おかしなふたり 連載101〜110

第101回(2002.12.11.)
 電車内に限らないが、公共の場で他人と接触するのは愉快なものではない。
 満員電車など、不可抗力の場合は仕方が無いが、それにしてもなるべくそういった事態は避けるように気を遣う。手に持ったカバンや傘などである。
 歩(あゆみ)は当然、スカートで外出したことなど無いので分からないが、恐らく長いスカートを履いて外出する人はその裾が他人に接触することを気に掛けている・・・んだと思う。
 全て想像である。
「わああっ!あっ!」
 もう隠さなかった。というか隠すも何も無かった。
 周囲の乗客も、ある人は恐怖におののいて立ち上がり、ある人は同じく驚愕の声を上げた。
 歩(あゆみ)が着ていたズボンは、純白のスカートへと姿を変え、半径1メートル以上の範囲に向かって広がったのだ!
 同時にぺらぺらだったその生地は何重にも重なり合ったものになって腰に重さを掛けてきた。
「こ・・・これ・・・は・・・」
 ため息が出そうな美しいスカートだった。
 シュークリームの皮の様に何重にも上から重ねられたその生地。上品なお屋敷の壁を彩っているカーテンみたいな豪奢なひらひらの装飾・・・。上半身と同じくキラキラと輝きを放つ擬似宝石・・・。
 そして・・・そのスカートの半径以下の距離しか座席に対して取っていなかった歩(あゆみ)は自らのスカートを、目の前の数人に対して接触させてしまっていた。
「あ・・・」


第102回(2002.12.12.)
 「すみません」とでも言うつもりだったのだろうか。
 ともかく、スカートの裾が触れない程度まで歩(あゆみ)は座席と距離を取った。
 ゴツ・・・ゴツ・・・と“スカート”というよりも十数枚ものカーテンを重ねて巻きつけているかの如き生地のお化けの内側でかかとを鳴らしながら後退する歩(あゆみ)。
 ざざあ〜っ!と鳴るそのスカート。ぐらり、とその重さで揺らめきそうになる。そこに電車の揺れが加わる。
 もう、その身体の上に襲い掛かってきた変化の正体は誰が見ても明らかだった。
 だが、変化は尚終わりを見せなかったのだ!
 この時点で視界の範囲内にありながらこの中心人物を注視していないのは、ここにいたって尚熟睡している御仁だけだった。
 これまで振り乱されていたその髪が、まるで生き物の様にうごめき始めた。

 野次馬から何かというと声が上がるに至って、それぞれの車両の継ぎ目の集団は加速度的にその数を増やしていた。ここまでの集団になると、この集団それ自体が集客力を持つようになってしまう。
 “これだけ大勢の人間が集まって何かを見ているのだからそこには何かがあるのだろう”という訳だ。
 よって、最初は“隣の車両で起こっている異常事態”に引き付けられて出来上がった集団だったが、途中から純粋な野次馬まで含めてその数は膨れ上がっていた。
 そして更にある程度の数を超えると、それは強迫観念に様変わりする。「この流れに乗らないと勿体無いぞ」と。


第103回(2002.12.13.)
 “うなじ”が露出した。
 主に男性陣の胸に何かが突き刺さった。
 恐らく観客の半分以上がこの変身のスタート時点のステータス(状態)を知らない。元男子高生から始まってここに至っているということを。
 多くの観客のスタート地点では既に対象は長い髪を振り乱していた。
 だからその“うなじ”は特別な変化だった。
 背中側が大きく露出する。
 つるつるのその表面は“白”という色とその光沢も相まって強く“下着”を思わせた。はっきりと見えるその体型もそれを補助していた。
 座席から離れたことでつり革を掴めなくなった対象は電車の揺れに合わせて大きく揺らいだ。気が付くと、その大きな大きなスカートの後ろ側・・・「トレーン」と呼ばれる“しっぽ”にあたる部分は更に長く広がっていた。長さだけで2メートルはあるかというそれは、畳丸一枚分ほどの電車内の床を純白に染めていた。
 対象がその大きな大きなスカートの内側で両足で踏ん張って体制を必死に支えようとしているのが傍目で見ていても分かった。
 うなじが見えるまでになったその髪は、アップに纏められつつあった。
 一流のヘアメイクアーティストがそうしているかのようにすっきりとまとまっていった。


