再逢












「さとちゃーん」


そう、教室の入り口から叫ぶ少女がいた。


しかし、その少女の声は、ざわついた教室の中にかき消される。


少女はすう、と大きく吸って叫んだ。


「さーとちゃんっ!!!」


その意外にも大きく響いた声に後悔した時にはもう遅く。


少女は教室中の注目を浴びてしまっていた。


気まずそうに廊下に隠れる少女と、おかしそうに笑いながら廊下に駆け寄る友達。





それは、驚くほどの美しい少女で。


その後、教室中がその子の話題で持ちきりとなった。


新入生せいの美しさは、初登校日一日目にして、学年問わずの噂の的となってしまうほどだった。











春。


田舎の隅にぽつんとただずむこの学校は、花々に囲まれてとても美しい。


初々しい学生達が、恥ずかしそうに、廊下を渡り合っていた。


「もう、せいちゃんは、あいかわらずや」


「だってさとちゃん気が付かないんだもん」


二人は仲良く並んで廊下を歩く。


新品の制服をまとって、きょろきょろと楽しそうに校内を眺めるさと。


せいの親友、この年のわりに大人っぽい少女は、関西生まれでなまりがある。


それがなんだか可愛らしい少女であった。


その親友に、せいは信頼しきった笑顔で笑いかける。


「ね、さとちゃんはもう部活決めた?」


「うーん、やっぱ茶道部にはいりたいんやけど、せいちゃんは?」


「まだ、決めてない…私もそうしようかなあ」


「じゃあ今日、一緒に覗いてみよか」


「うん」





二人は笑いながら、チャイムの音と共に慌てて駆けていった。












春の日差しの中の眠い校長の話を聞き終えると、もう、放課後だった。


二人の最初の一日は、あっけなく終わろうとしていた。


廊下を、右左と場所を確かめながら歩くせい。


「たしか3−Bって言ってたよね?」


「3−Dてうちには聞こえたけど」


「そうだっけ…」


二人は3−Cの前で立ち往生する。


「せいちゃん」


「わかってる」


「じゃんけん!」


「「ぽん!!」」


「じゃあうちはDに行くから」


「私はBね、わかった」


二人はなにやらよくわからない方法をとって、二つの教室に別れて様子を見ることにしたらしかった。


さとはさっさと3−Dの教室へ入っていく。


「失礼しますー」


さとの声はそう言って消える。


その姿にせいはため息をついて、3−Bの入り口に手をかけた。


が、開かない。


「あれっ、しまってる?」


がたがたと入り口を揺らすせい。


すると教室の中から声がした。


「あ、今開けますから〜!」


せいはその声にぎょっとする。


その声は、明らかに、男であった。


茶道部にも男はいるだろうとは思うが、それにしては他の声が教室から聞こえない。


「これ、たてつけ悪いんですよ〜」


がたがたとその入り口は震えるが開かない。


そして、思い切った音が聞こえる。


あっこの人蹴った!!


せいはそう感じてまたぎょっとした。


かららららと入り口はやっと開かれたようで。


少しへこんだ入り口にせいは目を丸くして冷や汗をかくだけだった。





そこには、一人の背の高い男子が立っていた。


あ、ちょっとヒラメに似てる、などとぼんやりと失礼な事を思ったせいに、その人はにっこりと笑った。


「はい、あーん♪」


その声に不覚にも口を開けてしまったせい。


口の中には、甘いモノが放り込まれた。


あ、チーズケーキだ、とせいは思う。


それは甘くて温かくておいしくて。


「…おいしい…」


そう、自然と言葉が出た。


「でしょーう♪」


嬉しそうに破顔するその人。


「入部希望ですか、もしかして」


そう言われて我に返るせい。


「あっ、あ!あの、茶道部ってここですか」


せいは赤くなって言う。


「ああ、茶道部なら向こうの3−Dですよ、間違えちゃったんですね」


その人は、廊下に顔を伸ばして教室を指し示してくれた。


せいはその教室に視線をやって、やっぱり、という顔をしてまたその人に目を向けた。


「ここは…?」


少女は不思議そうに教室を覗く。


やはり、この大きな人以外は誰もいない。


そして、甘いにおい。


その人は笑顔を絶やすことなくそのままの笑顔で明るく言う。


「家庭部ですよ」


かてい?


