読書日記 2003年9月 ・・最近はノンフィクションものに傾く傾向アリ。 |
「K・Nの悲劇」 高野和明 講談社 「13階段」の作者の本なので、ミステリーかと思って読んでたらちょっとホラー気味・・。 中絶を考えた若い夫婦に襲い掛かる怪異・・果たして妻は精神病なのか、それとも霊に 憑依されたのか・・その真相を追うってのが筋なんですが、ホラーというよりも、真面目に 中絶・妊娠・出産・不妊治療について考えさせられましたねえ。これは前作に共通して、 この作家の特徴でしょう。話の中に必ず明確な問題定義があるというのが。 でもそれが話を邪魔する感じにはなっていないので、抵抗感なくスムーズに読めます。 色々勉強になりました・・。 や、純粋に面白かったです。この人は脚本家だっただけあって、一本のドラマを見た という感じ。自作を自分で映像化してみてもいいんじゃないかな。そういや13階段は映画化 していましたね。 まーでも、中絶に至る理由ってのがマンションのローン払えないから、経済的理由で 妻に「堕ろしてくれ」っていうのは・・おい旦那!って感じですね。ひどい。計画性なさ過ぎ。 でも男の人はこういう決断、実際に下す人いるかもしれないと思うと怖い。 ちょっと女の立場からすると、前半読む気力が萎えそうでしたが。そらないやろ、て感じで。 しかし読後感はよかったのでよしとしましょう。特別驚かされるような話でもなかった ですが、やっぱり一気に読ませるなあ、と思いますね。細部とかちょっとゾッとさせられる 表現もあったし。・・・・「グレイヴディッガー」も読もうっと。 2003.09.07 「嬉遊曲、鳴りやまず 〜斎藤秀雄の生涯〜」 中丸美繪 新潮文庫 クラシックに最近はまりだしてから、色んな本や映像、資料に目を通していた時に サイトウ・キネン・オーケストラというオケの情報に触れることが度々あった。 「サイトウキネン・・?」どうやら日本語みたい・・斎藤記念、とでも書くのかな?と勝手に 想像していたのだが、そうだったとしてその斎藤さんとは一体誰のことを指すのだろう? との疑問があった。その疑問は結局、前出の感想本「森のうた」にて明らかになった。 サイトウとは、指揮者でもあり教育者でもあり、なおかつ桐朋学園の生みの親、そして 世界で初めて指揮法を教本(「指揮法教程」/音楽之友社)にして発表した斎藤秀雄氏 のことだ。この本は彼の伝記である。 このノンフィクション作家・・中丸さんのことを私は殆ど知らなかったが、これだけの ものを書き上げるのに要した労力はどのようなものだったのだろう、と嘆息せざるを えない素晴らしい内容だ。ノンフィクションは、その作家の主観をどれだけ良い形で 表出させ、また抑制するかということが内容の質を左右すると個人的には思うのだが、 この作品は対象と程よい距離を保っているように見え、積極的に好感を持った。 (あまりに好意的過ぎる文章の伝記に当たると、思わず警戒してしまう性質なので) それと特筆すべきは前半での宮沢賢治との接点に関しての考察。「セロ弾きのゴーシュ」 の中に出てくる楽長のモデルが斎藤氏であるというこの意見は、興味深い。 単に与えられた材料だけで伝記を書こうというのでなく、自分なりの考察が伺える ところがとてもいいな、と思った。 それにしても音楽界で著名な人々の証言を読むたびに、一線で活躍している本当に 沢山の演奏家が斎藤氏の教育を受け、影響を受けていることに驚く。代表的なところで いけば小澤征爾。彼自身の著作(「ボクの音楽武者修行」)でも自らそのことについて 触れていたが。他、岩城宏之も、これは少々否定的なニュアンスだが斎藤氏のことに ついて書いていた。 経歴を読んでいると最初は演奏家としての道を歩み、その後は指揮者として成功、 それでも最後には教育者としての道を選んだというのは、非常に珍しいパターンだ。 日本では(いや世界のどこでも)これからこういう人物は滅多に出てこないと思う。 普通演奏家は自分の芸術を追求せずにいられないと思うので、 他人の教育に己の生涯をかけるなんて事はしないだろう。 数人に教えることと、体系的に教育の基礎を築こうとすることは全く違うことだし。 その意味で、高い音楽性をもった斎藤氏が音楽教育の基礎作りに身を投じたことは、 この国にとって幸運なことだっただろう。どの人がどの時代に出てきて、何を成したか ということに関して、全く歴史はよくぞ適材を適所に配置したな、思わせられる。 感慨深いことだ。 なにしろ、一人の音楽家を称えてオケが結成され、毎年行事が開かれるなんていうのは 普通じゃないことだ。それだけのことを残った人間にさせるだけの人物ってことだ。 斎藤秀雄という個人は、大事を成した人間特有の・・クセのある人格のようで、 かえってそれが生々しく、興味深かった。というか・・・こんな先生に教わったら泣いて 飛び出しそうだな・・と思えるような厳しい教育。嫌な面と人格高潔な面が同居している 2面性、それに加え粘着気質ときては、教えを乞うのを躊躇いそうだ(笑)。 