この花は叶えの花
一輪の花で、一つの願いが叶う
でも
叶えの花を手折ってはいけないよ
これは神の花
神の怒りに触れてしまうから
叶えの花を手折ってはいけないよ
願うことは
『失う』ことだから ——————
忍冬 −すいかずら−(木花翠心様)
気が付くとセイは花を踏んでいた
一面の花の中 たった一人
どうしてここに来たのか ここは何処なのか
何一つ思い出させない
ただ、気が付くとここに裸足で立っていた
周りには不思議な花が咲き乱れている
赤、青、緑、黄・・・・・・、どれだけの色があるのか分からない
きっと夜なのだろう、真っ暗で星も月さえも浮かんではいないその中で花だけが鮮やかに目に映る
セイは朦朧とした意識をゆっくりと足元に落とした
目の前には、薄青い花・・・・・・
何か色に名前があったはずなのに、頭の中に靄がかかったようで何も思い出せない
ぽたっ
青い花に水滴が零れ落ちた。
水滴は花の上を少し転がり、闇の中に吸い込まれていく———————
ぽたっ ぽたっ
水滴は何処からか降ってきて不思議と止むことがない
「雨・・・・・?でも、私は少しも濡れていないのに・・・・・・・・」
ゆっくり天を仰ぐ そこには、闇が広がるだけ・・・・・
ぽたっ
何故だろう 視界がにじんで・・・・・・・・
セイはやっと自分が泣いていることに気が付いた。
自分の目から次から次へと涙が溢れ出して花の上に零れ落ちている。
ゴシゴシときつく着物の袖で涙を拭う。
そうしているとだんだん頭がはっきりしてくる気がした。
「夢・・・・じゃないよね?」
声に出して言ってみたものの
花を踏んでいる足の感触 目から溢れ出す雫が頬を伝う感触 ゆっくりと流れる闇
どれもしっかりと感じられて夢とは思えない。
けれども、ここの異様な空間が現実であるとはどうしても信じることができなかった。
此処がいったい何処なのか?
どうやって此処に辿り着いたのか?
どうして自分が此処にいるのか?
段々と冴えてくる頭でセイは必死に思い出そうと目を閉じて、深く息を吸い込みゆっくりと吐き出した。
その動作を何回か繰り返していると、セイの頭に徐々に浮かんでくる影がある。
風のように刀を振るい、本当に風の様な人
とても大事で、尊敬していて、大好きで・・・・・でも腹の立つほどの野暮天。
鬼と呼ばれる 新撰組一番隊組長沖田総司—————
『神谷さん』 と呼ぶ優しい声
刀を振るう鬼 浴びた血
頭をなでてくれた手 甘味処へ向かう途中の他愛無い話
泣かせてくれた腕と胸 稽古の時の厳しい眼差し
様々な総司が浮かんでは消えていく
一緒に戦ったあの日 勝負を挑んだ夜
二人で秘密の稽古をした森
抱きしめられた時の香り・・・・・・・
それから————————
「沖田先生っ!!!」
花を踏んだままセイは立ち尽くした
涙を止める方法を忘れたかのように流れ落ちる雫
力の入らない手を
血がにじむまで握り締めた
”——————ってはいけないよ・・・・・・”
誰かの声がする
ああ
人知れずセイは微笑んだ
こんなに簡単なことに気が付かなかった
どうして此処に来たのか
此処は何処なのか
自分が何をすべきなのか
守りたいものは一つ
こんなに簡単なこと————————
一番隊組長沖田総司が倒れた
知らせを聞いた日は、雲ひとつない抜ける様な青空
駆けつけて見ると、総司は布団に寝かされていた
真っ赤な顔、汗を掻いていない体
それを見た時、一番隊隊士神谷清三郎こと富永セイは、軽い眩暈と激しい後悔を覚え、唇をかみ締めた。
こんな時こそしっかりしたいのに、足が勝手にガタガタ震えてセイは一層きつく、血がにじむほどに唇をかみ締める。
総司は暑さに弱い
池田屋の一件で重々承知していたはずだ
それなのに、また倒れさせてしまった自分が酷く憎らしい
やり場のない怒りと自責の念が渦巻いて、どうしていいのか分からない。
できることは、自分を保つために唇をかみ締めることだけ・・・・・・・・・
泣きたくないのに、勝手に涙が溢れて、セイを一層惨めにさせた
「清三郎のせいではない」
隣で見ていた斉藤一が酷く不機嫌そうな声で言いながら、俯いてしまったセイの頭をポンポンとなでた
「兄上・・・」
目に一杯涙をためて見上げるセイをやさしく見る斉藤に、一層涙が溢れてしまう
「でっ、でももし今日遊びに行く沖田先生をお止めしていたら・・・・・・、いえっ、せめてご一緒していたらもっと早く気づけたでしょう?!」
言っても詮無いことだと分かっている それでも、そう思わずにはいられない。
セイの中で何かが行き場をなくして渦巻いて、渦巻いて苦しくさせるのだ。
もし、一緒に行っていたら?
もし、止めていたら・・・・・・・?