せいは聞き間違いかと思った。


少女は目を丸くしてもう一度聞く。


「かて?」


「家庭部」


「……………」


沈黙が、流れた。


「あ、の…他の人は」


まさか、ひとり…と冷や汗が出るせい。


「ああ、まさか!一人じゃあないですよ!!」


その人があっははと笑ってみせたので、せいはなあんだ、と一緒に笑った。


「今日は私が片づけ当番なんです。だから居残り」


そうおどけて言うその人に自然と笑顔がこぼれる。


「あれは何ですか」


「ナッツケーキです、あっちがチョコ。食べます?」


「…はい」


「で、これが〜…」


「まだあるんですか」





楽しそうな、少女と少年の声が、教室に響いていく。


暖かい午後の風が、二人をつつんだ。












次の日。


家の玄関から出るといつも通りさとが迎えに来ていたのでほっとした。


「さとちゃん、昨日先に帰っちゃったでしょ?」


そう言ってかけよるせい。


そこには、さとがにやりとした笑顔を含んだ顔で立っていた。


「だって、お邪魔かと思て♪」


その意味ありげな言葉に首を傾げながら歩き出すせい。


「邪魔…てどうして?」


「背の高いイイ人と楽しそうにしてたやんかあ♪」


せいはああ!と口を開いて駆け寄った。


「さ、さとちゃん、違うって!ただ、ちょっと試食…」


「頬染めて何話してたん♪」


「そ、染めてないよ!もうさとちゃん!」


「おかげで家まで送ってもらえたんやろ〜?」


「!!!何でそれ知って…!」


「大当たりやし〜おもろいわ本当」


「ひ、ひどいさとちゃんっ」


「登校一日目からようやるなあせいちゃんも〜あはは」


二人は、こづきあいながら学校へと向かっていった。





せいは、教室の椅子にためいきながらに座った。


周りの嘗めるような男子の視線には全く気づかぬまま机につっぷす。


やさしい笑顔。


あたたかい、何故かどこかなつかしい。


その人の笑顔が忘れられずに眠れない夜を過ごしたせいの目は少し赤くて。


せいは目を閉じた。


初めての高校の授業も頭に入らず。


ただ窓際の机は暖かくて。





風は、やさしくて。





窓から見える





草も——————綺麗で





せいは、何故か目に浮かんだその雫をぬぐって、またため息をついた。





放課後は、また、行こうかな、そう、ぼんやりと思いながら。















しかし、その足を阻む者がいた。


名前も覚えていない、クラスの男子であった。


「な、この後どっか行かない?」


なれなれしく話しかけてくるその男子は、後ろに三人ほど他の男子を引き連れていた。


「へ」


せいは自分でもまぬけな声が出たと思った。


知り合いだったかな、とせいは思う。


しかし、覚えがない。


少し呆けた後、せいは手を振って言った。
「行かないです、じゃ、また明日」


その男子のにやにやとした顔に少し不思議に思いながら、せいは3−Bへと向かっていった。



あの人の所へ。


息を切らせて、頬を染めて。











その人は教室の前に座っていた。


片づけ当番を変わってもらったのだとその人は言った。


教室から、何人かの女の子達がくすくす笑いながら意味ありげにその人に手を振って帰っていく。


その人の目と、頬が、少し赤い気がしたのは、気のせいか、せいにはわからなかった。





ただ、夕暮れの教室の中で、二人は少し距離を置いて話した。





なんだか、その距離がくすぐったくもあり、淋しくもあった。


昨日と少し違うその人の表情が、せいには不思議だった。


なので、何かあったのかと言おうとしたが、先に話しかけられた。





それは、突然だった。





「……覚えて無いんですか」





急にそう言われて、せいはきょとんとした。





「貴方は…覚えて無いんですか」


もう一度繰り返されても、何の事やらわからない。


せいは、黙ったままだった。


「そう言っても…私も昨日の夜思い出したばかりですけどね」


そう言ってじっと見つめてくるその人。








せいは眉を寄せる。




私は、ただお話をしに来ただけで。


そう、言いたかった。





ただ、その黒い目に睨まれたら、言えなくなった。


その黒い光。


いつの間にか腕を捕まれていた。


「今、思い出して頂くわけにはいきませんか」


何処かせっぱつまったような、その人の声。





せいにはわからなかった。


「すみませんが…我慢して下さいね」


その言葉を聞き取るよりもはやく、せいは力強い腕の中に抱き込まれていた。


わからない。


わからない。


わからない。


怖い。


ただ、全てが突然で。





痛い。


ただただ、その腕が強くなるばかりで。


痛い


怖い


わからない


「昨日の夜だって…すぐに貴方の所へ飛んでいきたかったんです」


わからない





「ただ貴方に逢いたくて…闇雲に…貴方はいなくて」


何故


どうして


このひとは


「…学校では可哀想だと思って…我慢して…もう狂うかと」





いたい











—————————わからない





せいはただ必死に走った。


その腕の中から逃げて、必死で教室を背に走った。


怖くて怖くて。





あのひとは、誰





そう思った自分に何故か涙が出て。





ただ、走った。














————————いや、怖い!!—————————————————





そう、腕をふりほどく時に叫んだ言葉が、ずっしりと、せいに重くのしかかり。





春のなま暖かい風が、なんだか、気味悪かった。

















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