<内容>
「鬱積電車」 (1994年8月号:小説すばる)
「おっかけバアさん」 (1994年1月号:小説すばる)
「一徹おやじ」 (1995年2月号:小説すばる)
「逆転同窓会」 (1995年6月号:小説すばる)
「超たぬき理論」 (1995年8月号:小説すばる)
「無人島大相撲中継」 (1993年4月号:小説新潮)
「しかばね台分譲住宅」 (1993年10月号:小説新潮)
「あるジーサンに線香を」 (1994年10月号:小説新潮)
「動物家族」 (1994年6月号:小説新潮)
<内容>
愛知県の交通課に勤務する和泉康正は、OLである妹と連絡が取れなくなり、不審に思い上京した。部屋へあがってみると、そこで康正は妹の死体を発見する。妹は自殺をしたかのような状況であったが、康正はすぐに何者かが自殺に偽装したということを見抜く。康正はこの件は警察の力を借りずに自分の力で決着をつけようと、他殺の証拠を隠滅する。独自の調査で犯人と思しき者は妹と付き合っていた男と、妹の友人である女の二人に絞る事ができた。どちらかが妹を殺したはずであるのだが・・・・・・そんな折、ただひとり加賀という刑事が自殺という状況に疑いを抱き、康正に必要以上に接触してくる。
<感想>
こちらは発売当時、ノベルスで読んだ作品。初読の時にはノベルスに解説がついていなかったせいもあり、知りきれトンボとなっているラストから、これはリドルストーリーのように(当時はそんな用語はしらなかったが)、どういう風に解釈してもよい作品なのだろうと思い込んでいた。しかし後日、実は作品をきちんと読めば、誰が犯人なのかが明らかになる小説だということを知る。そうして解説つきの文庫版を買いなおし、いつか読み直そうと思いつつ、早10年。ようやく再び読み直す事ができた。
じっくり読んでみると、なるほどと納得できる内容。確かにちょっと難しいが、容疑者となる二人のうちの片方が犯人であるということが明らかとなっている。何度かページをめくり直し、確認して、果てしなく回答に近いヒントが書かれている解説を読むと・・・・・・間違っていた!
いや、単純に考えすぎてしまった。ここまで複雑なロジックを用いてくるとは。しかも、ノベルス版のほうが犯人を暴きやすくなっているため、文庫版ではとある一文字を削除し、難易度を上げているということまでがなされている。いやはや、ここまで先は読めないわ。確かに利き手がわかったというだけで、犯人がわかってしまうというのは、単純すぎるという気はしたのだが・・・・・・思いもよらず、難易度の高い犯人当てであった。
懲りずに「私が彼を殺した」のほうも再読してみよう。そして今度こそはと!
<内容>
「誘拐天国」 (1995年11月号:小説すばる)
「エンジェル」 (1996年2月増刊号:小説すばる)
「手作りマダム」 (1994年11月号:小説すばる)
「マニュアル警察」 (1993年11月号:小説すばる)
「ホームアローンじいさん」 (1994年4月号:小説すばる)
「花婿人形」 (1995年4月号:小説すばる)
「女流作家」 (1992年2月号:小説推理)
「殺意取扱説明書」 (1993年7月9日号:週刊小説)
「つぐない」 (1994年10月号:野生時代)
「栄光の証言」 (1994年12月9日号:週刊小説)
「本格推理関連グッズ鑑定ショー」 (1996年5月号:小説すばる)
「誘拐電話網」 (1995年1月号:小説宝石)
<内容>
若者は突然燃え上がり、デスマスクは池に浮かぶ、そして心臓だけが腐った死体・・・・・・常識では考えられない謎に物理学者・湯川、通称ガリレオが挑む。
「燃える」 (1996年11月号:オール讀物)
「転写る」 (1997年03月号:オール讀物)
「壊死る」 (1997年06月号:オール讀物)
「爆ぜる」 (1997年10月号:オール讀物)
「離脱る」 (1998年03月号:オール讀物)
<内容>
神林貴弘の妹・美和子は作家であり映像制作も手掛ける穂高誠と結婚することとなった。しかし貴弘は穂高のことを快く思っておらず、この結婚に乗り気ではなかった。穂高のマネージャーである駿河直之も穂高誠のことを憎んでいた。駿河が好意をよせていた女性・浪岡準子を横取りされ、しかもその準子は子供を堕ろさせられたあげく捨てられていた。神林美和子の詩人としての才能を見出し、現在彼女のマネージャーをしている雪笹香織も穂高誠を憎んでいた。彼女は一時期穂高と付き合っていたのだが、その後あっさりと他の女に乗り換えられた。
