春爛漫
「お願いできまへんやろか!」
桜の季節。
今は春。
鶯も雲も晴れ渡る空も。
屯所の玄関先で、その姿をただ静かに見つめ続けていた。
そこには、沖田総司、神谷清三郎、そして娘。
娘は14、15辺りの歳に見える。
島原にある遊郭、桜屋の妓であった。
それが今、この二人の前で土下座をしている、という状況であった。
「うっ、うち、うちの事殺すて。昨夜の晩、あいつがそう言って…」
「殺す?」
「へ、へえ、ほんと嫌な奴やと思て、うち、耐えかねて冷水をかけてしもて…」
それが、こういう事らしい。
馴染みの客が、この娘に目をつけて、毎日のように通い続けていた。
酒癖が悪く、色々とやっかいな男らしいので、皆関わらないようにしていたのだ。
それが、この娘も耐えきれなくなってしまったらしく、昨日の晩、水をその男に思い切りぶっかけてしまったらしい。
それで、「明日の晩みていろ」と捨てぜりふを吐いて、その男は去っていってしまったらしいが、
そんな失態を女将に報告するのも怖く、此処へ駆け込んできたという訳だ。
「う、うちまだ死にたくない!ほ、ほんにお礼はしますよって…」
「え、でも私が何をすればいいんでしょう?」
セイは不思議そうに娘に問う。
今にも請け負いそうな言動に、総司がぎょっとするのも知らずに。
「へ、へえっ?!あ、あの、うちと同じカッコしてお側に居てもらえたらと…」
ああ、だから私に言いに来たのかと、納得顔のセイは、さらりと言った。
「いいですよ」
「神谷さんっっ?!」
嬉しそうな娘の顔と、総司の叫びが、空に映った。
春爛漫。
それは屯所でも、島原でも同じこと。
「…で、何で沖田先生まで此処にいるんです?」
「何を言うんです!!私だって女装の一つや二つ…」
「似合いますやろか」
「似合わないですね」
そんな三人の楽しそうな(?)声が島原桜屋の裏口付近で交わされていた。
そうしてこっそり遊郭へ入り込む新撰組志士二人。
案内されたのは娘の小さな隠れ部屋で、質素な化粧箱と美しい着物がひとつ用意されていた。
予定外の総司の分まで用意をしなければならなくなった娘は、少し待っておくれやすと言って去っていった。
そうして薄暗いその部屋に残された二人は、たかるほこりに咳をしながら話し始めた。
「神谷さんいったい何を考えてるんです」
「何って人助けじゃないですか」
「ほうっておけばいいでしょう」
「そういう沖田先生こそほうっておけば良かったじゃないですか」
「ほうっておける訳無いでしょう!!貴方、わかってるんですか此処は…」
「わかってますよ。大丈夫ですって少し護衛するくらいなんですから」
「貴方知らないんですか?その男の…」
「もう五月蠅いです沖田先生」
「うるさ…っ!て神谷さ」
がらりと戸を放つ音が総司の言葉を遮った。
「お待たせしましたそれじゃぁこれに…」
どうやら、本当に総司も女装をする羽目になってしまったらい。
華やかな青色の着物の美しさが、総司の目を(不器用に)細めさせた。
かくしてin島原女装大会がひっそりと繰り広げられることになったのである。
「神谷さぁ〜んこれどうやるんです?」
「えっまたほどいちゃったんですか?」
「だってきついんですー」
「私ほんに手伝わんとええんですやろかー?」
二人がもたもたと着替えをする所に別部屋から心配そうな娘の声。
「いいんですよ男の着替えを手伝わせるわけには…もうじっとしててくださいよ!」
「下帯が垂れてます〜」
「それは自分でなおしてください!!(怒)」
小声で耳打ちする総司。
(「神谷さんのお手伝いは誰がやるんです?」)
「自分のは自分で出来ますよ。はい出来ました。」
「…すごいもんですねぇ〜」
「そんな事言ってないではやくお化粧してもらってきてください」
「は、はい」
「ぶっ、意外と似合いますね沖田先生」
「……そんなおかしそうな顔で言っても無駄です」
総司は、向こうに見える綺麗な赤い着物に目をやり、
少し頬を染めて気まずそうに去っていった。
そして。
