京極夏彦  作品別 内容・感想

魍魎の匣   9点

1995年01月 講談社 講談社ノベルス
1999年09月 講談社 講談社文庫

<内容>
 箱を祀る奇妙な霊能者。箱詰めにされた少女達の四肢。そして巨大な箱型の建物・・・・・・。箱を巡る虚妄が美少女転落事件とバラバラ殺人を結ぶ。探偵・榎木津、文士・関口、刑事・木場らがみな事件に関わり京極堂の元へ。

詳 細

<感想>


狂骨の夢   8点

1995年05月 講談社 講談社ノベルス
2000年09月 講談社 講談社文庫

<内容>
 夫を四度殺した女、朱美。極度の強迫観念に脅える元精神科医、降旗。神を信じ得ぬ牧師、白丘。夢と現実の縺れに悩む三人の前に怪事件が続発する。海に漂う金色髑髏、山中での集団自決。

詳 細

<感想>
 最初に読んだときには、朱美の繰り返される体験談が「やたらとくどいな」、と思った。しかし結末に至った後に、また読み返してみると恐ろしいほどに整合性が取れている。複雑怪奇な複数の事件が一つの事件へと収束していく様は実に圧巻。京極作品のなかで一番、本格っぽい作では?


百鬼夜行 陰   

1997年07月 講談社 講談社ノベルス
2004年09月 講談社 講談社文庫
2012年03月 文藝春秋 単行本(「定本 百鬼夜行 陰」)
2015年01月 文藝春秋 文春文庫(「定本 百鬼夜行 陰」)
2016年09月 講談社 講談社ノベルス(「完本 百鬼夜行 陰」)

<内容>
 「小袖の手」
 「文車妖妃」
 「目目連」
 「鬼一口」
 「煙々羅」
 「倩兮女」
 「火間虫入道」
 「襟立衣」
 「毛倡妓」
 「川赤子」

<感想>
「百鬼夜行 陽」を読んだので、続けて「陰」のほうも読んでみた。こちらは1997年に講談社ノベルスで出版されたものを読んでいるので、再読。

「陽」と同じで、あくまでも京極堂シリーズのサイドストーリーであるため、その内容を覚えていないと、あまり楽しめないかもしれない。ただ、「陽」よりもこの「陰」のほうが、シリーズの内容というか、各キャラクターに関して、核心をついた中身になっているように感じられた。“動機”について言及しているものがあったり、各小説の”発端”を描いているからそう思えたのかもしれない。

 この本単体では薦めづらいが、京極堂シリーズを読むのであれば、一緒に読むことによって、より世界観に深く浸れるということは間違いあるまい。


「小袖の手」 「絡新婦の理」の元小学校の教員・杉浦隆夫は女の手が伸びてくるのを見る。(昭和二十七年八月三十一日夕暮れ)
「文車妖妃」 「姑獲鳥の夏」の実家の病院で暮らす久遠寺涼子は妹の恋文を見つける。(昭和二十五年晩秋)
「目目連」 「絡新婦の理」の 飾り職人の平野祐吉は視線を感じる原因を探る。(昭和二十七年五月早朝)
「鬼一口」 「?」地方新聞で働く鈴木敬太郎は鬼について考える。(昭和二十七年九月半ば)
「煙々羅」 「?」消防団員の棚橋祐介は火消しになった理由を語る。(昭和二十八年早春)
「倩兮女」 「絡新婦の理」の教師・山本純子は周囲から笑われているのではないかと考える。(昭和二十七年暮れ)
「火間虫入道」 「塗仏の宴」の刑事・岩川真司は悪魔のような少年の事を思い起こす。(昭和二十八年六月十九日未明)
「襟立衣」 「鉄鼠の檻」の円覚丹は教主であった祖父と自身の人生を思い起こす。(大正十一年秋の深夜)
「毛倡妓」 「絡新婦の理」の刑事・木下圀治は娼婦は厭だと呟く。(昭和二十八年八月)
「川赤子」 小説家・関口巽は消えた産婦人科医の話を聞く。(昭和二十七年梅雨が明けようかという日)


巷説百物語   6点

1999年08月 角川書店 単行本

<内容>
 渡り御行の小股潜りの又市、山猫廻しのおぎん、事触れの治平、考物の百介。彼らがそれぞれの特技を生かし、非道な最後を遂げた者の縁者の依頼を受け、下手人を追い詰めて行く物語。彼らは力ではなく、罪の意識や祟りといった人の恐怖に取り入り下手人たちを落としてゆく。

 「小豆洗い」
 「白蔵主」
 「舞 首」
 「芝右衛門狸」
 「塩の長司」
 「柳 女」
 「帷子辻」

詳 細


百器徒然袋−雨   7点

1999年11月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 「鳴釜 薔薇十字探偵の憂鬱」
 「瓶長 薔薇十字探偵の鬱憤」
 「山颪 薔薇十字探偵の憤慨」