穂高誠と神林美和子の結婚を控えた前日、穂高に捨てられた浪岡準子が毒入りのカプセルを飲むことによって自殺をした。そして彼女が使用した毒入りカプセルが偶然にも他の者達の手元に入ることに!! そうして結婚式当日、穂高誠は毒により殺害されることとなる。彼を殺したのは誰か? 毒入りカプセルを穂高に飲ませることができたのはいったい・・・・・・
<感想>
「どちらかが彼女を殺した」に続く、読者自身が犯人を当てなければならないという趣向の作品。ノベルス版で読んでいたのだが、そちらには解答がついていなかったので、解答のヒントがついている文庫版も購入。そうして、購入してから8年の時を経て、ようやく読むこととなった。
最終的に毒の入手については、それぞれルートが明らかにされている。容疑者である3人の誰もが毒を入手できる立場であった。よって問題となるのは、どのようにして被害者に毒を飲ませたのかということ。最後の最後で加賀刑事からヒントが与えられているので、そこに着目して問題を考えるようになっているのだが、どうも今回は難しい。前作では、もう少し着目点を絞れたのだが、今回は完敗。
というわけで、巻末の袋とじを開ける。
すると、なるほどと。確かに、登場人物のひとりが怪しい行動をとっており、その行動が怪しいということは気づくことができた。しかし、ある物証に関する内容についてはどうやら読み飛ばしたようである。なんとなくどこかに書いてあったような気もするのだが・・・・・・
面白く読むことができ、趣向としてもよいと思えつつも、やはりこういった犯人当てというものであれば短編のほうが向いているかなと。長編だとあとから読み逃した部分を見直すという作業が大変(というよりも、見なおしきれない)。それでも、このような難易度の高い犯人当て作品を作るということには感心させられた。まぁ、それなりに満足できたので、ノベルスと文庫の両方を購入するに値する作品であったということは事実。
<内容>
正直に生きていたいと望んでいたのに、落とし穴にはまりこみ思わぬ過ちを犯してしまった人間たち。そしてそれを隠すため、さらに秘密を抱え込み・・・・・・
「嘘をもうひとつだけ」
「冷たい灼熱」
「第二の希望」
「狂った計算」
「友の助言」
<内容>
「夢想る(ゆめみる)」
「霊視る(みえる)」
「騒霊ぐ(さわぐ)」
「絞殺る(しめる)」
「予知る(しる)」
<内容>
帝都大アメフト部のOB西脇哲郎は、十年ぶりにかつての女子マネージャー日浦美月に再会し、ある「秘密」を告白される。あの頃の未来にいるはずの自分たちは、変わってしまったのだろうか。過ぎ去った青春の日々を裏切るまいとする仲間たちを描く傑作ミステリー。
<感想>
かつては東野氏は高校生や大学生ぐらいをあつかった学園物をいくつか書いていたが、本書はそれから時が過ぎ去った者たちを描いたかのような作品となっている。著者にとっても時の流れや日々の移り変わりなど思うところがあったのかもしれない・・・・・・と勝手に考えてしまった。
本書は展開が全く読めない構成となっており、話がどのようになっていくのかという点で楽しむことができた。しかし展開が読めないながらもテーマは一貫していて、到達にいたる過程も非常にすっきりしているように見える。週刊誌に掲載しながらも、よくこれだけ話がそれないように練ることができたなと、ただただ感服。
本書でテーマとなっているのは性同一障害。これによって自分自身に悩む者たちの考え方、生き方、行動などがフリーのライターである西脇哲郎の目を通して描かれている。
また、もうひとつ作品を特徴付けているのがアメフトである。主人公ら登場人物の多くは帝都大のアメフト部に在籍していたもので、人物像がそのポジションによって位置付けられている。アメフトのポジションは明確に役割が決まっているようで、それが将棋の駒のようにきっちりと決められているのがおもしろい。そして登場人物らが各ポジションに沿うように行動をし、大学時代のポジションがそのまま人生のポジションであるかのように思えてくるところが非常におもしろい。
