インターホンを鳴らす。





震える指先で、何度も、鳴らした。


何度押したか解らない頃になって、やっと、声がした。





「…誰ですか」





その声は低く、恐ろしかった。


びくりと自分の体が震えるのがわかった。





「…私です」





そう言えばわかると思った。


何故だか、自分でもわからないけれど。


玄関が開く。


そこからは、その人が出てきた。


けだるそうに、その目は虚ろに。


「何しにきたんです」


何故か、負けるもんかと思った。


震える声で、小さく言った。


「学校、来ないと駄目じゃないですか」


その人の目は、いまだうつろで。


「貴方に関係無いでしょう」


冷たい、冷たい一言。





せいは涙を溜めて、堪えた。


いまにも、泣いてしまいそうだった。





もう、せいは本能のままに動いていた。


少なくともせいはそうだった。





ただただ、その目の前の人に。


その胸に、とびついていた。


背中に回りきらない腕に力を込める。





涙がこぼれそうになった。





上から、冷えたような声が降る。





「貴方、私が一人暮らしだって知ってて来たんですか」


聞いて知っていたので、頷いた。


その広い胸の中で。


「私が怖いと知っていて」





せいは、頷いた。


知っていたと思ったから。





「私が…誰だかわかりますか」


その声が、穏やかだと知ったのは、せいの背中にその人の腕がまわされてからだった。





「それは…いったい何のことなんでしょうか」


せいは、その暖かい腕に泣きそうになりながら言った。





その腕の力が強くなるのを感じた。


ぎゅうう、とせいの背中が抱き込まれる。





そして急に、その腕はせいの体を乱暴に引き剥がした。





「帰ってください」





せいの背中に与えられたぬくもりはあっけなく消え去って。


玄関が閉められた。





せいは、声を出さずに泣いた。


ただただ、涙を流した。





なぜ、泣くのか、せいにはわからない。


ただ、泣いた。





寒い。


そう思った時だった。


「あれっこんな所で何してんの〜」


聞き覚えのある声がせいを捕らえた。


あの時話しかけられた、なれなれしいクラスメイトだった。


振り向くと、すぐそこに彼はいた。


「え、泣いてんの、もしかして?」


そう名もわからない彼は笑う。


「噂の顔の良さがもったいねえな」


何故こんなところに…


そう思うが、頭が混乱していて体が動かなかった。


「ああ、まあ来な、俺んちすぐそこだから」


彼は笑いながら手招きをする。


手招きをしながら、こちらへ近づく。





腕をつかまれると思った。


しかし、捕まれたのは、予想外の腕のほうで。





せいはどたりと音をたてて転がった。


転がった先は、あの人の玄関の中だった。


体を打った痛さにせいが目を瞑っている間に、声がした。





「私のですから、ちょっかい出さないで頂けますか」





何を言っているのかさっぱりわからなかったが、何故かその声は怒っている気がした。


玄関の閉まる音。


「ちょっと来なさい」


せいは無理矢理立たせられる。





何も無い部屋だった。


ベッドと、机と、電話が無造作に置かれるだけの部屋。





そんなことをぼんやりと思っている間に、せいは乱暴に倒された。


ベッドの上だった。


ベッドが、きしむ。痛そうに。





目を丸くするせい。


その上にはその人が被さってきて。


せいには、何が怒っているのか理解できずに、ただ目を見開いたままでいた。


「一人暮らしの男の家に来るという意味がわかって来たんですか」


腕が痛い。


つかまれたそこが痛むのに目を瞑って、せいは首を振った。


「無防備なのは相変わらずですね」


何のことですかと言おうとしたその口はいきなりふさがれた。


「ふんん…っ」


激しい口づけと、激しい恐怖がせいを襲う。


口づけが終わるとせいは苦しくて肩で息をした。


「貴方が思い出すまで待とうと…私だって必死だったんです」








「貴方は…私の事を……」


何を問われているのかわからない。


何故この人がそんな事を言うのかわからない。


ただ、堪えていた涙が次々と溢れた。





口が勝手に動いた。


ただ、その人が怖くて。


最初に出逢ったときのあの笑顔が思い出された。


それが、切なくて。





「大嫌いです」





思わず、そう言っていた。


腕の力が緩んだのがわかった。





逃げ出すのは二度目だと思った。


大嫌いです—————————


自分で言ったその一言だけが痛いのが、せいには不思議だったが、今は走るしかなかった。





せいは走った。


桜の花びらがものすごい勢いで散っていた。


花弁が、せいを囲む。


鮮やかに、狂おしく。





桜が、舞う。





涙と共に、桜が舞う。


風が。











風が、桜の花びらを散らすのだ。





風が。





せいは、自分の中にその桜が舞い降りるのを知った。








草のにおい。





風が吹き荒れる。





二人が出逢った時にも咲き誇った、桜の花びらが。





草のにおいの中、風と共に、舞った。








—————————————————ああ、風になりたいなあ











せいは立ち止まる。





桜が舞う中、一人、たたずんで。





その桜吹雪をただただ、見つめた。











———————————————お前の居場所はここなのだと———教える草に……











桜が舞う。





風が吹く。





草が、揺れる。














せいは、桜の花びらの中、ただただ、涙を、落とした。














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