詳 細


どすこい(仮)   4点

2000年01月 集英社 単行本

<内容>
「四十七人の力士」 (小説すばる 96年 1月号)新京極夏彦
 四十六人の力士と行事が吉良邸に討ち入る話
「パラサイト・デブ」 (小説すばる 96年 6月号)南極夏彦
 氷付けの大昔のデブが発見され、暴れ出す話
「すべてがデブになる」 (小説すばる 97年 1、2、3月号)N極改め月極夏彦
 閉じ込められたら太っちゃって、出られなくなる話
「土俵・でぶせん」 (諸説すばる 98年 3月号)京塚昌彦
 ある小説を読むと太ったうえに死んでしまうという話
「脂 鬼」 (小説すばる 99年 3月号)京極夏場所
 死人が次々と太って蘇る話
「理 油(意味不明)」 (小説すばる 99年 7月号)京極夏彦
 小説を書いた理由、太った理由、そして相撲をとる理由
「ウロボロスの基礎代謝」 (書き下ろし)両国踏四股
 力士達にさらわれた作家についての論議、そしてメタ、それともホラー!?

<感想>
 パロディ作品をデブで味付けした七編。その味は極めて濃く、しつこく、臭い。そして、四十八手の奥深さを思い知らされた。

 でもこの作品は京極氏のファンでなければ読む必要はないだろう。京極氏の作品でも賛否両論になると思う。私的には不可。


続巷説百物語   7点

2001年05月 角川書店 単行本

<内容>
 人の世に凝るもの。恨みつらみに妬みに嫉み、泪、執念、憤り。
 道を通せば角が立つ。倫を外せば深みに嵌まる。そっと通るは裏の経。
 所詮浮世は夢幻と、見切る憂き世の狂言芝居。見過ぎ世過ぎで片付けましょう。
 仕掛けるは小悪党、小股潜りの又市。山猫廻しのおぎん。事触れの治平。
 手練手管の指の先、口の先より繰り出されるは、巧緻なからくり、眼眩。
 邪心闇に散り、禍は夜に封じ、立ち上がるは巷の噂、物怪どもの妖しき姿。
 野鉄砲、狐者異、飛縁魔、船幽霊、死神、老人火。  

「御行奉為 おんぎょうしたてまつる」
「野鉄砲」 季刊「怪」 第六号 (平成11年9月刊)
「狐者異」 季刊「怪」 第七号 (平成11年12月刊)
「飛縁魔」 季刊「怪」 第八号 (平成12年5月刊)
「船幽霊」 季刊「怪」 第九号 (平成12年9月刊)
「死 神」 季刊「怪」 第拾号 (平成13年1月刊)
「老人火」 書下ろし

<感想>
 前作の流れを受けて、また闇の仕置き人たちが活躍するシリーズ。ただし、前作は個々の短編という形であったが今作は連作短編、というよりも一つの長編と言っていいような流れになっている。題名も単に続ではなく、「七人みさき」とでも付けたいところだ。

 今回は“七人みさき”という流れを作り、そこへとたどり着いてく様相が実に良い!個々の短編としても、もちろんいいのだがその中で山場となる「死神(或いは七人みさき)」へとうまく収束して行く。かえって、その前の短編の中に出てくる“七人みさき”という言葉に妙に惹きつけられてしまい、後半は一気に読みとおしてしまった。今回は内容も当然良いのであるが、私にとっては設定の妙というところが見事であった。いちおう怪談話であるのだろうけれども、恐ろしさなどを感じるよりも読み通してみたら期待感や高揚感で読んでいたというところか。


ルー=ガルー   5点

2001年06月 徳間書店 単行本

<内容>
 21世紀半ば。清潔で無機的な都市。仮想的な均一化した世界で、14〜15歳の少女だけを狙った連続殺人事件が発生。リアルな“死”に少女達は覚醒してゆく・・・・・・闘いが始まった!

<感想>
 うーん、読了後に爽快感がないんだよねぇー。結局、構築していった世界観やシステムだけを追っていった感触しか残らなかった。面白そうな、登場人物らが出てきているんだけどねぇ。全編の内容が半分が少女達、半分がカウンセラーの視点から描かれているんだけど、そのカウンセラーの部分てあまり有効ではなかったような気がする。そしてそのまま登場人物に思い入れが乗らないまま唐突に終わってしまったという感じ。この背景の世界観に共感(?)や興味が抱けなければ読み通すのも辛いかも。


覘き小平次

2002年09月 中央公論新社 単行本

<内容>
 妻と共に暮らしながらも、いつも押し入れに潜み隙間から覗うように覗き見ているだけの三流役者の小平次。そんな彼が一座に連れられ旅芝居へと出かける。そしてそこで小平次はある復讐劇において重要な役割をすることになる。そしてその出来事が小平次の周りの者達の心の中を蝕むものの鎌首を・・・・・・

<感想>
 半分怪談であり、半分ミステリーという感じである。最初は「嗤う伊衛門」のような純然たる怪談なのかと思ったが、途中から「巷説百物語」のような様相を示し始める。そして最後には・・・・・・それらがどちらともいえないような・・・・・・

 物語は小平次を中心にそれぞれの人々が過去の生い立ちを振り返り、現在のそれぞれの交錯する運命に翻弄されていくというもの。しかし、その主人公の小平次自身はというと、ほとんど何もしない。ただそこにいるだけである。この物語はある種、小平次とう“貧乏神”の物語といっていいかもしれない。