しかし、その全てを音楽にかけた人生に圧倒される。この本は、特に指揮法や音楽に 興味がなくても、一生涯を一つのことにかけた人間の物語として十分に面白い。 (別段高尚なことが書いてあるわけでもない。)ただ純粋にグイグイと読ませられるのだ。 筆者の力だろう。 特に病に倒れ、それでも教育することを、音楽と共にあり続けることを止めようとしない 終盤の下りには、鬼気迫るものを感じると共に・・・読んでいて泣けてくるのを抑えられ なかった。というか号泣。あえてそのシーンについては詳しく書かないが、ここに至って タイトルの真の意味が理解できた。このタイトルは、私が今まで生きてきて、読んできた 本の中で一番すごい!と思うタイトルになった。よくぞこの言葉が出てきたなあと思う。 震えるくらい感動した。読み終わった感動がずっと心に残りつづけて去ることのない 感慨をもたせてくれた。音が鳴り止まない。 この感想を書きながらBSのクラシック紹介番組を見ていたのだが、ある室内楽の 演奏の紹介が出たときに、斎藤氏の名前が出た。 ナレーションは「恩師斎藤秀雄の教えにより、若手の演奏家の教育に力を入れた・・・」 云々と語っていた。そのタイミングに驚いた。 実際に彼の教えが、思想が受け継がれているのだ、と思った。すごいことだ。 今年も9月に(まさに今週!)サイトウキネンフェスティバルが長野の松本で開催 されている。日本のオーケストラを海外のオケにもひけをとらないものに、との彼の 願いもすでに十分果たされているように見える。彼が現在の華々しい小澤征爾の活躍を、 またその他の桐朋出身の有望な演奏家達の世界での活躍を、その目で見ることができて いたら何を思うのだろう・・・・。彼の残した遺産は測りようもなく大きい。 2003.09.08 「ヨリックの饗宴」 五條瑛 文藝春秋 さあさあ、五條さんの新刊です。これは雑誌連載時にはまったく目を通して いなかったので、珍しくまっさらな状態で、全くの新作として読むことが出来て すごく楽しかったです。 いつもある程度の知識は入っちゃってるので、単行本の時に新鮮な気持ちで 読めないんですよね。今回のことで、今連載してるやつも雑誌で読むのやめようかな、 と思いました。やっぱ単行本でイッキ読みできるのって快感ですわ。 で、本書ですが。 「ハムレットの登場人物になぞらえられた人々が 長年にわたって隠し続けてきた 日本政府の機密とは何か?大物政治家や、アメリカを巻き込んだ熾烈な諜報戦が 始まった!」 てのが帯の紹介文です。いつもの、五條さんが取り上げそうなネタですね。 てかもうこの帯の紹介文のまんまです。こんな話です、というしか・・(←手抜きか) 中盤まで、登場人物や話がなかなか複雑に入り組んでいて、頭整頓しながら 読み進めていかないといけなかったんですが、それでもイッキ読みしました! 正直、ネタふりがでかかった割にはまっとうなとこに落ち着いたなあ、と思いましたが。 にしても、この作家は本当に「血縁」とか「家族」というものにこだわるというか・・重きを おいているのですね。私はこの人の作品は殆どもらさず読んでいるのですが、しみじみ そう思います。 五條さんの作品に出てくる登場人物というのは、すごくキャラが立っているというか・・ 印象深いのが、この人の作品が読みやすいことの一因かな、と思います。 (ほんの脇役でも、もろ捨てキャラ!って感じではなく、ちゃんと存在感がある) 特に男性が魅力的に描かれています。本書だと主人公の和久田耀ニと、その兄の栄一。 この兄弟はかなりいいですよ〜。かっこええ。ツボでしたわ。で、いつも思うのは 女性のキャラが・・同じような感じかなあ、と。たまには違う女性像を出して欲しいな、と 思わないでもないです。でもこれに出てきた悠子さんは好き。 3wwの由沙さんみたいですな。 (なんだか曖昧な感想を述べていますが、ちょっとつっこむとすぐネタバレに なりそうなので・・。) あと、いつも思うのは、この方はタイトルセンスがいいですね。作中の章タイトルとかも。 語感のセンスが際立った方だと思います。それもあって読みやすいのかな。 私は五條瑛という作家の書く本の、この異様なまでの読みやすさは一体どこからくるの だろうと常々不思議に思っていて、それを探ってるんですが。題材もとっつきにくいものが 多いし、ことさら平易な文章でもないのになあ。やっぱ言葉のリズムかしら。 センスいいよな〜といつも感心しながら読んでます。 本書の読みどころは和久田兄弟ですね!筋も面白いんですが、これはこの兄弟の 関係に着目して読んだほうが面白いかも。 誰しも兄弟や親子の絆からは逃れられないものです。 でも、同じ血が流れていても全く他人のようになってしまう家族もあれば、血が濃すぎる 家族もあるというのは、本当に現実の世界でも不思議だなあと思わされることです。 オズリック、ラモンド、ゴンザーゴ、そして、ヨリック。 11P 2003.09.17 |