美奈子の言う通り、今あの女に近づかないほうがいいように思える。
美奈子は具合の悪い振りをしろって言ったけど、衝撃的な出来事の連続で、本当に眩暈がしそうよ。
だけど、私一人だけでロビーにいるなんて心細いわ。
「いい?百合子、携帯繋げておいてね。私達の声が聞こえると思うから、あとで上手く話を合わせるのよ」
「う、うん」
美奈子にはしては、名案だわ。
「えりかが戻ってきたら、そのまま部屋に行っていればいいから」
「わ、わかったわ」
美奈子とえりかを見送ったら、なんだかどっと疲れてきたわね。
隠すようにソファーに体を沈めた。
このまま、姿を消してしまいたいわ。
耳に当てた携帯からは雑音しか聞こえないけど、本当に大丈夫なのかしら。
『・・・・・・やさん・・・百合子が・・・ええ・・・具合が悪いみたい・・・』
ちょっと聞こえにくいけど、どうにか聞こえるわ。
『・・・部屋で・・・すこ・・・休ませて・・・ええ・・・エリカがそばにいるから・・』
『・・・奥様・・・大丈夫でしょうか・・・医務室にご案内したほうが』
この声は、牧野ね。
ふん、親切そうな振りして。
『あらぁ、どうせ仮病でしょ?心配することありませんわよ、先輩』
あの整形ブス、余計なことを。
でも、今確かに『先輩』って言ったわ。
『でもね、桜子・・・』
『つくしちゃん、一応今夜の主賓なんだから、ここを離れるのはまずいよ』
つくしちゃん・・・ですって・・?
『ま、まさか・・・牧野・・・つくし・・・?』
本当の牧野つくしだったなんて。
まずいわ、こんなところにいるわけにいかない。
すぐに、夫のところに行かないと。
「あ、あなた・・・」
「百合子、大丈夫かい?顔色が悪いけど」
「え、ええ・・・大丈夫よ。心配しないで」
「奥様、大丈夫ですか?医務室にご案内しましょうか?」
「先輩ったら、お人よし過ぎます。どうせ仮病なんですから、放っておけばいいんですよ」
仮病、仮病って、三条桜子、本当にムカつく女だわ。
「先輩は、前にも嘘に騙されて死にそうになったことがあるんですよ。簡単に人を信じちゃいけないんです!」
この女、なんてこと言い出すのよ。
「えええっ?つくし、そんなことがあったの?」
「そうなんですよ、滋さん。先輩たら、ころっと嘘に騙されて」
「桜子ったら、そんな昔のこと、こんなところで言わなくても。ほ、ほら・・・九条さんが驚いているじゃない」
「だって、本当のことじゃないですか。あのときだって、道明寺さんが助けていなかったら、どうなっていたのか。慎也お兄様もお人よしですから、ちょうどいい警告になるんです!」
夫ったら唖然としすぎて、目を丸くしているし。
絶対、私のことだとバレないようにしないと。
「・・・えっ、あっ・・・牧野さん・・・じゃなくて、奥様にそんなことがあったなんて・・・」
「ええ、世の中には本当に酷い人がいるんですよ、お兄様。お兄様も気をつけてね」
お、お願いだから、もうやめて。
バレるのも時間の問題になってしまうわ。
貧乏牧野ったら、困った振りしているけど、全然困ってないじゃない。
そのしたたかさで、道明寺様を丸め込んだのね。
「そういえば、ちゃんとご挨拶していませんでしたわね。メープルホテル東京副社長の道明寺つくしです。改めてよろしくお願いします、浅井さんじゃなくて九条百合子さん」
にこやかに、右手なんか出しちゃって。
副社長ですって・・・ただの担当者じゃなかったってこと?
「残念ね、簡単にはクビにならなくて」
ああっ・・・もうダメだわ。
体中の血の気がさっと引いていく。
「お、おい、百合子?奥様に、なにを言ったんだ?」
「な、なにも・・・」
もお、美奈子もえりかもちょっとフォローぐらいしてよ。
何も言わず、口をパクパクさせて、金魚じゃないんだからね。
「も、もう、牧野さんったら、冗談がきついんだから。ホホ ホッ」
差し出された右手を握ることもできない。
「慎也さん、そろそろ挨拶の時間だよ。美作、花沢はもちろん道明寺がバックについてるって見せ付けるチャンスだから」
いいところで、成金が助け舟を出してくれたわ。
これ以上、夫には聞かせられない。
美作夫人と西門夫人の冷ややかな視線が気になるけど、どうすればいいのか考えられないわ。
美作様と花沢様と壇上へと向かう夫の姿に、事業への意気込みを感じた。
もし・・・私のしたことが夫にばれたら・・・。
「百合子さん、お兄様は全てご存知よ」
えええええええええっっ??
「今回のプロジェクトの話が出たとき、和也が全てを話したから。美作さんも花沢さんももちろん道明寺さんも、あなたのことを知ってて、お兄様との業務提携をしたの」
な、な、なんですって。
そんなぁ・・・、もう、何もかも終わりだわ。
旧家の嫁という地位も、セレブの生活も。
体から力が抜けて、その場に座り込んでしまった。
「きやっ、ゆ、百合子!」
「百合子、百合子?大丈夫?」
「だから、忠告したでしょ?身分不相応なことはやめておいたほうがいいって」
「慎也さんの会社は業務上の問題はなかった。これから成長するだろうし。問題になるとしたら、浅井さん、君のことだったんだよ。学生時代のつくしちゃんへの仕打ちが問題になったんだ」
「道明寺を敵に回した女と結婚するなんて、お兄様も、本当についてなかったのよ」
天下の道明寺を敵に回しただなんて、そんなこと・・・。
吐き捨てるように言う整形ブスに、取りすがるしかないわ。
「さ、桜子・・・さん・・・、このことは・・・」
「九条の伯母様には、黙っててあげる。先輩にもそう言われているし」
三条桜子の後ろで勝ち誇ったような牧野つくしの笑顔に、背筋が凍りついた。
「・・・そちらのお二人も、これからの言動には気をつけないと、どうなるかわからないわよ」
私と同じように美奈子もえりかも青ざめていた。
その後、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。
チクらないと言ってた筈なのに、三条桜子はしっかり姑にチクっていた。
パーティーの翌日から姑のイヤミは止まる事を知らない。
世間体が悪いからと離婚こそされなかったけど、疫病神だと罵られた。
夫は変わらず優しいけど、まるで針のムシロにいるようだ。
姑のイヤミは日に日に強烈になって、生きている心地がしないわ。
これからは、牧野つくしと三条桜子にゴマをすって生きていかないとならないなんて。
きいぃぃっっっ・・・口惜しいぃぃぃぃ。
こんなはずじゃなかったのに。