おかしなふたり 連載181〜190

第181回(2003.3.1.)

 
目の前で聡(さとり)がぽ〜っとなってうっとりとこちらを見詰めている。
「か、可愛い・・・」
 いつものアクションなのだが、聡(さとり)の方が制服姿なのでちょびっとだけ複雑である。
 なついている妹がいるというのは、人によっては結構羨ましいらしい。年頃の女の子の制服姿というのは確かにそれなりに“そそる”ものがある。
 まあ、歩(あゆみ)なんかは慣れてしまったのだが。
「えー、ごほん」
 1回咳払いをする歩(あゆみ)。
 間違い無い。女の子の声になっている。
「やっぱり見るの?」
「うん。いいじゃん姉妹なんだし」
 にこにこ聡(さとり)。
 まあ、確かに日本語では「兄弟」「姉妹」を混同して使ってるけど・・・こちとら「姉」じゃ無いんだけと・・・とか思いつつ、マイクを取った。
 聡(さとり)がコントローラーを取る。
「お兄ちゃん何歌う?あたしが入れてあげる」
「あ、いいよ。ちょっと発声練習するから」
「わー・・・本格的ねー」
「そうか?声が違うから当たり前だと思うけど・・・」
「カラオケで発声練習からやるのなんてお兄ちゃんくらいだよ。まあいいわ。もうすぐみんな来るからあたしは適当に曲選んどくから」

 実は、今日のカラオケボックスでの性転換は、あれだけ嫌がっていたはずの歩(あゆみ)自らの提案だったのである。


第182回(2003.3.2.)
 実はこの歩(あゆみ)は、これといった取り得は無いのだが、ことカラオケとはるといたん歌い始めたら止まらず、他人にマイクを渡さない「カラオケ大王」だったのだ!
 兄妹ともに、お互いを性転換出来る能力を得てからというもの、妹に着せ替え人形状態にされていた歩(あゆみ)は、その変身が自分の思い通りにならないことなども相まって基本的にあまり好きではなかった。
 先日など、衆人環視の電車の中で性転換された上に純白のウェディングドレスまで着せられてしまったのだ!
 親切な人の助けもあって、なんとか無事に脱出することに成功したものの、本当に肝を冷やしたものだ。
「あー、あー」
 発声練習をするピンクハウス姿の少女。聡(さとり)で無くともその抜群に似合う少女趣味の姿に夢中になりそうな愛らしさである。
 しかし、たった一点。一点だけ「女になって試してみたい」ことがあった。
 それが「カラオケで女声で歌う」ことだったのである。
 実は歩(あゆみ)は、歌手の沢崎あゆみの大ファンだったのだ。
 若い女性にカリスマ的な人気を誇る彼女だが、勿論男性ファンも多くいる。
 しかし、どうしてもそのイメージから男手沢崎あゆみファンを公言するのはちょっと恥ずかしいものがある。特に歩(あゆみ)など、名前の読みが全く一緒なのだ。それでからかわれたこともある。聡(さとり)以外の周囲の人間には秘密である。
 「カラオケ大王」である歩(あゆみ)は、憧れの沢崎あゆみの歌を是非歌いたかった。
 だが、17歳の高校生が成人女性の音域を追えるはずもない。何度か1人で練習したことはあるのだが、結果は悲惨なものだった。

 ところが・・・なんと女性に変身する能力が付与されたのである。これは試さない訳にはいかなかった。


第183回(2003.3.3.)
 
歩(あゆみ)は自己流の発声練習で声の出方を確かめた。
 専門に声楽を習ったりしている訳では勿論無い。
 しかし、やっぱり女の声が出るというのは、自分の声の操り方を全く変える必要があるのでは無いか、とか思っていたのだ。
「ふう・・・」
 パチパチパチ、と拍手の音がする。
「凄いねーお兄ちゃん」
「う・・うん」
「本当の女の子みたい」
「まあ・・・」
 肉体的には間違いなく女なんだけど・・・、確かにこの声はちょっと凄い。
 “凄い”というのは物凄い声量が出たとか、猛烈な高音が出たとかそういうことじゃない。
 何と言うか根本的に声の土台部分が違うのである。
 多分無理すれば今の声の高さの音も男の時に出すことは出来ると思う。裏声なんかを駆使して。
 しかし、その声が全く無理なく出すことが出来るというのが大きかった。
 実は技術的には「低音」を出す方が難しい。だから男性が女性並みの高音を出すよりも女性が男性並みの低音を出す方がずっと困難なのである。
 でも歩(あゆみ)は別にオペラ歌手の男性ソリストになりたい訳じゃない。一カラオケファンとして沢崎あゆみの歌を女声で歌ってみたいというだけである。
「よし、じゃあやってみようか」
「お、やる?」
「うん。まだ完全には慣れないけど、やりながら練習するよ」
「もう充分慣れてるってば。お兄ちゃん凝り性なんだから」
 歩(あゆみ)のカラオケ大王ぶりは、この“今時の女子高生”である妹の聡(さとり)もよく承知している。
「じゃあ、あれで」
 注文を聞いてぴぴぴ、と入力する妹。


