エピローグ


 全ての火が消え去った後に残ったのは積もるほどの白い灰の塊だけ。
 残ったのはただのそれだけだった。
「馬鹿、野郎……」
 灰に手をついてシリュースは呻いた。手に何か硬いものが触れる。拾い上げてみれば、それは丁度握り拳の半分くらいの大きさの、真円の
珠だった。色はルナグラスの花弁にも似た純白。其のなかに僅かに先程の焔の残り火を思わせる万色が閃いている。
「こんな物が、何だっていうんだ!!」
 叩きつけて壊そうと腕を振り上げかけたところで。
 つと、手が止まった。
 友人の残した言葉が、脳裏に蘇って。
 彼はなんと言っただろう。
『燃え尽きたルナグラスは、至高の宝を灰の中に残す。その珠は、あらゆる願いを叶える神の力を秘めている。』
 ラヴェリスは、そう、言ったのではなかったか。
 もし、もしそれが真実であるとするなら。
 彼が嘘を吐いたことは今までになかったし、あの状況でそうする理由もなかった。それならば疑う必要もなく、ラヴェリスの言った言葉に偽り
はない。
 シリュースは手の中の珠を改めて見詰めた。憎しみすら感じていた其れが、身勝手かもしれないが今は希望の種子のように思える。
 このような事を、ラヴェリスは望まないかもしれない。
 自分を、憎悪するかもしれない。
 それでも、シリュースの望みは決まっていた。
 手にした珠を包み込む形で両の手を重ねて組み、祈るように言の葉を口に上らせる。
 心の底からの、唯一つの願いを。乗せて。
「ルナグラスよ──お前に願いをかなえる力があるというなら。ラヴェリスを、生き返らせてやってくれ。あいつが、見たかったものを見られるよ
うに。行きたかった場所に行けるように。今度こそ生きて幸せを掴めるように!!」
 そして、奇跡は。
 確かにシリュースの望む声に、応えた。

 手の中の珠が澄んだ音を立てて砕け散ると同時、ふわりと虚空に光が生まれる。
「!!」
 粒子のように細かい、小さな小さな淡い輝き。直ぐに消えてしまいそうなほど果敢無いそれは、シリュースの見ている前で少しずつ数を増や
して、金色の人型を形作っていった。
 ぽう、ぽう、と光が明暗を繰り返すごとに、其の姿を確かな実像を伴っていく。長い黄金の髪に縁取られた白皙の美貌を持つ青年の姿を。
「……おかえり、ラヴェリス」
 真っ直ぐに手を伸ばして抱きしめる。
 其の形が、存在が、確かに在ることを確かめるように。或いは、消えてしまわぬよう繋ぎとめるように。強く。ふかく。
「今までのあんたはさっき、死んだ。願いは一応かなえたんだ。今度は俺が願ってもいいだろう?」
 呟くと共にラヴェリスを抱いたまま歩き出す。この場所には思い出が詰まっているけれど、今は長居もしていられない。幾ら蘇ったといって
も、完全ではないようで意識もなく、衰弱しているらしい様子の友人を休める場所に連れて行かねばならないのだ。
「俺が語って聞かせた話なんかよりもっとずっとすごい物があることを、あんたは自分の目で見るといい。感じるといい。自由に何処までも行
ける手足も、自分で何の柵もなく考えられる頭も、あんたの元に帰ってきたんだから。」
 道行きながら言葉をかけてゆく。意識のないひとにどれだけ届くかなど解らない。けれども、告げずに跡でこうすればよかったなどと後悔する
よりずっと良かった。
 いつもは転移で出入りしていたが、庭の主は腕の中で眠ったままだ。だから、彼から万が一の時にと以前に聞いた、非常用の通廊を歩い
て抜けることにした。
「それに──」
 言いかけた所で光が、出口が見えてきた。
 そのまま、進んでいくとほどなく外に出る。其処は眠りの森を眼下に見渡すような崖の上だった。
 月はとうに沈み山間から太陽が姿を見せ始めていた。世界が目覚めだす時間。薄い夜明けの青い闇を切り裂いて、刹那の朱を輩に。
昇る、黄金の、曙光。
 それはかたちのない希望にも似て。
 渡る風の軽やかな清涼さに瞳を細めながら、シリュースは先ほど言いかけた言葉の続きを紡いだ。
「世界は、こんなにも綺麗なんだ。見ないままに眠るのは、勿体無い」
 そうだろう?と、囁くように付け足して、泣き笑いのような表情で、風に揺れる金の髪を優しく梳いた。
 その時、腕の中のラヴェリスの顔が、答えるように微かに笑って見えて。
 眺めながら、シリュースは心から願った。

 千年の孤独な夜を越えてきた、この友人を待つ未来が。
 どうか、この暁を覚えた空のように光に満たされたものであるように、と。

fin

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