 小平次自身は何かを望んでいるわけではない。彼は現状に満足しているかのようにも見え、かつそれをどうでもいいと思っているのかもしれない。しかし、小平次が発散する負のエネルギーともいうべきものが、しだいに周りにいる人々を蝕んでいく。その小平次の“瘴気”によって、人々は普段は考え得ないような暗い連想をし、普段はし得ないような行動にでてしまう。それらが連鎖して自分自身と周りの人々を不幸に貶めて行く。結局小平次は何もしなく、あたかも周りの人々によって翻弄されるかのような人生を送っているように思えながらも、実はこれは小平次の存在によってその周りの人々が翻弄されていく、小平次自身の物語なのであろう。


陰摩羅鬼の瑕   6点

2003年08月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 白樺湖畔にたたずむ洋館、通称「鳥の城」。その城の中には世界中のありとあらゆる鳥の剥製がかざられている。その館の当主で旧貴族の由良昴允伯爵は五度目の結婚を間近に控えていた。いままでの四度の結婚では式を挙げた翌日の朝に花嫁が死亡するという事件が毎回起きていたのだった。それを危惧して今回の結婚では探偵である榎木津礼二郎を呼んで事件に備えることになった。しかし、当の榎木津は病気によって一時的に目が見えない状態になっていた。そこで助手として関口が榎木津に付き添い、「鳥の城」へと訪れることになったのだが・・・・・・

<感想>
 今回の作品は冗長であるという言葉はぬぐえないであろう。もともと京極作品というのはさまざまな薀蓄が語られるのが特徴であり、その分通常の本に比べればページが分厚くなるというのは周知のこと。しかし、今回特にそう思うに至ったのは事件事態が1つしか起こらないというところにある。

 過去の事件がさまざまな角度で語られつつ、そして現在の様子が本当にゆっくりと語られていく。“現在”の時間の流れが一日、二日程度でしかないのだが、その時間の経過がとても長い。そして“現在”において事件が発生するのも後半になってからようやくのこと。

 ただし、これを好意的にとらえるならば、京極氏らしい作品ということもできよう。普通の作家であれば200ページくらいの本にしかできないものを、これだけ膨大な長編にするというのは京極氏の“手腕”といえよう。といっても京極氏にとっては技術とかそういったことではなく、本書を書き表すのにこれだけの情報が必要であるということに他ならないだけのことなのかもしれない。

 あと作品に対して付け加えるならば、本書の展開は京極作品を読んできた読者ならば、ある程度の予想はついてしまうのではないだろうかということ。本書のまた別な特徴といえば、今まで出版された京極作品の範疇の中に収まってしまう本といえるようである。最後の“憑き物落とし”の収め方は見事であるといえるのだが、決して驚愕というようなものではなかった。

 ただ、本書は今までのシリーズのなかで最も結末が悲しく感じられたということを付け加えておきたい。


後巷説百物語   7点

2003年11月 角川書店 単行本

<内容>
 警視庁巡査の矢作剣之進、元藩士で現在貿易会社で働く・笹村与次郎、洋行帰りの旗本の息子・倉田正馬、剣術道場の師範・渋谷惣兵衛。彼らは互いが持ち寄った不思議な話を皆であぁでもない、こうでもないと語り明かす。そして話が煮詰まったときには必ず、九十九庵の隠居・一白翁に相談することに。実はこの老人、小股潜りの又市と共に旅をしていた山岡百介であったのだ。百介の口から、又市の仕事の数々が再び語られることに。

 「赤えいの魚」 (怪 vol.0011 2001年9月刊)
 「天 火」 (怪 vol.0012 2001年12月刊)
 「手負蛇」 (怪 vol.0013 2002年8月刊)
 「山 男」 (怪 vol.0014 2003年3月刊)
 「五位の光」 (怪 vol.0015 2003年8月刊)
 「嵐の神」 (書き下ろし)

<感想>
 巷説百物語の三作目。発売してすぐに買ったにもかかわらず、着手するまでに時間がかかってしまった。読んだ感想はといえば、去年のうちに読んでおけばよかったと後悔している。いや、相変わらず面白かった。これはもう安定した面白さといえるだろう。

 本書では前作から時を置いて、維新以後の話となっている。よって、又市達はもういないという時代設定。唯一生き残った百介の口から物語が語られるようになっている。読み始めたときは、わざわざこのような設定にせずとも、前のままでよかったのではないかと思ったのだが、本書は本書なりの独自の切り口を持った作品となっていることに、全て読み終えた後に気づかされる。本書は山岡百介のための物語であり、江戸時代から明治に切り替わった、時代の改変を書き表した書でもあるのだろう。


「赤えいの魚」
 ある種の桃源郷が描かれているのだが、それがなかなかすさまじい。不謹慎ながらも、最近読んだ「リアル鬼ごっこ」を思い出し、こんな島ならこういうことも起こるかもと、関係ないながらも考えてしまった。なかなかブラックな物語が描かれており、異色話として面白い。所詮は釈迦の手の中の出来事というような締めが印象的。