第184回(2003.3.4.)
 何だかドキドキする。
 これまでだったらこんなのは断固拒否する所なんだけど、「女声で沢崎を歌う」という魅力には適わない。
 何だか夢みたいな気分だった。
 普通に生きていれば気分転換みたいに気軽に性転換出来るはずもない。歩(あゆみ)は当然ながら諦めていた。
 男に生まれて、ごくごく稀に「女だったらなあ」と思うことはある。他の人がどう思ってるのかは知らないけども、歩(あゆみ)はその声が羨ましかった。
 イントロが流れ終わる。
 さあいよいよだ!
 ところがその瞬間だった。
「うい〜っす!さっちん!」
 がちゃりとドアが開いた!
 マイクスタンドごと蹴倒しそうになった。
「あ、よっちゃん!みんな!」
「あ、あわわわわ・・・」
 しどろもどろになっているピンクハウス歩(あゆみ)。
 目の前がぐるぐると回る。
 み、見られた・・・見られた・・・こんな格好を・・・。
「あ、どーもー」
 愛想良く挨拶をしてくる制服少女たち。
 ど、どうしようどうしよう?入ってきたばっかりの入り口を押し広げて出る訳にもいかない。
 前に母親に見られた時にはお互いに変身してたから母さんがこっちを聡(さとり)と見間違えてくれるというウルトラCがあったのだが、今回はそれも不可だ。髪が長くなってしまってるし、何より目の前にその聡(さとり)本人がいるのである。いくら似てると言っても混同してくれるはずも無い。
「あ、この人あたしの従姉妹のお姉さんね」
 お、お姉さん?
「こんにちわー」
「初めましてー」


第185回(2003.3.5.)
 聡(さとり)がこちらに向けてぱちり、とウィンクしてくる。
 じょ、冗談じゃないよ!
「ちょ、ちょっと!」
 ぞろっとしたスカートを翻しながらピンクハウス歩(あゆみ)は聡(さとり)を引っ張って狭い部屋の隅に行く。
 以下、ヒソヒソ声の怒鳴りあいである。
「何だよこれ!話が違うじゃねえか!」
「いいじゃないよ。あたしの友達なんだから」
「恥ずかしいから俺とお前だけだって言っただろうが!」
「誰も今のお兄ちゃんなんて気付かないってば!」
「そーゆー問題じゃねー!」
 背後から声がかかる。
「あのー、さっちん?」
 “さっちん”とは勿論聡(さとり)の愛称である。
「あ、いいのいいの。お姉ちゃんちょっと人見知りするんで」
 勝手に話が進んでいる。
 仕方が無い、今日は諦めて適当なところで帰るか・・・。
 と、気が付くと少女たちはさっさと飲み物なんか頼み終わっている。
 ひょっとして、さっき入り口で出会った店員とかが来るのかな・・・?
 可能性は低いけど、ありえないことじゃない。
 そうなると高校生の制服姿の男女ペアが入っていったはずの部屋にどこからか出現したピンクハウス女がいることに・・・。
 妙な所で心配性の歩(あゆみ)はそんなことまで気にし始めた。


第186回(2003.3.6.)
「いいのかな?さっちん」

「あ、いいよいいよ」
「お姉さんからお先にどうぞ」
「・・・?」
 「お姉さん?」・・・そうか、お姉さんって俺のことか!?
 歩(あゆみ)は当たり前の様に今までとは違った呼ばれ方をしたことに戸惑っていた。
「いやその・・・」
 何でこんなにドキドキするのかな?こんなぞろっとしたスカート着てるからかな?
 歩(あゆみ)はもう椅子の隅っこにちょこんと座っていた。可愛い。
 妹がいるからこの年頃の女の子には免疫があるけど・・・。
「そーいえばさっちん」
 用意されていた水をすするピンクハウス歩(あゆみ)。
「今日ってお兄さんが来るって・・・」
 ごふっ!とむせるピンクハウス歩(あゆみ)。
「あーそーそー」
「さっちんのお兄さんって可愛いよねー(^^」
「うんうん!あたしも1人欲しい感じ!」
 聡(さとり)含めた3人娘は賑やかに盛り上がっている。
 まあ・・・悪い気はしないんだけど何か違う様な・・・。
「え?お兄ちゃん?来てるじゃない」
 ぼははっ!と思いっきりむせる歩(あゆみ)。


