スヌーピーの思い出 第4章


彼女の転院を知っても、誰もお見舞いに行こうとは言わなかった。
私の住む街から岐阜市までは決して近くはなかった。JRを乗り継いでざっと1時間半はかかる。 簡単にお見舞いに行けるような場所ではないのはわかっていた。でもそれが理由ではなかったと思う。
彼女が片脚を切断するという事実を、私たちは受け入れることができなかった事が一番の理由だったと思う。いつも クラスの中心だった彼女、家族から大切にされ、友達からも愛されている彼女が、障害を持つ女の子に なってしまう事実を認めたくなかったから。私たちにとって彼女はいつも輝いていなくてはいけない 存在だったし、彼女が不幸になることは許されなかったから。
もっとも、彼女の家族からもお見舞いは当分見合わせて欲しいと言われていたのだから、行きたくても 無理だったのだが・・・。

やがて寒さも厳しくなり、クリスマス・シーズンを迎えようとしていた。ウッドストックのグループの 先輩たちは受験勉強で忙しくなっていたし、私たちも以前ほど彼らのことを話題にしなくなっていた。 ウッドストックの話題を出すと、どうしても彼女の事が気になってしまうから敢えて避けていたのかも しれない。
そんなある日、ウッドストックが私たちの教室に突然現れた。今まで1年の教室に来ることなんかなかった ので私たちは緊張した。彼は彼女の親友の子と何かコソコソと話を始めた。私はその会話に入っては いけない気がして遠目で眺めていた。一通り話し終えると、彼はさっさと帰っていった。もともと見た目は ぶっきら棒な感じの人だったから、その表情からは何も読み取ることはできなかった。
「ウッドストックね・・・たぶんあの子のこと好きなんだよ・・・。」
私は二人の会話の内容を後で教えられた。ウッドストックもやっぱり彼女が好きだったんだ。だけど 彼は軽いタイプじゃなかったからそんな素振りは全然見せていなかった。顔には出さなかったけど、 彼女の病気の事はずっと気になっていたらしい。そしてたまらなくなって彼女の状態を聞きに来たらしかった。 ウッドストックはお見舞いに行きたいから病院を教えて欲しいと言ったのだけど、家族の人からお断りされてる 状態だから無理だと言われて納得して帰って行ったらしい。

私はそれを聞いてやるせなくなった。
彼女が大好きな人、ずっと片思いしていた人・・・
彼もまた彼女のことを思っていたなんて・・・
もう少し早くわかっていたら、せめて脚を切る前にわかっていたら、彼女とウッドストックのお互いの 気持ちがわかっていたら・・・
二人ともとてもピュアすぎた。ウッドストックを思う彼女の純粋な気持ちを感じて、私は泣いた。自分の 部屋のベッドに仰向けになってポロポロ泣いた。彼女に嫉妬してきた汚い心の自分はこんなに健康で、 キレイな心で人を愛している彼女の体が病んでいる。とても不条理だと思った。運命は残酷すぎると 思った。

新しい年が淡々と始まり、短い冬休みが終わった。
私たちが知らないうちに彼女の手術は終わっていたらしい。右脚を切断し、義足を作ってリハビリ中だと 情報が入ってきた。
遠くて申し訳ないけど1度お見舞いに来て欲しいと、彼女のお母さんから電話があった。
転院してから初めて、私たちは彼女のお見舞いに行った。電車の中で私たちは、 絶対哀しそうな顔を見せないこと、彼女を精一杯はげますこと、の二つを確認し合った。そうやって 話し合うことで、片脚を失くした彼女に接する心構えを自分たちなりに心に刻んだ。
大学病院はとても大きな建物だった。私たちは迷路のように入り組んだ廊下を教えてもらった通りに 進んで行った。病棟の空気はひんやりとしていて壁も廊下も乳白色だった。日曜の午後だと言うのに 病棟の中は静かだった。彼女の病室が近づき始めると私の心臓は高く脈打ちだした。
あの向こうに彼女がいる・・・彼女は私たちを見てどんな表情を見せるのだろう・・・。
「あっ・・・。」私たちは目を疑った。
見慣れた制服を着た4人の男の子たちが向こうから歩いてくる。
それは間違いなくウッドストックのグループだった。彼らもお見舞いに来たなんて想像もしていなかった 私たちは、どうして?とお互いに言い合った。私たちの誰一人、彼女の状態についてあれから何も ウッドストックたちに話していなかっし、お見舞いの許可が出たことも教えていなかったから。
ウッドストックたちは、ちょっとはにかんで私たちとすれ違った。お互い何も話さなかった。

病室は個室だった。
彼女は驚くほどに元気で、嬉しそうに私たちに笑顔を向けた。励まそうとしている私たちの方が戸惑って しまうほどに、彼女の態度は明るかった。
「これ、カツラなんだよ。」と、彼女は自分の頭を指差して笑った。
「この下、ツルツルなんだ。」
治療の副作用で毛が抜けてしまったので、カツラを作ったのだと彼女のお母さんが説明してくれた。 それは言われなければわからないほどに精巧にできたカツラだった。
「高かったらしいよ。」とまた彼女は呆気羅漢として言った。
「あれも高かったんだよ。」と彼女が指差したその先にあったのは、壁にもたせてある肌色の義足だった。 ショックだった。その義足は腿の付け根から着けるような形で、とても大きかった。でも彼女の方は 全然気にもしてないように、リハビリの事や治療の事を話し出した。その話し方はウッドストックや 好きな食べ物、クラスの話題を話しているような感覚だったで、聞いてる私は動揺した。私が彼女の立場 なら、あんなに普通にいられるだろうか・・・毎日泣きはらして、誰にも会いたくなくて、誰ともなく 恨んで・・・あんな明るい顔なんて絶対できない・・・。
やがて私は確信した。彼女は泣きつかれ、絶望して、そこから立ち上がったのだと。全てを受け入れたからこそ、 彼女はこんなに穏やかでいるのだと。彼女の表情は以前と変わらず人を惹きつた。いや、むしろ 前以上に静かで穏やかな優しさで私たちを包み込んでいるようだった。私は難しいことは わからないけど、京都でよく見た菩薩とか観音様の顔に似ていると思った。

「さっき、ウッドストックが来てくれたんだよ。」
彼女は嬉しそうに私たちに言った。
「あっ、うん、すれ違ったよね。」と私たちは頷いた。
「私がお母さんに頼んだんだ。会いたいから連絡してって。」
それを聞いて私はちょっと驚いた。あんなに片思いしていて、声もかけられなかった彼女が そんな大胆な行動を取るなんて信じられなかった。しかも片脚を失くしてカツラを被っている 姿で、会いたいだなんて・・・。
ふとベッドの横を見ると、そこには泣きつかれたのか、腫れた目をした彼女のお母さんが静かに 立っていた。それとは対照的に彼女は清清しい顔をして終始陽気 だった。

これが、私が会った最期の彼女だった。


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