ひまわり 〈規倉兄妹探偵手帖1 後編〉


 

 「どういうことだ?」
 会社帰りの兄・一彰は、夏バテ防止の栄養たっぷりチンジャオロースを作りながら、妹・葵の本日の成果について聞いていた。
 「つまり、かあさんが探している人物—宮野さと子—はその部屋にはいないんだよな。なのに、住所変更届けの類は出ていない。郵便物が宛先不明で返ってこないことからわかる。ということは、だ、どういう可能性が考えられるんだ?」
 Tシャツ、短パンで畳にじかに寝そべっている葵は、団扇を使いながら逆に訊ねた。
 「どう考えられると思う?」
 ジャッという料理を炒める音の合間に、返事が返ってくる。
 「ま、普通に考えると、宮野さと子は宮野さとしの別れた女房だと。それなら二度と来るなという意味も通じるんじゃないか?」
 「ブー!」
 葵は思いっきり否定した。
 「管理人のおっちゃんに聞いたところ、宮野さとしはもう12年、あのマンションに住んでいる。新築で売り出したばかりの頃で、バブルの最中だからわりに高かったんだが、一人で入居した そうだ。当時36才だから結婚予定があるのかと思ったが、その後まったくそういう気配はないらしい。現在も特定の恋人はいない。かといって人付き合いが悪いわけでもなく、マンションの大掃除やなんかのイベントには必ず参加するから、マンション内での評判は上々らしい」

 「離婚どころか、結婚すらしていないのか……さと子の兄か弟ではないのか? 名前が似ているし」
 「ブー! それはかあさんに確認済み。ひとりっこで、従兄弟にもそれらしい人はいないらしい」
 「仕事はなにをやっているんだ?」
 「小物雑貨の輸入業。とくに最近はアジアブームだから、かなりもうけているらしいぞ」
 「趣味とかはないのか?」
 「趣味、ねえ。そこまでおっちゃんは言ってなかったなあ。でも言わないってことはたいした趣味はないんじゃないかな」
 「ふーん」
 料理ができ、一彰が膳を並べた。隣にはミーの食事も用意してある。
 「では、いただきます!」
 しばらくふたり無言でごはんを食べていた。テレビのお笑い番組がむなしく流れる。
 食事が終わるころ、一彰は、切り出した。
 「それで? 葵、おまえにはもうわかっているんだろう?」
 葵は、味噌汁を啜った。椀をおいた彼女の目は、きらきらかがやいていた。
 「勿論!! あったりまえじゃないか。初歩の初歩だよ、ワトソンくん」
 みゃあと、ミーが鳴いた。
 

 次の日曜日。梅雨明けの夏空が広がっていた。適度に風があって、さわやかな夏の日だ。
 葵と一彰は、もう一度宮野さと子(さとし?)のマンションを訪れた。日曜日は管理人も休みなのか、『御用の方はこちらまでご連絡ください』の札があるだけでエントランスには誰もいない。
 葵はこのあいだ覚えたばかりのインターフォンを押す。そして、エントランス内をぐるりと眺めていた一彰をそばに連れ戻す。
 「はい、宮野です」
 この間と同じ、男の声。
 一彰は、営業用の作り声で言った。
 「こんにちは」
 しばらく間があって、相手が「なんのご用でしょうか」と聞いてきた。
 「三枝ともみ、ご存知ですね。わたくしはその息子の一彰。この間お邪魔したのは妹の葵です。……少し、お話をさせていただきたいのですが」
 一彰はここでわざとらしく言葉を切って、次の言葉をはっきり言った。
 「宮野さと子さん」


 

 「同窓会には、出られません」
 宮野さとしは、寂しげにそう言った。
 きれいに整えられた部屋。必要最低限の装飾しかほどこされていない。だがテーブルの上、窓辺などに小さな花が活けてあり、部屋への愛情が感じられる。
 さとしはコーヒーを一口飲んで、ふうっと息を吐いた。
 「まさか昔のクラスメートが性転換していたとはね。誰も信じてくれないだろうし」
 さとしの正面のソファに座らされた一彰と葵は、なんと声をかけていいのか分からずただ黙っていた。
 
