「勝負?」
「正直、司がNYに渡ると言ったときは驚きました。あれほど、NYに来ることを嫌がっていたのに。椿さんが、司を変えたのはあなただと言います」
「お姉さん、椿さんにも言いましたが、あたしは何もしていません。今の道明寺が、道明寺の本当の姿なんです」
『道明寺司として決めた』と言っていたアイツ。
あたしは、そんな道明寺を見送っただけ。
「そうですか・・・・」
ふっと笑う魔女の顔は、母親の顔になっている。
道明寺・・・アンタの母親は、やっぱりあんたのことを愛しているよ。
ただ、上手く表現できないだけ。
あたしは、なんだか嬉しくなった。
それで、魔女とあたしの勝負って、何をするの。
「あなた、高校の成績は良かったようね。英語を除けば」
それが何の関係があるんだろう。
「あなたの雑草根性とやらを見せていただきましょう。大学に行きながら、道明寺で働いてもらいます。いいですね」
一方的過ぎるでしょ。
「あなたを確保しておけば、司も死に物狂いで頑張るでしょうから。馬を走らすには、人参が必要ですわ」
「あたしは・・・人参ですか・・・?」
「人参では、不満かしら?」
「・・・いえ」
鉄の女が垣間見せる母の顔に戸惑って、あたしは何も言い返せなかった。
「在学中は、邸で働きなさい。タマさんにしごいてもらいます」
「道明寺邸でメイドってことですか?」
「タマさんと西田の指示に従って、私からの課題をこなすように、いいですね」
「あの・・・このこと、道明寺は?」
「四年後のことは、全て司に任せようと思っています。司があなたと生きていくと決めたのなら、反対はしません。ただ・・・」
魔女があたし達を認めると言うの?
「勘違いなさらないでね。あなたを認めたわけじゃないのよ。今のあなたでは、道明寺にはふさわしくありませんから」
「はい・・・」
今のままでは、道明寺と釣り合わないのは、誰よりもわかっている。
あたしにチャンスをくれるんだ。
「では、明日からメープルと邸で働くように。私は忙しいので、これで」
「あ、ありがとうございます」
「司には何も話していません。あなたから話してもいいのよ」
「わ、わかりました」
まだ信じられなくて宙に浮いたような体で、目一杯のお辞儀をしていた。
「牧野さん」
それまで、ニコニコと話を聞いていた紳士があたしに声をかけた。
「今まで、楓が迷惑をかけたようだね。代わって私がお詫びするよ」
「あ、あの?」
「司の父です」
ラ、ラオウ?
「馬鹿息子の性根を叩きなおしてくれたようだね、感謝しているよ。楓のことも、母ゆえのことと許してやってほしい」
「会長!」
「もう、忘れました。道明寺社長も生きることに一生懸命だっただけのことですから」
「ありがとう、牧野さん」
「これから、よろしくお願いします」
あたしはもう一度大きく頭を下げて、ドアの取っ手に手をかけた。
「・・・牧野さん」
その声は、一度も聞いたことのない優しい魔女の声。
「司を・・・司のこと、よろしくお願いします」
伏せ目がちに頭を下げる魔女。
道明寺・・・。
あたし達、認めてもらえるかもしれないよ・・・。
メープルから出ると、あたしは震える手で携帯を押していた。
『おう。珍しいな、お前から電話なんて。今日、入学式だったんだろ?』
ワンコールで聞こえてきた愛しい男の声。
「・・・道明寺・・・」
あたしの声は、きっと震えていたと思う。
『な、なんだよ?どうしたんだよ?』
「魔女がね・・・あんたのお母さんがね・・・」
『ババァ?ババァがまたなんかしたのか?』
これでもかって大きな声で怒鳴っている。
「ち、ちがうよ・・・」
『じゃ、なんなんだよ!』
「あんたのお母さんが・・・司をお願いしますって」
『あぁ?なに言ってんだ?』
「あんたのお父さんが・・・」
『オヤジが?』
「今までのこと、謝ってくれた。あ、あたしね・・・明日から道明寺で働くんだよ」
『お、おい・・・それって・・・』
「まだ認められたわけじゃないけど、あたしにチャンスをくれた」
『やりぃー』
耳が壊れるんじゃないかってくらい大きな声で、道明寺が叫んでる。
「あたし、頑張る。雑草根性で、課題乗り切ってみせるよ」
『牧野、無理すんなよ。なにかあったら、すぐに電話してこい』
道明寺に優しさに、堪えていた涙が止まらない。
『四年後に迎えにいく』と言い残して旅立った道明寺を見送ることはしなかった。
最後まで「一緒に行こう」と言わなかったのは、道明寺の優しさだろう。
ぎりぎりまで一緒にいられただけで幸せだったと思う。
二人で過ごした朝、一人で桟橋に立ったとき、海の向こうに道明寺との未来を見られたのは、あのときの幸せがあったから。
あれは、別れなんかじゃなかったから。
『泣くな、牧野。今の俺は、お前の涙を拭ってやることもできねぇ。お前を抱きしめてやることもできねぇ。だけど、必ず、お前のところに帰るから』
「あんたのこと、誉めていたよ・・・魔女が」
『ババァが?』
「うん・・・あんたのこと、愛しているんだよ」
『そっか・・・。ババァの課題は大変だぞ。がんばれ、牧野。悪りぃ、時間だ』
相変わらず、忙しそうな道明寺は、ばたばたと電話を切る。
ゆっくりと電話を切って、あたしは、もう一度メープルホテルを見上げた。
前にココに来たときは、道明寺とのスタートだった。
そして、今日は道明寺との未来へのスタート。
この景色を、あたしは忘れない。
春の風はまだ冷たいけど、嬉し涙に濡れた頬には心地よい。
あたしは、負けない。
雑草のつくしなんだから。