「お武家様少し口開けてもらえますやろか」
「えぇ?!そ、そればっかりはいいです!!ていうか似合いませんよさすがに!」
「でも…」
総司の化粧も塗り終わろうとしていた。
あとは紅をさすだけとという事でずいぶんと妓らしく出来上がっている。
そこへからりと上品な音がした。
二人がその音につられて顔を上げる。
「何をもめてるんですか?」
そこには、美しい妓が一人、佇んでいた。
化粧はまだしていないが、それよりも何か内から出る華やかさが娘を美しく見せるようで、
それは本当に見まごうほどの美貌であった。
「かみっ…?!」
「ま………!」
総司は二度娘の女の姿を見たことがある。
一度目は、セイの父親が襲われた時。
二度目は、セイが初花を迎えた時。
しかし、それからいくらかの時が経ち、少女も成長していたのだ。
総司の、知らぬ間に。
「あ、沖田先生ほんとに女の人みたいですよ?」
くすくすと愛らしく笑うその人。
髪も器用に結って、簪をさしている。
声も出ない総司の心境を知る由もないセイは、両膝をついて娘の指についた紅を見た。
「あとは紅だけですか?」
そう言ってするりと紅をすくうと硬直した総司の口に紅を塗り始めた。
総司はただ目の前のその人を見つめることしか出来ないでいた。
隣の娘も呆然とそれを眺めている。
総司の紅を塗り終わったセイは、口に手を当ててまたおかしそうに笑った。
「ぷっ、気持ちわる」
そんなセイの容赦ない感想に、総司はやっと我に返ったように顔を赤くしていった。
「じ、自分で塗っておいて、そっそれは無いでしょう!」
そうして自分の腕でごしごしと荒く口を拭いた。
顔はトマトより赤い。
「じゃあ私もお願いします」
そんな総司をよそに、セイも化粧をと娘に促した。
あっ、と総司が慌てたように口を開けて、思い直したように、また結んだ。
『それ以上綺麗になられると困ります』という、総司の心の声はセイに届くことは無かった。
出来ました、と娘が言おうとした時だった。
どたどたとものすごい足音が遠くに聞こえた。
「えっもう来はったんやろか?!いつもよりも早…」
「じゃあ急ぎましょう」
三人は、慌てて部屋へとむかった。
蛙が、げこっとからかうように一声、鳴いた。
「おぉ〜〜〜?」
もう既に結構飲んでいたらしい、腹の大きい男からは酒の匂いがきつく鼻をかすめた。
「えらいべっぴんを連れてるじゃねえか。詫びのつもりか?え?」
「えらいべっぴん」に、えぇ?と顔をしかめて総司の顔を見るセイ。
どう考えても私の事じゃありませんから!!と叫びたい総司。
がたがたと震えている娘に、気を使うように肩へ手をやろうとしたセイのその腕を、
けむくじゃらの大きな手が掴んだ。
「まぁ…しょうがねえ、これで勘弁してやっても良いだろう」
セイが、目を丸くした。
が、もう遅い。
「行って良いぞ、この間抜け!」
大きな太い声に一括されて、娘はびくりと肩を震わせた。
はやく行きなさい、というセイの首の動きを確認すると、べこりと頭を下げて娘は泣きながら出ていった。
「お前もだ、でかいの」
総司の目は据わっていた。
その目は掴んだそのけむくじゃらの腕に留められている。
それはもう、今にも斬ってしまいそうな勢いで。
それに勘づいたセイが叫んだ。
「沖…っ、お、『おきの』さん!!」
はっと、気づいたように目をセイへと向ける。
「大丈夫ですから」
セイの目は、此処ではむかっては娘が危ないと、必死にそう言っていた。
総司もそれがわかっていた。
そして、叫んだ。
「……惚れました!!!」
「はっ?!」
セイの疑惑の叫びは総司に届かない。
「お武家様に惚れました!!なので出ていきません!!!」
声が裏返ったのが、運のつき。
男はにやりと笑った。
「いいだろう二人相手にしてやるぞ」
総司は、肩をふうふうと上下させその惚れたはずの男を、睨んでいた。
セイの、呆れたような視線も、気づかずに。
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