部屋の間取りは2DK。郊外にある公団住宅。住人はふたりといっぴき。
兄・規倉一彰。24歳、銀行員。大学時代に極真空手2段取得。身長1メートル92センチ、体重88キロ。誰が見ても強面のやくざ顔だが、実は非常にやさしい性格。
妹・規倉葵。19歳、無職。小説家を目指し、日々原稿用紙のマス目を埋める作業に熱中している。身長155センチ、体重はしばらく計っていないから本人も知らない。極度の近眼で、家にいるときは色気のない分厚いメガネをかけている。
ネコ・ミミデカ。耳が大きいから「ミミデカ」略して「ミー」。一彰がひとめぼれし、初任給で当家にやってきた。オス2歳半、黒白のぶち。一彰のことは主人だと認識しているが、葵のことは対等だと思っている。
※
「つまり、あなたが犯人だったんですね」
探偵の指は、まっすぐ彼女を指し示した。そして、
にゃああん。
夏だと言うのに出しっぱなしのコタツ。その上に散らかされた原稿用紙に、しびれをきらしたミミデカが飛び乗ってきた。
「ミー! ばかやろう、珍しく完結しそうだったのにー!」
葵の悲鳴が家中に轟いた。
「兄ちゃん、早くミーをどかしてよ。書けないじゃないか。締め切りに間に合わなかったら兄ちゃんのせいだからな」
「ミーのせいではないのか?」
のっそりと現れた一彰は、低い声で反論した。
「違う。ミーを放置していた兄ちゃんのせいだ。わかったらさっさと連れて行け!」
ひょいと片手で持ち上げられたミミデカは、一彰の広い肩によじ登り、彼女の方に向かって馬鹿にするようにミーと鳴いた。
「もうだめだ。なにを考えてたか、忘れてしまった」
葵はコタツの上に散らかった原稿用紙のごみに、がっくりと突っ伏した。薄汚れたTシャツに短パン、髪はボサボサ、化粧っ気のない顔、分厚いメガネ、眼の下には真っ黒いくまが浮き出ている。どこからどうみても若いムスメには見えない。
一彰は部屋を出ようとして振り向き、
「葵。今日の夜メシは親子丼にするつもりだが、それでいいか?」
「なんでもいい」
葵は倒れたまま応えた。
そのとき、ピピピピ、ピピピピ、と電話が鳴った。
「はい、規倉です」
一彰が丁寧に受け答える。相手が単なる勧誘だったりすると、そのあまりにも太い恐ろしい声に怯えて、失礼しました、と切ってしまうのがオチである。一彰は普通にしているつもりなのに。
今回の電話は、勧誘ではなかったようだ。
「……ああ、元気だ。別になにも変わりはない。葵に代わろうか」
かあさんからだ、と一彰は葵に受話器を渡す。とたん、彼女の背筋がピンと伸び、声が変わった。
「あ、ママ? うん、元気、大丈夫。そんなに気にしないでよ。お兄ちゃんがいるんだし、怖いことなんてなんにもないわよ。ごはん? うん、ちゃんと作ってる。お兄ちゃん、いっぱい食べるから作り甲斐があるし。……で、用事は? おかあさんの同級生がこの近くにいるの? 同窓会があるから連絡したいんだけど、電話に出てくれない? 引っ越したんじゃないの? ……あ、そう、郵便物はちゃんと届くのね。で、できたら様子を見に行ってほしいって? まあ、いいけど……わかった、住所と電話番号教えてちょうだい」
電話を切った葵は、はあああと特大のため息をつきながらひっくり返って寝転んだ。
「いつもながら見事な二重人格だな。かあさんはなんだって?」
一彰が台所から訊ねた。
「聞いてりゃわかるでしょー? あのばばあ、話が長い上に人を道具みたいにこき使いやがって」
みつばの緑鮮やかな親子丼とだしの利いたお吸い物を運んできた一彰は、膳を並べながら言う。
「いいじゃないか、気分転換だと思って、たまにはかあさんの役にも立ってみるがいい」
「でもなあ……」
※
その家は葵の家から30分ほどのところにあった。
住所から調べると、この瀟洒なマンションのはずだ。白い壁が眩しい、12階だての建物。外から見るだけで見当がつくが、少なくともひと部屋3LDKはあるだろう。自分たちのわびしい部屋を思い浮かべて、その差に肩を落す。
時間は午後1時。普通の主婦なら特別出掛ける用事がなければ家にいるだろう。一応怪しい人物と思われないように、クローゼットの奥から引っ張り出した紺のワンピースに白いカーディガンを羽織って、髪にも櫛を通し、コンタクトも入れてきた。一彰はそんな葵をみて、「見合い写真でも撮っておくか」となかば本気でいい、彼女にケリを入れられた。
エントランスには郵便受けがあった。最上階121号室が、母親の同級生「宮野さと子」の部屋のはずだ。郵便受けには「宮野」とのみ書かれている。
当然、こんなに立派なマンションだからオートロックだ。葵はそんなものに縁がないので、使い方を保安室の老人に訊ね、部屋番号を押した。
「はい、宮野ですが」
一瞬、葵は唖然とした。インターフォンから流れてきた声は、少し声が高いが、間違いなく年配の男のものだったのである。
たまたま主人が休みだったのか? 意外な展開にうろたえる葵。実はこの葵、ものすごい内弁慶で、家の中ではおおいばりしているが、外に出るとすぐ兄の背中に隠れるような女なのだ。彼女が外に出たがらない理由が、これだ。
臨機応変が苦手な葵は、結局前もって練習していた言葉を口にした。
「あの、規倉と申しますが、さと子さんはご在宅……でしょうか?」
(いないから旦那が電話にでてるんじゃないか。あたしもアホだなあ)
すると、電話の相手の声が途切れた。
故障かな? もう一回かけなおしてみるか、と思ったとき、今度はさきほどの男が低くささやくように言った。
「さと子に、なんのご用でしょうか?」
「いえ、ちょっとしたことなんですけど、お話したいことがありまして」
突然、男が声を荒げた。
「さと子はいません! 二度と来ないで下さい!」
がしゃん!!と電話が急に切られた。なにがなんだかわからない葵は、オートロックのインターフォンの前でただ立ち尽くすだけだった。
エントランスで葵が途方にくれていると、さきほどオートロックの使い方を教えてくれた管理人が声をかけてきた。ひまらしく、保安室のテレビには高校野球が映っている。
「なんだい、留守だったのかい?」
「いえ……いるらしいんですけど、切られちゃったんですよね……」
「誰の家に用事だっけ?」
「宮野さと子さんのうちです。121号室の」
そういうと、管理人は不思議そうな顔をした。
「宮野さと子?」
「ええ。わたしの母の同級生なんですよ」
すると管理人はなんとも複雑な顔をした。
「121号室は、宮野さとしさんだよ。名前、間違えたんじゃないの?」
葵はなにがなんだかわからず、はあ?という顔をした。
「いえ、母は女子高なので。ということは、奥さんがさと子さん……?」
「いや、さとしさんは1人暮しだよ。名前のよく似た他人なんじゃないのかい?」
どういうことだ?
つづく
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