「天 火」
 良い代官と悪い妻、そして村の恩人の坊様。その坊様が悪女の計略に謀られて代官によって処刑される寸前に復讐を誓い、呪いの言葉を吐く。
 しかし、実はこの物語には裏があり、又市ならではの“仕掛け”が隠されている。事実と思われた話の裏に隠された真実が明らかにされたとき、仕掛けを謀った者達の仕事に感嘆せずにはいられなくなる。又市の荒業炸裂といったところか。

「手負蛇」
 本書の中ではこの話が一番良いと感じられた。最初は密室殺人を扱った本格推理かと思ったものの、そこまでミステリーに傾倒したものではなかった。とはいうものの、過去の話と現在の話が見事に結びつけられる技はお見事と言うしかない。話立てがすばらしい。

「山 男」
 本書は前述の作品とはまた、異なる印象の作品に仕上がっている。どこが印象的なのかというと、物語中の謎の解決方法である。前段の作品では、又市の物語が語られることによって、謎となるものが不思議な話として語られたり、どこかあやふやな形として葬られるものとなっているように思えた。しかしこの作品では、語られた物語とは別に近代的な様式にのっとって事件の解決がなされている。これは“江戸時代の不思議”が“明治時代の近代”に移り変わりつつある様相を描いた作品ではないかと考えさせられた。

「五位の光」
 これは怪談というよりも、普通の物語であったような気がする。とはいっても、話の表裏を知れば“物語”なのだが、一部しか知らない当事者であれば、“怪談話”ということになるのだろう。本編は次の作品へのつなぎの役割も果たしている。

「嵐の神」
 そして本編最後の物語。ここでは“百物語”というものの意味について問われている。その一つの答えがここに描かれているのだが、その答えによって一つの物語が終わるようになっている。見事な結びの一話であった。


豆腐小僧双六道中   6点

2003年11月 講談社 単行本(特別サイズ)

<内容>
 突如この世に出で現れた妖怪・豆腐小僧。その豆腐小僧は様々な妖怪と出会うことにより、自分の存在意義を考え始める。そしてその存在意義を探るべく、豆腐小僧は旅に出る。妖怪たちの珍道中が今始まる。

<感想>
 どのような内容の本かと言えば、京極堂シリーズにて語られる薀蓄、その妖怪に関するものを一冊にまとめたかのような本である。一応、物語り調にはなっているものの、論理的、学術的な説明調にて書かれている部分が多い。よって物語として楽しみたいという人にはあまりお薦めできない。京極堂シリーズでの薀蓄に興味を引かれるという方は楽しんで読むことができるだろう。

 しかし、全体的に堅苦しい小説となっているかといえば、そんなことはない。そこはコミカルともいえる主人公を配置したことにより、わかりやすい、くだけた説明で全編語られているのでとても読みやすくなっている。とはいうものの、いささか長すぎるようにも感じられるのは確かである。もうすこし物語りに比重を傾けてくれれば、もっと取っ付きやすかったと思えるのだが。


百器徒然袋−風   6点

2004年08月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
「五徳猫 薔薇十字探偵の慨然」
 電気工事会社で働く本島は“招き猫”に関する奇妙な事件の話を聞かされることに。またまた“薔薇十字探偵社”の面々と関わりあうことになってしまう本島の運命は?

「雲外鏡 薔薇十字探偵の然疑」
“薔薇十字探偵社”の帰りがけに本島は何者かに拉致される。そこで本島は奇妙な犯罪劇を繰り広げることに。その奇妙な出来事にはいったい何の意味が? 本島の困惑をよそに“霊感探偵”と榎木津の闘いが今始まる。

「面霊気 薔薇十字探偵の疑惑」
 もう関わりあいにはなりたくないと思っていた薔薇十字探偵社に結局訪れる羽目になる本島。友人の近藤の家にあった謎のお面は何を意味するのか? 知らず知らずの間に計略に絡め取られ始めた本島の運命やいかに?

<感想>
 本書は京極氏がミステリー作家というよりはエンターテイメント作家として力を発揮している作品といえよう。前作“雨”ではそれぞれの作品がそれなりにミステリーとして出来上がっていたように思えた。しかし今回は3作品のうちミステリーとしての形式がとられているのは「五徳猫」だけのように感じられる。あとの二つはミステリーというよりも一連の続きの物語であり、しかもネタとしても同じ内容のものであった。よって、シリーズものとして榎木津の活躍と本編の関口のかわりとなる存在の本島の困惑ぶりが描かれたエンターテイメントの書という印象がかなり強い。

 それでも当然のことながら極上のエンターテイメントとして出来上がっており、榎木津の暴れっぷりを楽しむことができるという事は、すでに京極氏の本を何冊も読んでいる方には今更言うまでもないだろう。勧善懲悪の時代劇を見ているように、安心しながら楽しむことができる内容となっている。


