「合格、おめでとう」
テーブルを挟んで、健人が先に口を開いた。
「ありがとう。 あなたのおかげよ」
「城には、いつ行く予定?」
「まだ、決めていないわ」
食事が運ばれて来る。
里香は、食が進まない。
「明日、一緒に行こうよ」
去年のことが思い出される。
一緒に行くと、約束していながら、前日に別れた二人。
「ええ。 楽しみだわ」
里香は、気のない返事をした。
明日になれば、また健人の気が変わるだろう。
里香の心に影が落ちる。
健人のデンマークでの新しい生活の話はやはり、里香にとって新鮮なものだった。
あの夜の出来事が、嘘のようにも楽しい時間が流れていく。
健人との再会は、神様のいたずらだと、里香は思いながらも、その時の流れに身を任せる。
食事を終え、ストロイエを二人で歩く。
コペンハーゲンの夜の街は、クリスマスの装飾に彩られ、ロマンチックな趣きがいっそう深い。
となりに健人がいる。
里香には、それだけでよかった。
この時間を大切にしよう。
二度と逢えないと思っていた健人と過ごす時間が、神様のご褒美なのだと、里香は改めて思う。
「寒くない?」
健人が、手を握る。
胸がきゅんと締めつけられた。
この幸せが、永遠に続けばいい。
時間が止ればいいと、里香はまた祈る。
ホテルの部屋に戻っても、健人は帰る素振りを見せない。
何か、落ち付かない様子が気になったが、里香は気付かない振りをする。
「里香……」
健人に声かけられ、ドキッとした。
「もう、結婚する気はないのか?」
その質問は、あまりにも唐突だった。
「………」
言葉に詰まる。
思いなおしたように、毅然とした態度で、言い切った。
「もう、結婚はしないわ、きっと」
「今は、一人なの? 彼とは、一緒に暮らしていないの?」
和志との暮らしは変わらない。
健人は、何が聞きたいのだろう。
「今も、一緒よ。 でも、結婚することはないわ」
何かから、逃げるように、目を伏せた。
長い沈黙が続く。
「里香に渡したいものがある」
健人が小さな箱を差し出した。
黙って受け取る。
「開けてみて」
小箱には、指輪が、入っている。
「合格のお祝いだよ」
ぶっきらぼうに後姿のまま、健人が言う。
「里香、デンマークで暮らす気はないか? いや、ここで暮らさなくてもいい。 里香には、里香の夢があるから」
「でも……」
健人は、何を言っているの?
頭の中が白くなっていく。
今、何が起きているのか、わからない。
「結婚しよう」
その一言に、里香は、言葉を失った。
涙だけがあふれて、言葉にならない。
「びっくりするのも、無理はない。 一緒にいると、疲れると言ったのは、俺だし」
健人の言葉に、身動きが取れない。
結婚……?
わたしと、健人が……?
「里香に逢いたかったよ」
健人は、一方的にも似ているように、話し続ける。
「もう、里香に逢えないと思っていたから、デンマークに残ったんだ。 昨日、メール読んだ時、チャンスだと思ったよ」
「でも……わたしは、健人より、ずっと年上だわ。 離婚歴もあるし……」
身体が硬くなる。
あふれる涙は止らない。
いままで、健人との結婚を夢見たこともあった。
それは、叶うことのない夢だったはずだ。
そう、これは夢なのだ。
夢に違いない。
里香は、言い聞かせる。
朝、目覚めたら、なにも残らない夢だと……。
「あなたは、私の何を知っているの? 私は、あなたをなにも知らない。 健人のことは、何一つ知らない」
涙で、声にならない。
聞き分けのない子供のように、ただ、泣きじゃくるだけで。
「里香……」
健人がキスをする。
腕の中の心地よさ。
肌の感触。
キスに酔いしれたまま、夜を過ごした。
冬のデンマークだというのに、澄みきった青空の下。
里香は、フレデリクスボー城の前に立つ。
「健人。 私にとって、あなたは、希望だったわ」
ポツリと、里香が話す。
「あのあなたを失った時から、ここが私の希望になった。 あの日、一人でここに立ったとき、来年もここに来ようと、思ったわ」
となりで、健人が微笑む。
「あなたに恥かしくない生き方をするためにも」
「里香、Jeg elsker dig」
里香は、うなずいた。
「今度、ここにくる時も一緒だよ」
健人が握った手に力がこもる。
「Jeg elsker dig」
この言葉を、ずっと待っていた。
里香も、微笑み返す。
水面を渡る風が、二人を暖かく包む。
健人のキスも、春風のように甘かった。