君に会えて

 

 

 

3.光彦

 

トランペットとクラリネットの音が、途切れ途切れに聞こえる。

そして勢いのいいドラムと、少し調子っ外れな歌声も。

放課後の校舎は、様々な音に満ちあふれている。生徒達が、1番生き

生きしている時間。

円谷光彦は、そんな音風景を背に、誰もいない昇降口に立っていた。

自分の靴を取り出そうとして、振り返る。

もう、すっかり覚えている靴箱の位置。ちょうど自分の真後ろにあた

る場所の、上から3段目。

・・・今日は、まだ帰っていないようですね。

すでに日課になってしまっていること。それは、彼女が帰ったのかど

うかを確かめること。

そんなことを無意識の内におこなってしまう自分に、光彦は苦笑する。

・・・未練がましいな、僕も。

もう、何年になるのだろう。彼女のことを、想うようになってから。

届かない想いとわかっていても、それでもなお追い続けないわけには

いかなかった。

・・・彼女の心は、ただ1人に向けられているというのに。

そんな光彦の思考は、まさしくその想い人によって遮られた。

「円谷君。久しぶりね、帰りが一緒だなんて」

振り返ると、カバンを下げた哀が立っていた。これから、帰宅するの

だろう。

「あ、久しぶり・・・です」

どぎまぎしながら、光彦は答える。

さっきまで、思い描いていた彼女の姿。くつを履き替え、つま先で軽

く地面を叩くその仕草も。

「・・・どうしたの?」

「あ、いえ・・・ちょっと考え事を・・・」

そう?と、哀は軽く受け流すと、先に立って昇降口を出て行く。

光彦は、その後を追う。

・・・一緒に、帰ってもいいのだろうか?

横を並んで歩いている哀の表情をうかがいつつ、光彦は考える。

何も考えていなかった小学生の頃とは違い、高校生の今は男女が一緒

に帰るという行為は、それなりの意味を持つ。ましてや、哀のように

人気がある女生徒なら尚更だ。

自分達2人にそそがれている、あちらこちらからの羨望が混じったぶ

しつけな視線を、光彦は気恥ずかしい思いで感じていた。

それと同時に、誇らしくも思う。

『幼なじみ』という存在。自分達の関係は、それに近い。

彼女にとっての自分達・・・かつての少年探偵団は、どうやら特別な様子。

廊下で会えば、急いでいない限り立ち話もする。

今はクラスも分かれているが、同じクラスになるたびに何かと噂にな

ってきた。

それでも、哀の態度は常に一定で・・・。

「円谷君」

「え、あ、はい。なんですか、灰原さん?」

慌てたように聞く光彦に、哀は少し笑って言う。

「帝都大学の、推薦入学の話が来てるんですってね」

「・・・ご存知でしたか」

光彦は、照れたように笑った。

帝都大学は、私立とはいえ超一流の有名大学。指定校推薦という形で

はなく、日本全国の逸材をどんな無名高校からでも、受け入れること

でも有名だった。

実を言うと光彦は、この春から話題の人であった。

彼の応募した推理小説が、難関といわれるS社の新人賞に見事輝き、

すでにデビュー作としてこの秋に単行本化されることが決まっていた。

つい最近まで、『期待の新人推理作家は、高校生!』という見出しが、

しばらく雑誌をにぎわせていたものだ。

あの、少年探偵団として過ごした日々。数々の事件に遭遇し、その解

決を目の当たりにしてきた。その時の経験が、大いに役に立っている。

今なら、わかる。あの時、確かに目の前には『名探偵』と呼ばれる存

在がいたのだと。

結局、自分はホームズにはなれなかった。

その代わりに、ワトソンのように彼の活躍の全てを、心に刻み込んで

きた。

新人賞を受賞した時、つくづく思ったのだ。ようやくこれで、彼と対

等になったのだ、と。

「帝都大学なら、作家としての時間もとれるでしょうし・・・喜んで、行

かせてもらおうと思っていますよ」

「そう・・・よかったわね」

一見、そっけなく聞こえる哀の反応。でも、それは彼女なりのお祝い

の言葉。

・・・ずいぶん長い間、一緒に居させてもらってますからね。

光彦は、そんなふうに思って少し笑みを浮かべる。

「あの・・・灰原さんは、どうされるんですか?」

「私・・・?そうね・・・どうしようかしら」

哀は、つぶやくように言うと、足元の小石を軽く蹴る。

通り過ぎた風が、彼女の髪を軽くそよがせていく。

「・・・僕は、知っていますよ?灰原さんにも、帝都大からお話があった

んでしょう?」

光彦の問いに、哀は知ってたの、と小さな声で答えた。

自分の推薦入学の話を聞いた時に、たまたま担任の教師からもれた灰

原、という名前。

飛びぬけて成績が良いというのはもちろん知っていたが、どうやら彼

女の頭脳は化学や薬学といった分野で、かなりの評価を受けているら

しい。

高校にも、海外からの問い合わせがあったとか・・・。

学校側は隠していたようだが、そういう噂は広まるものらしく、すで

に帝都大学の耳にも入っているらしい。

「・・・ダメね・・・注意は、していたんだけど」

まるで自嘲するかのように、複雑な笑みをみせる哀。

「なぜです?素晴らしい、才能じゃないですか」

「・・・それを、生かせることが出来たら、ね」

哀は、空を見上げる。遥か彼方の地を、思いながら。

「・・・こうするしか、なかっただけ。罪は・・・償わなくっちゃいけない」

遠い、彼女の視線。その先に存在するのは・・・?