邪魅の雫   7点

2006年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 榎木津の元にその親戚が現われ、それに益田が対応する。その人物曰く、榎木津の婚約相手となるはずの者が最初は乗り気であったはずなのに、皆縁談を断ってくるというのである。その原因を調査してもらいたいと・・・・・・
 また巷では連続毒殺事件が起こっていた。被害者同士に何の関係もなく、犯人が同一人物であるかもわからない・・・・・・にも関わらず、何故か警察は最初から連続事件として捜査を進めてゆく。いったい、その裏には何が潜んでいるのか・・・・・・

<感想>
 前作「陰摩羅鬼の瑕」を読んだときは、正直言ってこのシリーズもトーンダウンし始めたかなと思っていたのだが、見事この作品で巻き返したといえるだろう。そう言いきれるほど、ここ最近ではすばらしい作品だと思える内容であった。

 序盤は起こる事件がそのまま延々と語られてゆく。この辺は話が直列に語られたり、並列であったり、時系列が入れ代わっていたりとなかなか全貌を把握するのが難しい。また、事件の当事者にしてみれば何が起こっているのかさっぱりわからないであろうが、読んでいる側にしてみれば、既にわかりきったことが書かれていたりと若干もどかしくも感じてしまう。とはいえ、事件の流れを見事ともいえるほど複雑怪奇に書き上げており、この事件の構築の仕方にはさすがと感心させられてしまう。

 と、事件自体の構築の仕方がうまいと感心させられはするものの、それだけがこの作品の“肝”ではない。事件を改めて整理してみれば、構造は複雑ではあるものの、別に難しい犯罪でもなく、それほど変わったものというわけでもない。

 では、何がこの作品の価値を高めているかといえば、その“事件の解きほぐし方”といってよいであろう。

 本書の内容は書き方によっては、ものすごい平凡な作品となってしまうのではないかと思える。そこに京極氏ならではの書き方があるからこそ評価が高められるのだろう。

 最終的に一連のシリーズ作品同様、京極堂が現われて事件を解決していくのだが、そのときに、いっぺんに全てを語るということはせずに、別々の人物に焦点をあてて別々の物語として語り始める。そして、その別々の物語を語り終えたときに、それらをつなぐ一つの“意志”の働きが明らかにされる。

 とにかく、こうして感想を述べるだけではわかりづらいと思えるのだが、その語り口、切り口にすごいと感心させられた。こういう作品を読まされると、今まで読んできた平凡な内容の本も書き方一つで捉え方が大きく変わるのではと考えてしまう。こういう作品を読むと、ミステリ作品の限界というものを超え、まだまだこれからもミステリの可能性というものを感じる事ができる。

 そして、今後も当然のことながら京極作品は追い続けて行かなければなぁと、改めて感じさせられた作品であった。


前巷説百物語   7点

2007年04月 角川書店 単行本

<内容>
 「寝 肥」 (ねぶとり)
 「周防大蟆」 (すおうのおおがま)
 「二口女」 (ふたくちおんな)
 「かみなり」
 「山地乳」 (やまちち)
 「旧 鼠」 (きゅうそ)

<感想>
 いやぁー、惹き込まれた。読み始めたらあっという間に惹き込まれた。面白い、本当にこれは面白い。

 京極氏の作品では“京極堂”と並ぶ二大シリーズの“巷説物語”であるが、この作品は又市が何ゆえこのような仕事に手を染めたのかということが書かれた作品となっている。成熟した又市とはちょっと違う、青臭い又市というのものを興味深く読むことができる一冊となっている。ちなみに今までの作品を知らなくてもこの作品から読んでも十分楽しめるということを付け加えておきたい。

 最初の物語は、何度も身受けされる女郎のトラブルに巻き込まれた又市達、そこに女相撲取りの死体までが加わり、事態はますます混迷を極めていくというもの。

 ここから又市らによる“仕事”が始まっていくわけなのだが、いやその解決っぷりがなんともいえず頼もしい。よくぞこんなことを考えるな、という方法で事態を収拾に向かわせる。それにしても、著者の京極氏はこの「寝肥」といい、「どすこい」という作品といい、“でぶ”になんらかのシンパシーを感じているのであろうか。

 この後、又市らは“損料屋”の一員として仕事をしていくこととなる。金額にはあらわせない損のうめあわせをしていくのが又市らの仕事というわけである。彼らはその後、仇討ちにからんだ藩のお家騒動や子供を殺害したという後妻の後始末などといったことに巻き込まれつつ、裏に隠された真相を見抜き、損料屋の仕事として見事にこなしていく。

 しかし、前半の陽気さはここまでで、後半になってからは損料屋に暗い影が忍び寄ってゆくこととなる。また、又市は仕事をこなしながらも、その仕事の最中に死者が出るたびに、損得の勘定が合わなくなってきているのではないかという考えに悩まされる。

 そして後半に入り、新たなる黒幕の存在が見え隠れしてゆき、損料屋としての、さらには今回の物語のカタストロフィが徐々に迫ってゆくことに。

 今までの作品での又市の根本的な考えというものについては、よく覚えていないため、今作とそれらを比べることはできないのだが、読み返してみるとおもしろいのかもしれない。また、又市の提言する“損料”においての人の生き死についての考え方は実に興味深いものとなている。本書はある種の教訓の物語のようにさえとることができる。ただし、それが誰にとっての教訓なのかというと疑問なのであるが、それが又市にとってのということであれば、ますます前作までの作品を読み返して比較してみると面白いかもしれない。