もし
もし——————
考えるときりがなくて、どうしようもなく黒いものが心を染めていく
この思いにセイは押しつぶされそうだった
「沖田さんは、幸せ者だな」
「えっ?」
「いや、・・・・そんなに心配なら今日は沖田さんについていてやるといい」
苦笑しながらまたセイの頭を軽く撫でた。
一見穏やかに見える斉藤の顔に嫉妬の炎がゆれていることに気が付いた者は誰もいなかったとか・・・・・・・・
もちろんセイは全く気づいていないのは言うまでもないのだが—————
「はい・・・」
「沖田さんのことだ、頼まんでも明日には『甘いものが食べたい』と叫んでいるだろうさ (怒)」
「はい!兄上!!」
涙を溜めたまま必死に笑顔を向けて、ぺこりと頭を下げた
あまり勢いよく下げたせいか、溜まっていた涙が畳の上に降って小さな染みを作った
(折角今まで我慢していたのに・・・・・・・)
恥ずかしくて、セイは慌てて頭を上げるとくるりと斉藤に背を向け、総司の側に座り込んでしまった。
だから セイには見えなかった
そんなセイを見守りながら斉藤が複雑な表情を浮かべたことに・・・・・。
悔しいことではあるが自分が『兄上』でしかないことを十分承知している
セイにとって総司がどれだけ大きい存在なのか セイの『誠』が総司であることも知っている
それでも目も前で折れそうなほど心配する姿を見せられては、内心穏やかではない。
(沖田、神谷をこんなに泣かせて・・・・・、目が覚めたら許さん!!!)
総司をにらみつける。
同時に、セイの背中を見つめて斉藤は安堵した表情を浮かべた。
(もちろん誰にも分からなかったが・・・・・)
—————だから
斉藤も気づけなかった。
セイが総司の側で思いつめた表情をしていることに・・・・・・・。
”沖田さんのことだ。頼まんでも明日には『甘いものが食べたい』と叫んでいるだろうさ”
でもね、斉藤先生私は見てしまったんです
お医者様と話す近藤局長と土方副長の表情を
局長がとてもうろたえて、青ざめていました
あの鬼の副長が、今迄見たことのない険しい、悲痛な顔をしていました
お医者様は俯いたまま、首を横に振っておられました
後悔せずにはいられません
もう、二度と起きないかも知れません
沖田先生は、もう手遅れだったのです
もし、私がご一緒していたらもっと早く気づけたでしょう?
もし、私がご一緒していたらもっと早く処置ができたでしょう
もし、止めていたら —————
もし
考えるとキリがない———————
これは、私の罪です
先生を守ると言っていたのに、何もできなかった私の罪
セイは総司の手を握って、強く頬に押し当てた
沖田先生
先生は私の『誠』
—————— 先生は私が必ず守ります
何を犠牲にしてでも ————————
セイはゆっくりと目を開いた
眼下には花、花、花
そう、気が付くと私は此処にいた
あのまま泣き疲れて気が付くと此処で花を踏みしめていた
”——————ってはいけないよ・・・・・・”
誰かの声がする
ああ
人知れずセイは微笑んだ
こんなに簡単なことに気が付かなかった
どうして此処に来たのか 此処は何処なのか 自分が何をすべきなのか
守りたいものは一つ
先生だけ
こんなにも簡単なこと————————
眼下に淡青い花が揺れている 涙に濡れて輝いて見えた
何色と表現すべきだろう
この色はとても身近で、そして大切な色に感じる
不意にひとつのことが思い浮かんだ
幾度も危険に共に挑んだ色—————
『浅葱』
『誠』の色 先生の色 ——————
”この花は叶えの花 一輪の花で、一つの願いが叶う”
何処からか声がする
セイはゆっくりと花に手を伸ばした
”でも、叶えの花を手折ってはいけないよ”
ぴくっ
花に触れるか触れないかの距離でセイの手が止まった
”これは神の花
神の怒りに触れてしまうから”
止まっていた手がゆっくり花の茎を握り締める
私はどうなってもいい
沖田先生が救えるなら そんなものは怖くない
怒りに触れてもいい
”叶えの花を手折ってはいけないよ”
声は降り続ける
”願うことは『失う』ことだから”
セイは震える手に力を込め続ける
怖くないといったら 嘘になる
何を失うのか・・・・・・・?
代価が右手なら 私は『武士の私』を失う
もう先生と共に戦えないでしょう 先生を守ることも叶わないでしょう
代価が瞳でも 足でも 命でも
武士の私は死ぬでしょう ———————————
それでも
ねぇ、神様
私は何を失ってもいいのです
武士の私は、沖田先生のために存在するのですから
沖田先生は私の全てだから
沖田先生を失うぐらいなら、何もいらないのです
先生がいなかったら 『武士の私』は生きる意味さえ持たないのです
”叶えの花を手折ってはいけないよ
願うことは『失う』ことだから”
セイを諌めるように誰かの声がこだまする
もう
セイにはどうでも良かった
『神谷さん』 総司の声だけが聞こえている
もう、セイの耳に誰の声も届かない—————————
茎を握った手に力をこめて
そして——————
一気に、手折った
———— 神様
神様
どうか沖田先生を救ってください
私は——————
何を失ってもいいのです ————————
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