第187回(2003.3.7.)
 焼き尽くしそうな目つきで聡(さとり)をにらみつけるロングヘア歩(あゆみ)。
「あ、ごめんごめん!急に来れなくなったんだって!」
 死ぬほどわざとらしい説明である。
 そりゃ聡(さとり)は毎日の様に歩(あゆみ)を性転換した上に自分好みのスタイルに女装させて楽しんでいるから“女の子モード”の兄を見るのにはなれているのかも知れないがちょっとあんまりである。
「ふーん、そうなんだ」
 女の子の1人がちらちらこちらを見ている。
 そりゃそうだ。この環境下で疑わない方がおかしい。しかもおあつらえ向きにこの髪の長さと量である。そこに持ってきて体形の隠れるゾロッとしたスタイルでは、女装している変質者としか見えない。
「あ、ちがうよ。その人は」
「そーだよねーあはは」
 やっぱり見ず知らずの人間が1人混じっているというのは、微妙に空気が濁る。
「あの・・・すいません。お名前は・・・」
「え・・・?」
 益々挙動不審ぶりが強調されてしまうが、歩(あゆみ)は虚を衝かれて戸惑った。
 こんな事態は全く想定していなかったから、自分が女の子の時の名前なんて想像すらしていない。まさか本名を答える訳にもいかない。
「あの・・・その・・・」
 真っ赤になって戸惑っているピンクハウスの17歳。初々しい。
 その時だった。
 これまでで最大の悪夢が降臨した。


第188回(2003.3.8.)
「ういーっす!さっちん!」
 驚きを通り越して固まってしまう歩(あゆみ)。
 そう、そこには今日転校してきたばっかりの10数年ぶりに出会った幼馴染み、長沢恭子がやってきたのである!
「あ、きょーこちゃん」
「こんにちはー」
 愛想よく挨拶をする聡(さとり)の同級生たち。
 さ、最悪だ・・・最悪だ・・・。
 もうどうにもならない。
 その場から逃げ出す事も忘れていた。
 そうなのである、もしもこの場から逃れられたとしても、聡(さとり)に能力を解いてもらわないとピンクハウス姿のまんまなのである!
 でも・・・実はもう1つ懸案があった。
「・・・ごめん、さっちん。この人は・・・?」
「あ、紹介するね。従姉妹のあゆみちゃん」
 可能だったら部屋ごと大爆発を起こしそうな気分だった。
「・・・?え?あゆみちゃんは?」
 0.1秒ほど動きの止まった聡(さとり)だったが、そこはめげない。
「あ、お兄ちゃんはちょっと都合が悪くなって・・・」
 あ、あのなあ・・・。
「みたいですよー」
 一応同級生がありがたいことにフォローを入れてくれる。
「へー、そうなんだ・・・」
 ちょっとがっかりした様子の恭子。
 うう・・・なんてことだ・・・。1人カラオケ練習が終わったら変身を解いて貰って参上し様と思ってたのに・・・。
 歩(あゆみ)は心の中で泣いた。


第189回(2003.3.9.)
「てゆーか従姉妹いたんだね」
 兄妹揃ってドキッ!となる。
「ま、まーね・・・」
 冷や汗が出ている聡(さとり)。
「ま、ままま。いーから歌っちゃオ!」
 見ると何だか女子高生たちは勝手に曲を入力している。
「ん?何か入ってるよ」
 びくびくびくっ!とするピンクハウス歩(あゆみ)。
 それにいち早く気が付いたらしい聡(さとり)が慌てて
「あ、いいよいいよ消しちゃって!」
「あ、でもあゆじゃん」
「あたし歌う歌う!」
 ガンガン盛り上がり始めた。
 早くも騒々しくなるBOX内。
 狙っているのか何なのか、借りてきた猫みたいに大人しくなっている歩(あゆみ)のその隣に座る恭子。
 ドギマギしているばかりの歩(あゆみ)。
「あゆみ・・・さん?」
「あ、あはは・・・どうも・・・?」
 何とか恭子の方を向いて笑顔を振り撒くのだが、勿論正視出来るはずも無い。
 BOXの中は大音響の素人歌が響き渡っている。そして・・・良く見ると聡(さとり)もこんな状況におかれた歩(あゆみ)を差し置いて友達と盛り上がっているではないか!
「あの・・・ごめん。いいかな」
 きょ、恭子が話し掛けてきた!
「・・・どこかで会ったことあったっけ?」


第190回(2003.3.10.)
「え・・・いやあのそのあの・・・」
 しどろもどろになっている歩(あゆみ)。
 すいっと近付いてくる恭子の顔。
 ま、まさか・・・。
 妙な妄想が頭の中を駆け巡った。
 目の前に近付いてくる恭子の顔。
 妹以外の異性にこれほどの接近を許した事は無い。
 な、何て可愛いんだろう・・・。
 とか何とか思ってしまってまた顔が紅潮する。
 恭子は耳の方向にすい、と方向を曲げてくる。
「理由は知らないけど、黙っといてあげるね」
 ・・・え?
 ひょい、と元の姿勢に戻ってぺらぺらと曲目を選び始める恭子。
 ぽかーんとしている歩(あゆみ)。可愛い。
 視線に気付いて顔を上げる恭子。
 こちらを見ながらぱちっ!とウィンクする。
 そうか・・・。
 歩(あゆみ)は合点した。
 恭子ちゃんはあの時のことを覚えていたんだ。そして電車の中でウェディングドレスで立ち往生していたのが自分だとも気付いてくれた・・・。
 そして何らかの臨まない形での強要だったに違いないと当たりを付けて“黙っておく”ことにしてくれたんだ・・・。
 嬉しかった。
 人間、困っている時に手を差し伸べてくれる人こそ本当の友達だと言うが、恭子ちゃんは本当にいい人だった。