 また、本書はどうやら続きがあるのではないかと思われる節がある。時系列順では、この作品の後が第一作の「巷説百物語」となるはずであるのだが、そこに到達するまでにまだまだ又市にとってのさまざまな物語があるのではないかと思われる。そう思うと、今後もまだまだシリーズとして続いてくれそうなので、次の作品を楽しみに待つこととしたい。


南極(人)   

2008年12月 集英社 単行本

<内容>
 (省 略)

<感想>
 うーん、薦められない、誰に薦めていいのかわからない。

 本書の内容は、作中でも言及しているのだが、言うなれば“ギャグ小説”だとのこと。まぁ、それ以外に言いようがないのだが、実際のところ本当にギャグ小説なのかも微妙なところ。要するに、ギャグといってもそれほど面白くない。昔のいわゆるナンセンスギャグ、とにかくギャグ調が古いとしか言いようがない。よって、展開も読めてしまうので意外性もない。

 とりあえず、漫画家である赤塚不二夫氏や秋本治とのコラボレーション作品や、有名イラストレータによる挿絵などが付いているので、それらに興味を惹かれる方は読んでみてもいいのかもしれない。

 最初に「小説すばる」に掲載されてから10年以上の時を経て、ようやく単行本された作品のようであるが、なんでそれだけの時をかけて描き続けてきたのかよくわからない作品。一応、京極氏のライフワークなのだろうということでこの場を治めておきたいと思う。


数えずの井戸   

2010年01月 中央公論社 単行本

<内容>
 後に番長皿屋敷と呼ばれ、恐れられるようになった武家屋敷。そこではいったい何が起きたというのか!? 独自の解釈で語りつくす、京極夏彦版「四谷怪談・番長皿屋敷」。

<感想>
 お菊さんが井戸の中から現れ、皿を一枚、二枚と数えるという怪談話は誰もが聞いたことあるのではないだろうか。ただし、私自身もこうした大枠は聞いたことがあるものの実際の詳しい内容までは知らない。この番長皿屋敷の背景から話を膨らませ、ひとつのストーリーに仕立て上げたのが本作である。

 とはいうものの、中身を凝ったわりには物語が成功しているとは言い難い気がする。むしろ、京極氏流に仕立て上げた故に話が回りくどくなってしまったという気がする。これならば元のままで皿を割って殺害された菊が化けて出てくるというほうが単純明快であるのではないだろうか。

 なんといってもこの作品、主人公のひとりと言ってよい皿屋敷の当主・播磨という人物がいけない。結局、この物語の悲劇を生んだのはすべてこの人物のせいといっても過言ではなかろう。全ての物事に対して、何か欠けているといいながら興味を抱かないくせに、妙なところでしゃしゃり出てくる。変にしゃしゃり出てくるから悲劇が起こるという悪循環。

 この作品を読んでいて思ったのは、探偵が出てこない推理小説とはこういうものかということ。多くの登場人物が出てきて、それぞれの思いを語って行くので、読んでいる方は全ての状況が把握できる。ただし、登場人物たちはその思いを互いに交換する場がないために、相手方が何を考えているのか一切わからない。それにより、誤解や擦れ違いを生んでしまうこととなる。そして探偵による解決がなされないがゆえに、それらの誤解や擦れ違いが何故に生じたのか登場人物たちにはわからないまま幕が下りてしまう。よって、読んでいる方としてはやるせないまま話が終わってしまうということになる。

 とはいうものの、別にミステリ作品というわけではなく、あくまでも会談であるがゆえにこうした後味の悪さというのは当然のことと言えるのかもしれない。また、この作品の流れの方が確かに皿屋敷にまつわる怨念がさらなる強さを増してゆくであろうことを感じ取ることはできた。


死ねばいいのに   

2010年05月 講談社 単行本

<内容>
 とあるOLが殺害されるという事件が起きた。その後、関係者のもとにケンジと名乗る青年が彼女のことを聞かせてほしいとたずねて来る。関係者たちはケンジと名乗る青年を胡散臭く思い、追っ払おうとするのだが何を言ってもまともな返答をしない男にいらだち、気がつけばいつの間にか自分たちのことを語っている始末。そうしてケンジが関係者たちに話を聞くうちに真実がうかびあがり・・・・・・

<目 次>
 「一人目。」
 「二人目。」
 「三人目。」
 「四人目。」
 「五人目。」
 「六人目。」

<感想>
 読み始めた時には、京極氏のノン・シリーズとしては珍しくミステリ作品なのかと思ったのだが、最終的にはホラー作品として帰結したように感じられた。

 物語はひとりの青年が会社員を訪ねてゆくところから始まる。青年は事件で死亡した女性のことを聞かせてほしいというのである。しぶる会社員であったが、徐々に自分の思いを青年に話し始めることとなる。こういった具合に、ほとんどが会話のみで成り立っている作品。あとは青年に話を求められているものの心の声の描写くらいか。こういう具合で、話が一人目、二人目と続いて行く。

