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Act 1

「はぁ〜」と思わず溜息をついてしまった。
目の前にそびえ建つ高級ホテルの威圧感に、足も竦んでくる。
もしかして、私、とんでもないことをしようとしている?
『大丈夫さ。 大企業の社長と言えど、所詮人の子なんだから』
昨夜、恋人の樹が電話口で言ったのを思い出して、同じ言葉を自分に言い聞かせる。
この言葉を樹が自分の両親を意識して言ったことは、この時の私はまだ知らない。
だけど、今は何よりも効果的な呪文だ。
「人の子ね〜?」
そりゃ、そうなんだけどさ……。
もう一度、高層ビルを見上げて、溜息をついた。
「ダメ、ダメ。 せっかくのチャンスなんだから」
ぶんぶんと頭を振り、大きく深呼吸し、気を取り直して、ビルに向かって歩き出す。
まるで戦いでも挑むかのように。
私、香山麗。
入社2年目の雑誌編集者。
"麗"なんて名前のおかげで淑やかなイメージを持たれるけど、程遠い。
"女らしい"なんて言葉もまったく無縁。
完全に名前負けしちゃってる。
もぉー、パパもママも、名前つける時もっと考えてほしかったよぉ。
編集者と言っても、先月アシスタントから昇格したばかりのまだまだ新米。
入社当時からビジネス系の雑誌を担当していて、今回は昇格後の初仕事。
財界人へのインタビュー企画で、世界でも有数の大財閥、道明寺財閥の道明寺司に会いに、彼が経営するホテルを訪ねて来た。
緊張しない訳ないよね……。
道明寺司は、本当ならうちみたい小さな出版社からの取材なんか受けない雲の上の存在。
妙な縁って言うか、偶然と言うか、思わぬことで彼と出会い、よくわからないけど、私を可愛がってくれる。
多分、今回は特別に取材を許してくれたんだろう。
私は、このチャンスを逃したくなかった。
だから思い切って、彼の好意に甘えることにした。
この出会いが、この後の私の人生を大きく変えることになるとは。
受付を済ませると、彼の秘書が柔らかい笑顔で、迎えに来てくれた。
こんなに緊張していても、昨夜のことは気になってて、ふとした瞬間に、むくむくと頭の中を支配する。
昨夜のことを頭の隅に追いやるように大きく深呼吸して、、彼の秘書の後を歩いていく。
「社長、香山様をお連れしました」
秘書に連れられ、通されたのは、最上階にある彼のオフィス。
東京中が見渡せると思わせる広く大きな窓を背にして、風格漂う長身の男が立っていた。
はぁ〜、本当に雲の上の人みたい……。
「よぉ! 良く来たな」
ボーとしている私に、優しく声かけた。
まっすぐ私を見つめるその目に、大きな力を感じる。
道明寺司。
歳のころは45、6だろう。
でも、その風望は実際の年齢よりずっと若く見える。
とても私と同い年の息子がいるとは思えない。
「ほ、本日は私共のために、お時間を裂いていただき、ありがとうございます」
私は、大きく顔を下げた。
緊張で動作がぎこちない。
「お前、動きが変、くくっ」
げっ、笑われた!
彼に促されて腰かけたソファの座り心地に、身体が宙に浮いた感じがして、声まで浮わずりそう。
「道明寺社長に、うちのような小さな会社の取材を受けていただけただけでも、幸運なんですもの」
「今日は1時間程度しか時間が作れなくて、悪かったな」
優しく微笑む姿に、緊張が溶けていく。
「ま、仕事中ってのはわかるけど、もっと気楽に……なっ」
そんなこと言ったって緊張しない訳ないでしょ……。
「天下の道明寺社長相手に、緊張するな!なんて無理!」
えっ、普段の口調に戻ってる?
緊張してないのかな……私って。
「今日の約束が決まった時なんて、社内は大騒ぎだったんだから。 くふっ」
あの時の様子を思い出すと、笑い出しそうになる。
「他ならぬ麗のお願いじゃ、断れないだろ? ま、昇格祝いってやつ?」
編集部内では誰一人、私と道明寺司が親しいことを知らない。
それだけに、「道明寺司に取材を申し込む」って言った時は、編集長に怒鳴られたっけ。
アポイントが取れたと報告した時は、編集長だけじゃなく、社長まで大喜びで、会社中がお祭り騒ぎになった。
「きっと今ごろ、私が社長の前でドジ踏んじゃないかって、心配されてるんだろうなぁ」
「あはは、そうなのか?」
澄んだ声で笑う。
似ている……。
誰かに似ている……誰だろう。
「では、時間も限られていますので、始めさせていただきます」
姿勢を正し、そう言って、少し震える手で小さなカセットレコーダーのスイッチを入れた。

( 2006/7/21 )

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