第104回(2002.12.14.)
 さ、さとりぃ・・・や、やめ・・・やめるんだ・・・ぁ・・・
 その心の声は恐らく聡(さとり)には届いていなかった。・・・というか届いていても止めてくれたかどうか・・・。
 髪が・・・勝手に・・・
 頭の、頭皮に何か固いものが当たる。
 それがヘアピンであることを自覚することは出来なかった。
 涼しくなった胸元に何かひんやりした物がコロコロと当たった。それは真珠のネックレスだった。
 顔が熱い。
 みんな・・・みんなこっちを見てる・・・。
 ちょうど車内の真ん中で翻弄される形になった歩(あゆみ)には周囲の状況が無理矢理にでも視界に飛び込んできていた。車両の継ぎ目の辺りに固まっている人の群れすらも視界に入ってきていた。
 こんな・・・こんな恥ずかしい格好をみんなに見られて・・・。
 恥ずかしくって顔から火が出そうだった。
 その熱く熱した耳たぶを何かがぎゅっと掴む。それは大きなイヤリングだった。勿論ネックレスもイヤリングも歩(あゆみ)は初体験だった。・・・だが、それは今は小さなことだ。
 また揺れの小さなエリアに突入したみたいだった。
 両足でしっかりと立つ。
 びっくりした。
 な、なんて大きなスカートなんだろう・・・。辺りの床はみんな覆い尽くされているみたいじゃないか。
 その時だった。


第105回(2002.12.15.)
「あ・・・あ・・・」
 微妙な・・・というより、鍛えようの無い部位に攻撃が加えられたみたいだった。
 目が・・・目が・・・おかしい・・・
 具体的に言うと、まつげの付け根に妙な感触が襲い始めたのだ。
 これって・・・もしかしてまつげが・・・
 と、冷たい液体が目の周囲をつるつるとなでていくではないか!
 な、何なんだ何なんだこれは?
 まつげはより太く重く、マスカラに彩られていった。
 と、まぶたの上を何やら乾いた筆みたいなものでさらさらとなでられているかのような感触が襲い始めた。
 ひょ・・・ひょっとして・・・僕は・・・メ、メイクされているんじゃ・・・。
 胸の奥がきゅうっ!となった。
 そ、そんな・・・これまで女にされたり女装されたりしてきたけど・・・遂にメ、メイク・・・まで・・・。
 そして・・・その唇に何か生暖かいものがぬる〜っ!と押し付けられた。
 いや、正確には押し付けられたかの様な感触が撫でていった。
 こ、これは・・・く、口・・・紅・・・?
 そのマスカラで黒く染まったまつげをぱちくりさせながら確認の仕様が無い現実に戦慄する歩(あゆみ)だった。


第106回(2002.12.16.)
 もう後は、“仕上げ”を残すのみだった。
 いつの間にか振り乱さんばかりだった長い髪は頭頂部で綺麗に纏め上げらていた。そこから、透き通った生地がさ〜っと“生えて”来た。
「わあ・・・あ・・・」
 その顔はナチュラル・メイクに彩られていた。決してケバケバしくは無いが、確かに“化粧している”ことは分かる。それは元から可愛らしいその顔をより引き立てていた。
 そのほんのり紅く染まったさくらんぼの様な唇を驚きに軽く開いているところに、まるで雪の様にその生地は“降って”来た。
 右手が重くなった。
 何かが出現したのだ。
 ふと見ると、どこからともなく小さな花束が現れていた。それはウェディングヴーケに間違いが無かった。
 そう、ついさっきまで平凡な男子高生だった歩(あゆみ)は、下着から靴まで、つま先から頭のてっぺんまで、純白のウェディングドレスに身を包んだ美しい花嫁になってしまったのだ!
 歓声とどよめきがあがった。
 “完成”した“花嫁”はこの世の物とも思えぬほど美しかった。・・・といいたいところだが、なかなか複雑であった。
 電車の中という、この上なく生活観に溢れた風景の中に突如出現した花嫁は、必死にそう思い込まなくては異常な事態だと忘れてしまいそうになってしまう。


第107回(2002.12.17.)
 燦燦と降り注ぐ陽光がドレスの表面に照り返り、その姿すらみにくくする。
 後ろからぎゅうぎゅうに押されているフリーターは確かにその一部始終を目撃していた。
 下腹部が興奮していた。
 確かに変わった・・・目の前で変わって行ったのだ。間違い無い。単なるズボンがあのドレスのスカートに変わって行ったんだ・・・。
 今目の前で自分の、ドレスに包まれたその身体を物珍しそうに眺め回している花嫁は確かにそこにいた。
 電車の中に限らず、フリーターは花嫁それ自体をこんなに近くで見たことが無かった。恐らくウィンドウに飾ってあるマネキンの着ているドレスを見たことはあっただろうが、生きて動いている生身の人間が身にまとった状態のドレスを目撃するのはこれが初めてだったのだ。
 「男の子だったのに・・・」
 確かにそう聞こえた。
 最初にこの現象に目をつけた目の前のOL風の女性が口走った独り言である。この事態に直面して感覚が研ぎ澄まされていたフリーターはこの一言を聞き逃さなかった。
 だが、それ以上問い詰めることはしなかった。否定されても肯定されても、目の前の現実が変わるわけではないからである。
 そして・・・この日の出来事は彼の生涯の“おかず”になるのだが、それは今はいい。