 本書の特徴は被害者の知人たちに話を聞きに行くケンジという青年の人間性。この人間がよくわからなく、話を聞きにきたというわりには、全く会話を成立させることができない人物。何を言っても、まともな反応は返ってこず、「自分はよくわからないっすから」「あたまよくないんで」みたいなことを言いつつ、それぞれの関係者たちにくいさがる。あきれ果てた彼らは、いつしかそれぞれが自身のことを話しだしてしまうこととなる。

 この作品は、京極氏ならではの“憑き物落とし”に通ずるところがある。このケンジという人物がそれぞれの関係者の人間性にとどめをさすかのように使われる言葉が“死ねばいいのに”。そんなことを繰り返しながら物語はゆっくりと進んでゆく。

 という具合に、そのまま終われば本書はミステリ作品という具合になるのだろうが、終盤にはちょっとしたひと波乱が待ち受けることとなる。そのひと波乱により、本書はミステリというよりはホラー的な印象を色濃くして終幕する。

 最終的には、何かうすら寒さを残して終わるという後味の悪い作品。また、物語中の会話についても、基本的に会話が成り立っていないのでストレスを感じることとなる。そうした色々な悪い要素を踏まえたことにより、ホラー色を強調するという内容であったのだろう。


西巷説百物語   6点

2010年07月 角川書店 単行本

<内容>
 「桂 男」(かつらおとこ)
 「遺言幽霊 水乞幽霊」(ゆいごんゆうれい みずこいゆうれい)
 「鍛冶が嬶」(かじがかか)
 「夜楽屋」(よるのがくや)
 「溝 出」(みぞいだし)
 「豆 狸」(まめだぬき)
 「野 狐」(のぎつね)

<感想>
 今作は、今までの作品群との年代的なからみがいまいちはっきりしなかった。というのも、この作品では主人公がいつものように又市ではなく、靄船(もやぶね)の林蔵という人物が主人公を務めている。私はさほど強い印象はなかったのだが、彼は前作「前巷説百物語」に登場した人物。その作品の中では又市と共に仕事をしていたのだが、最終的に魔の手から逃れるために江戸を離れ、大阪へとたどり着く。それから数年後(数十年後?)、林蔵が仕事をする上方での物語がこの「西巷説百物語」である。

「桂男」の話が始まったときには、どのようにして話が進むのか全く見当がつかなかった。しかし、話が進むにつれ「あぁ、そういうからくりか」と納得させられる。最初の作品を読めば、その後の作品はどのように話が進んでゆくのか、だいたい理解することができた。といいつつも「鍛冶が嬶」は話が後半に至るまでは半信半疑で読んでいたのだが。

 ただし後半へ行くと、話がパターン化して意外性が薄れるせいか、前半とは異なる展開で物語が進められてゆく。こういった工夫も随時されているので、基本的には王道ともいえる勧善懲悪ものであるが、飽きずに読みすすめることができる作品集となっている。

 今回の主人公は林蔵という人物であったが、最後の作品になってようやく又市が登場する。その際に山岡百介が登場することもあり、年代的には「巷説百物語」や「続巷説百物語」と同じくらいの年代の話なのだなということは理解できた。

 この作品はそれぞれ短編作品としては楽しめるものの、シリーズとしては他の作品との結びつきが強いとは思えず、なんとなく外伝的な作品という気がした。ゆえに、単純に短編作品を読んでいるという印象の分、他のシリーズ作品と比べるとやや落ちるというように思える。たぶんシリーズとしてはまだこの先があると思うのだが、今後の作品はいったいどの年代、もしくはどの土地の話となるのか興味が尽きることはない。後の作品で今作の話が生かされることとなる、ということも十分に考えられることであろう。


百鬼夜行 陽   

2012年03月 文藝春秋 単行本(「定本 百鬼夜行 陽」)
2015年01月 文藝春秋 文春文庫(「定本 百鬼夜行 陽」)
2016年09年 講談社 講談社ノベルス(「完本 百鬼夜行 陽」)

<内容>
 「青行燈」
 「大 首」
 「屏風のぞき」
 「鬼 童」
 「青鷺火」
 「墓の火」
 「青女房」
 「雨 女」
 「蛇 帯」
 「目 競」

<感想>
 再読ではなく初読。ややこしいのだが、だいぶ昔に「百鬼夜行 陰」というのが講談社ノベルスで出ていて、そちらは読んでいるのだが、こちらはその後だいぶ時を経て別途出版された作品。内容はといえば、京極堂のシリーズで登場したわき役たちにスポットをあてたものとなっている(「百鬼夜行 陰」も同じ)。ただ、これらが文藝春秋が“定本”として出せば、講談社が“完本”として出したりと、これまた少々ややこしい。

 京極堂シリーズ自体が読んでからだいぶたっているので、さすがにサブキャラクターについてまで細かく覚えていない。ゆえに、これだけ単品として読んでもあまり意味がないような気がしながらも、とりあえず読み通してみた。これを単品の作品と考えると、文学小説として読める作品なのかなと考えてみたりもした。この“百鬼夜行”の作品に関しては、実際に読むのであれば、なるべくシリーズ長編を読んでから時をあけずに着手したほうがよいものであろう。