しかし、結末まであまりにも綺麗にうまくまとめあげられ、「うまくまとめすぎじゃないかぁー」という文句もいいたくなるくらいにきっちり仕上がっている。おもしろかった。
<内容>
「超税金対策殺人事件」 (1997年12月号 「小説新潮」)
「超理系殺人事件」 (1996年4月号 「小説新潮」)
「超犯人当て小説殺人事件」 (問題編1997年4月号、解決編1997年5月号 「小説新潮」)
「超高齢化社会殺人事件」 (1998年6月号 「小説新潮」)
「超予告小説殺人事件」 (1998年10月号 「小説新潮」)
「超長編小説殺人事件」 (2000年1月号 「小説新潮」)
「魔風館殺人事件(超最終回・ラスト5枚)」 (1996年12月号 「小説新潮」)
「超読書機械殺人事件」 (2000年8月号 「小説新潮」)
<感想>
抱腹絶倒の短編集。特に「超税金対策殺人事件」や「超長編小説殺人事件」などはホント臭くて過分に笑える。この作品群は東野氏の作品の「名探偵の掟」と「毒笑小説」を混ぜ合わせたような感じに仕上がっている。
あと、「超読書機械殺人事件」は有栖川氏の「ジュリエットの悲鳴」の中の短編作品「登竜門が多すぎる」に呼応するものがあり、あれに対向して書いたのかなと思える(偶然であればすごい!)。
小説家の苦悩ぶりはいまさらではあるけど、出版業界や編集者に対する皮肉のようなものは面白い。本好きならば誰でも一言、二言は言いたいことがあると思う。読者の意見でも応募すれば、小説ネタが増えるのでは??
<内容>
“あたしが殺したのよ” 愛人を殺された夫。妻が犯行を告白する。そして夫は愛人の遺体を湖の底へ。私立中学受験を控える子供たちの勉強合宿のため四組の家族が集まった湖畔の別荘でいったい何が起こったのか!?
<感想>
子供の受験のための合宿。しかしそこに集まるその親達には何か胡散臭いものが感じられ、それぞれが何かを隠しているような雰囲気が・・・・・・というような状態から物語が始められ、やがて一つの殺人が起こり、妻が犯行を告白。というように話が進んで行く。しかしながら、ページの薄さもあるのかもしれないが、なんとなくサスペンスドラマの域を越えていなかったような気もする。子供らも登場しているのだが、大人だけの視点のみに限定されあまり幅が広がらなかったという感がある。もう少しそれぞれの登場人物に説明を付け加えてもらいたかった気がする。まぁ、それでもスピード感ということを考えればこの薄さでも丁度いいという見方もできる。
ただ、それでもラストの解決に至っては、かなり満足させられる結末となっている。この辺はさすがに、単なるサスペンスの域を脱していると感心させられる。まさに著者らしい多彩な中の一冊。
<内容>
宮本夫妻は不治の病におかされた息子の最後を見取ろうとしていた。妻のほうの家系にはもともとそういう遺伝がありながらも覚悟のうえで生んだ息子であった。息子の意識回復を待つ間、二人きりになったとき宮本は妻に打ち明け話を始めた。「ずっと昔、俺はあいつに会っているんだ」
20年以上前の1979年、浅草。花やしきの前から物語りは始まる。
<感想>
東野圭吾流、タイムスリップ物語。主人公が時を超えるのではなく、主人公が時を超えた人間と出会うという物語。この出会いと邂逅、そして一人の人間の成長物語が描かれている。
東野氏の作品に対していうのもいまさらながらだが、“うまい”と感じる。ところどころに感動させる場面がちりばめられており、それをうまく見せている。このあたりのそれぞれのアイディアには脱帽する。ただ、全体をとおして見るとどうだろうと思うふしもある。導入とラストは文句なしであるのだが、途中の話があまりにも平凡すぎるような気がするのだ。このパートが物語のほぼ全体を占めているのだが、ここだけとると大沢在昌氏の「はしらなあかん、夜明けまで」の作品を思わせるような内容で、ありふれているといってもいい物語構成である。また、物語の主題にタイムスリップがあるものの、あまりその効果がでていないように思える。
