プロローグ

 

 時は深夜──都会の片隅、人気のない公園。
 こんな刻分であれば誰に省みられるはずもない、そんな場所に人影が四つあった。
 少年。青年。子供。そして──犬の頭に人の身体を持つ、この世ならぬ生き物。
 朧げな月明かりに照らされ対峙する彼らの姿はひどく現実離れしていたが、それは確かな現実であった。
 流れる空気は張り詰め、しばらくの間睨み合いが続く、やがて緊張に耐えかねたように犬人が身を屈め、少年に飛び掛らんと跳躍した。
 伸ばされる鋭い両爪。
 しかし、それが届くより速く、青年が少年と犬人の間に割り込む。
 青年は鉤爪の生えた腕を掴むと、さして豪腕には見えぬ外見に反する強い力で、軽々と犬人の異形の身体を横手へと放り投げた。
それから青年は放った犬人の動きを追うようにして動き、犬人の頚部に手を伸ばすと手近な木へと押しつけ、その動きを完全に封じてしまった。 
 青年が犬人を押さえ付けたのを見、少年は隣に立っていた子供に目配せをした。
「棗(なつめ)!」
 名を呼ばれ、子供は了承を頷きと言う形で返す。
「うん!──<風精降霊>『優しき大気よ、全てを切り裂く刃と代われ』」
 一瞬、子供の瞳が金緑に染まったかと思うと、ひゅんと短い風鳴りが響く。
 それと同時に青年が動きを封じた犬人の身体に、幾つもの裂傷が走った。
 その一撃を受け、ぐらりと異形の身体が傾ぐ。
 同時に犬人の微かに開かれた口から、堪らないとでも言うように何かが飛び出すのを、少年の目は見逃さなかった。
 直ぐ様、腰に着けた小物入れから、手のひらサイズの木でできた人形を取り出す。
其の人形には目鼻は無く、代わりのように顔に当たる部位から腹にかけて、和紙に朱墨で不可思議な紋様を描いた札のような物が貼り付けられていた。
 少年は人形を手に握り締め、小さく決められた詠句を口にする。
「心の闇より迷い出たる穢よ──理の元に汝を封ず」
 それと同時に手にした木人形を犬人から飛び出したモノ──闇が凝ったような黒塊へと翳した。
「封縛!」
 呪言の最後の一言を少年の口が紡ぐ。
『────!!』
 瞬間、声にならない叫びを上げ、黒い塊は木人形のなかへと吸い込まれていった。
 それにともない、徐々に木人形が黒く変色していく。
 最後まで塊が木人形に吸いこまれたのを確認して、少年は木人形の背に、蒼墨で紋様が描かれた符印を貼り付けた。
「封印完了」
 木人形を小物入れに仕舞い、それから少年は犬人が居た場所に目をやった。
 するとそこには、老いさらばえ、痩せこけた犬が一頭、力なく横たわっていた。
 少年は哀惜の表情を面に浮かべ、そっと犬に近付く。
「辛かったろう?ごめんね──おやすみ……」
 冷たくなった犬の身体を、少年はそっと抱き締めた。
 それから、少年は公園の隅へと向かい、犬の為の墓を作った。
 其の前に跪き、少年は手を合わせて魂の冥福を祈った。
 そうして、しばし。
「一章(あきら)、そろそろ帰ろうか?夜が、明ける」
「……うん」
 何時の間にか傍らに立っていた青年に促され、少年はゆっくりと立ちあがった。
 目の端に映る空が紫を帯びているのが解る。
 夜が明け、また長い一日が始まろうとしていた……。

強い光の下では濃い影が生まれるように、輝く命の営み、その裏から生まれ出でた不浄の存在があった。
穢。
そう呼ばれる彼らは生き物の負の感情を、血肉を食らう。
穢は糧を得る為に、生物に取りつき、歪め、取り返しのつかぬ悲劇を生んできた。
歴史の始源より存在する穢の犠牲者は、恐らく星の数に届く程。生み出した嘆きは数知れぬ。
まさに、世界の敵──。
そんな穢を退治すべく、密かに戦いを続ける者たちがいた。
霊的存在である穢に、対抗できる力を込められた特別な人形の操り手たちは、畏敬の念を込めてこう呼ばれた。人形遣い、と。
これは、そんな人形遣いのひとりとその仲間たちの物語である。

 

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