 それぞれ、各作品のキャラクターが登場するものの、「墓の火」と「蛇帯」の二編はどうやら今までの作品とは関連していないようで、出版予定である「鵺の碑」に関係するものらしい。ただし、その「鵺の碑」が予告されてからずいぶんと時が経つので、実際に出るかどうかは微妙なところ。

「青行燈」 「陰摩羅鬼の瑕」の財産管理人・平田謙三のその後。(昭和二十八年秋)
「大 首」 「陰摩羅鬼の瑕」から「邪魅の雫」へ。警官・大鷹篤志が悶々として愚かな行為に走る。(昭和二十八年夏)
「屏風のぞき」 「絡新婦の理」の連れ込み宿の婆さん・多田マキの屏風の陰におびえる人生。(昭和二十八年早春)
「鬼 童」 「邪魅の雫」の母親を亡くした江藤徹也は自分がひとでなしであることを自覚する。(昭和二十八年弥生)
「青鷺火」 「狂骨の夢」の作家・宇多川崇は死後について考え、川であるものを・・・・・・(昭和十九年十月十四日)
「墓の火」 (「鵺の碑」?) 寒川秀巳は父親の死の原因を究明しようと山に登る。(昭和二十八年初秋)
「青女房」 「魍魎の匣」の復員兵・寺田兵衛は自分の人生と箱作りの欲求を語る。(昭和二十一年秋)
「雨 女」 「邪魅の雫」のヤクザものの赤木大輔は雨女に善行(?)を強いられる。(昭和二十八年九月十一日)
「蛇 帯」 (「鵺の碑」?) メイド・桜田登和子は自分の度を越した蛇嫌いの核心に触れる。(昭和二十八年十一月半ば)
「目 競」 榎木津礼二郎、終戦後、探偵になることを決める。(昭和二十五年秋)


遠野物語 remix   

2013年04月 角川学芸出版 単行本

<内容>
 明治43年に記載された柳田國男による「遠野物語」。その物語を現代調とし、順序を編纂したもの。京極夏彦の手のより新たに結ばれる新釈「遠野物語」。

<感想>
 話には聞いたことのある「遠野物語」というのはこういうものなかと、触れることができた。物語といっても、一筋の流れができているものではなく、伝聞で伝えられた数々のエピソードが紹介されたものという感じ。それが京極夏彦の手によって、似たような話をまとめたりという編纂によって、より読みやすくしたという内容。

 基本的には怪異譚ショートショートという感じであり、本当の話なのか眉唾なのか微妙とも思える。ただ、似たような怪異が並べられていることにより、それらひとつひとつの事象も真実味を帯びてくるのである。また、ひとつの土地にこれだけ多くの怪異が語られるのも、“何かあるのでは”と思われてならない。深読みすれば色々と読み取れることであろう。さらには、話のひとつひとつが昔話や怪談のネタとなりそうであり(もしくは既なっているのかも)、ネタの宝庫と言えるかもしれない。

 民俗学に興味のある人には、格好の入門書となるのではあるまいか。敷居の高そうな「遠野物語」をこのように手軽に読めるというのは貴重といえよう。


書楼弔堂 破暁   

2013年11月 集英社 単行本

<内容>
 明治維新後、病気療養のため家族と離れて暮らしていた高遠であったが、回復した後も仕事もせずにひとりだらだらと暮らし続けていた。ある日、知人に教えられて出向いてみた本屋“弔堂”。そこの店主が言うには、ここは本の墓場であり、本を弔いっていると。そして、その人にとって本当に価値のある一冊を見つけてもらうのだと。噂を聞きつけて弔堂にやってくる人々は己の悩みを打ち明け、それぞれの一冊に出会うこととなり・・・・・・

 「探書 壱 臨終」
 「探書 弐 発心」
 「探書 参 方便」
 「探書 肆 贖罪」
 「探書 伍 闕如」
 「探書 陸 未完」

<感想>
 書物を中心に明治維新後の出来事を描いたかのような作品。よって、その時代に実在した有名人が出ていたり、さほど有名ではない人が出ていたりと、歴史の裏側を描いたといってもよい内容であるのかもしれない。

 個人的に楽しめたかと言えば、少々微妙。というのも、ミステリというよりは、悩み相談のような話。
 ・幽霊を見たのではないかと悩む男
 ・何事もうまく出来ないと悩む男
 ・金の算段に悩む男
 ・過去の所業に悩む男
 ・自らの考え方に悩む男
 ・自分の進む道に悩む男

 このような者たちに一冊の本を進め、それぞれの悩みを解消させていく。要するに、いつもながらの京極氏お得意の“付き物落とし”である。その悩みを解消されるものが実在の人物であることが明かされ(といっても知名度が低いものも多い)それもまた、ひとつのサプライズとなっている。そして、これもいつもながらの“幽霊”の存在を全編にちらつかせながら物語を構築しているところも特徴といえよう(幽霊の必要性はやや薄いのだが)。

 そういうわけで、実在の歴史の裏側を想像で描いた裏明治史というようなイメージが強い作品。ミステリというよりも、物語として楽しむべき内容であろう。




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