「お兄ちゃんたち、どいて!」

少し重い感じの沈黙を遮ったのは、元気な声。

2人の間をすり抜けて、走り去っていく小学生達。男の子が3人に、

女の子が2人。大き目のランドセルを、かたかたと揺らしながら。

「・・・懐かしいですね」

言葉足らずかな、と光彦は思ったが、哀にはすぐにわかったみたいだ

った。

「そうね。・・・同じ、ね」

同じ人数。元太と光彦と、歩美に哀。

そして。

いつも、少年探偵団の真ん中にいた小さな名探偵。

 

『あいつは、やめとけ。オメーの手におえる相手じゃ、ねえよ』

 

「灰原さん」

急に、真剣な声を出した光彦を、哀はゆっくりと振り返る。

立ち止まり、真っ直ぐな瞳で自分を見詰めている彼。

その、真剣な瞳には見覚えがあった。

いつの頃からか。友情と呼ぶには少し色の違う瞳で、光彦は哀のこと

を見つめつづけていた。

その言葉は軽々しく語られることはなかったものの、哀は光彦の想い

に気づいていたし、光彦もまた哀の気持ちが自分を向いていないこと

を知っていた。

だけど、もう限界だ。

光彦は、ただただ哀を見つめる。気丈なようで、どことなく不安げな

眼差しを持った、儚げな少女を。

「・・・僕は、ここにいます」

うまく言えなくて、もどかしいけれど。だけど、伝えたい言葉がある。

「あなたが辛い時も、そうでない時も。ずっと、僕はここにいます。

あなたのそばに」

「・・・円谷君」

光彦はためらいがちに一歩、哀に近づく。

そして、もう一歩。

もう少しで手が届く、そんな距離まで来て彼は、思い切ったように聞

いた。

「まだ、アイツのこと・・・忘れられないんですか」

「・・・・・・」

哀は、答えないままうつむく。

泣いているのか、と一瞬焦った光彦であったが、哀はフッとため息の

ような笑みを漏らす。

「忘れられないわ・・・でも、それはそんなロマンチックな理由じゃな

い」

風にはためく髪を押さえて、哀はつぶやく。

「ただ単に、彼には借りがあるだけ。・・・それだけよ」

哀の言葉・・・いや、言葉ではなくその表情に。光彦は、黙って唇をぎゅ

っと引き締める。

言葉とは裏腹な、今にも泣き出しそうな、切なげな顔つき。アイツを

想って遠くを見ている時の、寂しげな顔つき。

ずっと、見つめつづけていたから。気づかない訳がない。

ロマンティックな理由?確かにそれだけで、片付けられるような想い

なんかじゃない。

彼女はずっと、アイツを追い求めている・・・理屈じゃなく、その魂で。

「・・・いいんです。今、言葉にしないと一生言えないような気がしたも

のですから」

光彦もまた、切なそうに笑った。

「円谷君・・・」

子供の頃から、明晰な頭脳を持っていた彼。自分の感情など、すでに

お見通しであると暗に告げているその表情。

哀は、答えられない気持ちに目を伏せる。

「・・・ありがとう」

小さな声に、光彦は照れくさそうに笑った。

「・・・こちらこそ。せっかくだから、もう少し言っておきます。・・・あ

なたを好きになって、良かったですよ」

「私こそ、あなたという人と知り合えたこと・・・本当に、感謝している

わ」

2人は、穏やかな気持ちで微笑みあう。

やがて光彦は、もう少しで手が届きそうだった哀の横をすり抜けて、

前に出る。

「じゃ、僕は先に帰りますね。また、明日」

「・・・ええ。また、明日」

哀の言葉に、少しその体勢のまま聞き入り・・・光彦は、走り出した。

遠くなっていくその、後ろ姿。

哀はただ、その姿を見つめつづけた。

この光景は、きっとずっと忘れない。それだけを、心に感じながら。

 

 

NEXT

 


 

ごめんなさい、光彦・・・。君に、決して恨みはないんだけど。

ずっと、書きたかったシーンの1つですが、うまく表現できたかどう

か・・・うーん、謎。

それにしても、小学生も高校生も光彦は同じ話し方ですよね。やっぱ

り、あれは小学生じゃないですよ、絶対()

さて、次回はついに彼が登場・・・するかな?

あえて、1回も名前を出していないんですが。・・・今のところ、生きて

いる予定です()

 

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