全編通して読みやすく、微妙な感情表現とかもうまく描かれており一冊の本として十分な満足感はあるものの、東野氏の作品だからこそもう一歩上を期待したかった。
<内容>
広告業界で働く佐久間は日置自動車の副社長・葛城の要望で突然プロジェクトから降ろされる羽目になる。その仕打ちに屈辱を憶えた彼の前に偶然にもその葛城の娘・樹里が現われる。樹里は自分が葛城家の正式な娘ではないことを告白し、葛城家から自分自身の財産を奪い取りたいと話す。佐久間はそれを聞き樹里の協力を得て偽装誘拐を企てようと計画する。葛城にゲームで勝つために。
犯人側からのみ事件を描いた前代未聞の誘拐小説登場。
<感想>
スピーディーかつスリリングな展開は読者を夢中にさせること請け合い。確かに犯人側からのみ描かれる“誘拐小説”というのはあまり例がないような気がする。その試みもさることながら、かつ現代の誘拐劇となるといかに近代的な機械の手を逃れるかという点に着目される。FAX、携帯電話、傍受などといったことがらを考えつつも現金受け渡しにおいて、いかに相手を手玉に取るかというところが読んでいて楽しい。また、相手方や警察の動きというものが全く見えないというのもスリルに拍車をかけている。これはなかなか凝った作品である。
と誉めつつも着想が良かっただけに不満な点も多々ある。主人公の行動を通してみると果たしてそれは完璧な計画であったのだろうかということが一番の疑問である。様子を見ていても行き当たりばったりとまでは言わないにしても穴は多々感じられる。できることならこの物語を「白夜行」のテンションで書いてもらえれば最高であると感じられた。完璧なるゲームを求めるのならばもう少し犯人に非常さがあっても良かったのではないのだろうか。
結局のところ映像向きなサスペンスミステリーといったところである。
<内容>
兄は弟の進学費用を手に入れるために強盗を企てる。しかしその最中老婆を殺害していまい、強盗殺人犯として服役することになる。一人残された弟は強盗殺人犯の兄を持つというレッテルを背負いながら生きていくことに・・・・・・
<感想>
東野氏の作品のほとんどを読んでいるのだが、本書はその多くの作品群の中でも傑作と呼べる一作である。本書はミステリーではないのだが、圧倒的な感動を与える小説として私の記憶に刻まれることになるだろう。
いや、やられたという他はない。ラストにおいては涙がボロボロとこぼれてしまった。よくぞこの少年から青年へとの成長物語を書き上げたと感心してしまう。成長物語といっても本書は快いものではなく、苦難の道を歩き続けるというふうにしかいえないものである。
本書にて取り上げられる主題は“差別”である。どのような差別かというと、身内が犯罪者であるということによる差別である。ちょうど本書を読む前に金城一紀氏の「GO」という作品を読んだ。その本では在日朝鮮人ということによる少年の葛藤を描いたものであった。そしてそれに続き本書を読むことで、身近なところにいろいろな種類の差別というものが存在し、それに苦しむ人々、そしてその周りにいる人々によってこの社会というものが形成されているという一端に気づかされる。
この本で驚くのは差別されるものの葛藤のみが描かれるのではなく、その周りにいる人々の意見もストレートに表現していることである。主人公と彼が働くことになる会社の社長との会話が印象深く心に残る。その意見が必ずしも正しいとか正しくないかとかは意見を出すことは私にはできないが、その形成される社会においての一つの考え方というものを垣間見ることはできる。
そしてまた、重要となるのがタイトルにもなっている、受刑者である兄からの手紙。この兄の感情表現というものは冒頭を除いて、全て手紙からしかなされない。ただ、その手紙というものがときに虚しく、ときに深く心に突き刺さってくるのである。そして血を吐くような感情の元に書かれる弟からの数少ない手紙。どちらも互いに言いたいことは多くあるだろう。しかし二人で話し合うということはできず、限られた手紙の上にしか心のうちを表現することができない。手紙には書けない思いや、手紙に書き表せない思い、そして手紙の中からでは互いに読み取ることのできない心のうち、そういったものがもどかしいほどに感じられるのである。