2年目の桜

 風の音がする。幸枝は読んでいた雑誌から顔を上げた。
 桜の花びらが雪のように舞っている。
「今日も風が強いですね。花が散っちゃいそう」
「ええ、それは困るなあ。まだ花見に行ってないんですよ」
 幸枝の髪に薬液をつけながら、外を見ることなく苦笑いする若い女性の姿が、鏡の中に見える。
 幸枝は改めて、窓の外を眺めた。
 この美容院はビルの2階にあって、道路をはさんだ向かい側はちょっとした公園になっている。
 普段なら子どもの遊ぶ姿があるのだけれど、まだ時間も早いせいか、犬の散歩をしている人がちらほら見えるだけだ。
 公園の外周にそって、何本かの桜が植えられている。さっきの花びらもその木から落ちたものだろう。
 盛りをむかえつつある木には、緑色の葉も目立つようになっていた。
「そういえば、桜っていろんな種類があるんですよね。なんとなく『サクラ』ですませちゃいますけど」
「そういわれてみれば、そうよね」
 幸枝もソメイヨシノとヤエザクラくらいは知っていた。
 もう一度公園の桜に目を凝らす。
「本当だわ・・・・・・」
 薄紅色の花の中に、ちらほらと紅紫色の花が目に付いた。ほとんど白にみえるものもある。
 葉の色も緑とは限らないようだ。濃い赤紫の色が花の間から見えている。
「私、ぜんぜん気がつかなかったわ」
 幸枝の視線を受けて、彼女は照れたように笑う。
「暇な時にながめてたら、いろんなのがあるんだなあって気がついたんです。本当は花見に行きたいんですけど、なかなか時間が取れなくって」
 そういいながら、彼女は手際よく薬液を片付けると、少々お待ちくださいといって離れていった。
 入学式シーズンのせいか、店は思っていたより人が入っていた。
 なんとなく鏡の中から店内を見渡していると、ひとりの少女が目に付いた。
 店員らしいのだが、何をするでもなくぼんやりとしている。まだ十代なのか、顔にはまだ高校生のようなあどけなさが残っている。
 髪を染め、おしゃれにしている他の美容師の中で、彼女は黒髪を肩のところで切りそろえているのがなんだか目立っていた。
 おそらく、この店に入ったばかりなのだろう。幸枝は去年の自分をみているようで、どこか懐かしくなった。
 何をどうすればいいのかわからなくて、おろおろしていた自分。
「やることはいっぱいあるでしょ」と怒られても、そのやることが見つけられず、落ち込んだこともあった。
 それが今では新人指導の補助役だ。不思議なものだ。
 時折少女は店長に呼ばれ、別の部屋へと消えていく。おそらく何か雑用を頼まれているのだろう。
 けれども店に戻ってくると、落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回した後、下を向いてしまう。
 周りの美容師たちも、自分の仕事で忙しく、彼女を構う時間などない。
「すいません、雑誌代えてもらえますか?」
 隣の客が小さな声で美容師にお願いしている。美容師はにっこり笑うと少女を手招きして、小声で何か告げた。
 きっと雑誌をもってくるよう頼んだのだろう。
 少女は慌てて雑誌を持ってくると、困ったように立ち尽くす。どうやらどの客に渡せばいいのかわからないらしい。
 『サクラ』と同じだ。少女にはまだ、違いに気づく余裕もない。
 いっそのこと、皆に「雑誌代えましょうか」って聞いたほうが早くないだろうか。
 口を出せない自分がもどかしくさえ感じる。
 少女はおろおろした結果、なぜか幸枝のところに雑誌を持ってきた。
 幸枝は苦笑しながら「ありがとう」と言った。先輩美容師は慌てて少女にもういちど指示を出している。
 きっと彼女も今夜落ち込むのだろう。最初はそんなことの繰り返しだ。
 幸枝はあらためて窓の外をみる。
 それでも彼女も、いつか『サクラ』の違いに気がつく日がくるのだろう。


                              終
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