かれるのは後者なんだけど、実際的には前者と一緒にいることが正しいような気がして、彼女になんだかんだで頼ってしまう
こんな要素が、この「一瞬の光」と「僕のなかの壊れてない部分」と「砂の城」っていう作品に共通に感じられる。村上春樹も「ノルウェイの森」でも「ねじまき鳥クロニクル」でも「海辺のカフカ」でも描きたいことは一つなんだってどこかでいってたと思うんだけど、白石一文もやっぱり描きたいことが明確にあるんだと思う。そのいいたいことを伝えるために必要な要素が上記のフレームなんだろうなぁ。わかんないけど。薄い知識で推測するのは失礼だけど、そういう志を感じるってことが言いたいだけ。
実は、白石一文は最近の作家のなかで一番好き。最近までどこかの大手出版社で編集者として働きながらの執筆だったみたいで、全く敬服である。小説のなかで、主人公が頭に来た時とかに、まくしたてるように自分の考えをぶわーっと喋るんだけど、そこの論理構造とかが、すごく分かりやすくって、常日頃からいろんなことに気を配っていないと言えないような内容だったりする。でも、多分女の人が読んだら「女心が分かってない」と言われそうな「男の正論」なんだよね。もちろん、わざと主人公にそういうパーソナリティを与えているんだとは思うけど、なんか自分がそういう無神経な正論でよく人を怒らすので、参考になる(笑)。2003年に会社を辞めたそうで、これからの活躍に期待したいです。最新は「草にすわる」っていう本だけど、デビュー作の「一瞬の光」をおすすめします。