第108回(2002.12.18.)
 これが・・・これが・・・ウェディング・・・ドレ・・・ス・・・。
 これまた当然といえば当然のことながら、歩(あゆみ)にとっての“初ウェディングドレス”になった。
 動けば動くだけ“衣擦れ”の音がイヤリングのぶら下がった耳をくすぐる。
 指先まで手袋に覆われたその手で、掛け布団の様なそのスカートを掴んでみる。
 つるつるの表面のもの同士が触れ合ってしゅるるるるる〜っ!という音がする。
 そして同時にざらざらっという音と、少し固い感触が伝わってくる。それはスカートを膨らませるためのチュールという素材の手触りなのだが、勿論知識として歩(あゆみ)がそれを知っているはずも無い。
 スカートを膨らませるためのパニエの内側には表面と同じサテンが貼り付けられている。バランスを取るために動いた際にその白い膝上ストッキングに覆われた脚が内側のつるつるの表面にこすれたりしていた。
「あ・・・」
 歩(あゆみ)はもうどう考えていいのか分からなくなっていた。
 こ・・・こんな・・・ウェディングドレスを着せられて・・・その・・・花嫁さんにされちゃうなんて・・・。
 周囲の好奇の視線が純白のドレスに突き刺さる。
 はっ!とした。
 花嫁は大変なことに気が付いた。


第109回(2002.12.19.)
 もしもこのまま駅に着いたら・・・
 数分前まで一刻も早く駅に着くことを願っていた花嫁は、恐ろしい現実に気が付いて戦慄していた。
 思わずついさっきまで自分が立ち尽くしていた場所を見た。
 や・・・やっぱり・・・。
 自らの格好も省みずその場に駆け寄る歩(あゆみ)。
 だが、後ろ方向に引きずっていたトレーンの上を踏んずけてしまう。
 なんて大きな衣装なんだ。自分で全然自由に操ることが出来ない。
 思わずそのスカートの裾をひっくり返し、・・・と言いたい所だが、ちょっとかがみこむだけで膨大な量のスカートに埋まりそうになる。
 だが、その不自由さにめげずになんとかスカートをめくり上げて探索する。
 答えは見る前から半分分かっていた。だが、確認して改めて確認した。
 無い・・・。
 立ち上がった。
 背中には大きなリボンがあった。立ち上がることでまたその大きなスカートを含めたプロポーションが浮かび上がる。
 無い・・・。
 歩(あゆみ)が床に置いたカバンが消滅していた。


第110回(2002.12.20.)
 そんな・・・
 血の気が引いていった。頬紅のおかげで顔面蒼白とはならないが、もう倒れそうだった。
 この状況で倒れたらどんなことになるかもう本当に想像もつかない。だから必死に耐えていた。耐えていたんだが、この現状は叫び声を上げたいほど酷いものだった。
 切符が・・・ポケットに入れておいた切符が無いのだ!
 ポケットを探ろうと・・・するまでもなくポケット自体が消滅してしまっているのだ!ヴーケ片手にポケットがあった辺りをまさぐってみてもつるつるのスカートの表面をなでるだけだ。
 だからカバンの中の財布を当てにしようと思ったのだが・・・カバンは・・・スカートの渦に飲み込まれてしまったらしいのだ。
 そう、今この哀れな花嫁は無一文になってしまっていたのだ!
 どうやって駅の外に出ろというんだ?無賃乗車じゃないか。
 花嫁姿にされた歩(あゆみ)は途方に暮れていた。
 それにしても・・・これが・・・ウェディングドレスか・・・。
 全身あちこちに拘束と解放の感触・・・指先まで飲み込んだつるつるの手袋・・・、身動きが取れないほどの大量のスカート・・・。
 耳たぶを常に引っ張られているみたいな妙な感覚だ。
 女子高生の制服中心だった歩(あゆみ)の女装(?)遍歴ではイヤリングというのは初体験だったのだ。
 ・・・結構痛いな・・・。
 などと考えている場合ではない!
 む、胸元が結構涼しい・・・。
 これは本当に落ち着かない感覚だった。