 宮野さとしは、宮野さと子だった。小柄で髪は半分ほど灰色がかっている。穏やかそうな雰囲気の人物で、趣味のよいベージュのポロシャツにジーンズを穿いている。だがやはり、男にしてはきれいな顔をしていた。鼻筋がすっと通り、伏し目がちの瞳を長すぎる睫毛が囲っている。
 「別にわたくしたちはあなたの過去を暴きにきたわけではありません。ただ、母がまったく連絡がとれなくて心配していたので、様子を見にきただけです」
 一彰は言った。すると、さとしはふと視線を宙に泳がせた。
 「あなたたちのおかあさん……あのころは三枝ともみさんとおっしゃった。とても明るい人でね。わたしは心の中で、ひまわりってあだ名をつけていたぐらいだったよ」
 「……」
 「きっといまでもかわいらしいんでしょうね」
 「あいかわらず少女趣味バリバリですよ」
 葵の茶々に一彰が肘鉄を食らわす。ふっとさとしが笑みを漏らす。
 「仲のよいご兄妹だ。……あのころのわたしたちを思い出してしまうよ。わたしたちは同じ合奏部だったんだ。それは知ってるかね?」
 「ええ。母は今でもたまにクラリネットをひっぱりだしてきては鳴らしてますから」
 「そうか。……ともみさんはほんとに自由奔放な人だったな。授業に出たくないときは、すぐさぼる。先生に怒られても、にこやかに笑って、『だって今日天気がよかったから』とかいうんだよ。先生も怒る気をなくして。しかたないなあってね」
 そういうと、さとしはしばらく黙った。当時のことを思い返しているのだろう。
 しばらくたって、さとしは誰にいうともなく、呟いた。
 「ともみさんから同窓会の連絡が来ていたことは知っていた。でも、ともみさんだからこそ……」
 言葉は途中で途切れた。そして黙った。一彰も葵も、続きを催促することはできなかった。

 「同窓会にはいけないが、この葉書をおかあさんにわたしてくれないか。
 帰りがけに、さとしは1枚の葉書を葵に渡した。葵は「たしかにおあずかりしました」といって鞄にしまった。
 「今日は来てくれてありがとう。昔のことをいろいろ思い出せて楽しかったよ」
 「いえ、こちらこそ。突然お伺いして申し訳ありませんでした。では」
 一彰と葵が見えなくなるまで、さとしはずっと見送っていた。


 

 葵と一彰は夕日を背にしばらく黙って歩いていた。
 先に呟いたのは、葵だった。
 「さと子さん、おかあさんのこと、好きだったんだね……」 
 「……まあ、たぶんそうだろう」
 「性転換までするくらいに……」
 それに対し、一彰は珍しく強い調子で言った。
 「葵、勘違いしてはいけない。俺たちはそのことに関してとやかく言うことはできない。さと子さんの人生だ。かあさんのことだけが理由ではないかもしれない。なんにしても、さと子さんはそのことで得たものもあるだろうが、失ったものもあると思う。事実、かあさんからの電話に、さと子さんは出ることができなかったんだ」
 またしばらくふたりは黙って歩いた。葵が呟いた。
 「なんかちょっと、淋しいね、おにいちゃん」

 

「規倉ともみ様
  前略 お元気ですか? わたしの方もそれなりにがんばっております。
     折角同窓会に誘っていただいたのですが、生憎その日は仕事の関係でまた
     海外におります。お伺いしたいのはやまやまですが、残念ですが今回は欠
     席とさせていただきます。

     皆々様にどうぞよろしく申しあげてください。

     ではまたいつか、お会い出来る日があることを祈っております。
                                   草々

  追伸 ともみさんのお子さんが家に来てくださいました。
     お兄さんにも、妹さんにも、どこかあなたの面影があり、とても懐かしく思え
     ました。
     どうぞこれからもお体をお大切に……
                                    宮野さと子」

 

 

 

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