<内容>
<感想>
<内容>
ネヴァダ州の砂漠を突っ切るハイウェイ50。一人の警官が、通りがかる人々を次々と拉致していた。彼らが幽閉されたのは、デスペレーションという名の寂れた鉱山町。しかも、町の住民はこの警官の手で皆殺しにされていた。妹を目前で殺された少年デヴィッドは、神への祈りを武器に、囚われの人々を救おうとするが・・・・・・
<感想>
主題は“神”の存在とでもいうのだろうか。あらすじだけ追うと、ただの善と悪の闘い、となってしまうのだが、そこに“神”の声を聞くことができるゆえに、一人悩む少年がいる。
彼は“神”の声が聞こえることによって、“神の存在”を認める。しかし自分の家族が死んで行くことを助けることができなかったことによりその“神”がどのような“存在として、何をなしてくれるのか”ということに悩む。人から「神は残酷なのだ」と教えられ、不条理のなか、少年は現実へと立ち向かっていかなければならない。世間や社会の不条理をより拡大し、より残酷なこの“デスペレーション”のなかで、普通の少年よりも早い時期にデヴィッドはそれを学び、歩き始める。これは残酷な、少年の成長の物語でもあるのだろうか。
<内容>
オハイオ州の閑静な住宅街に起きた突然の発砲事件。奇妙なワゴン車から発せられた銃弾が、非常にも、新聞配達の少年の命を奪った。だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。SFアニメや西部劇の登場人物たちが、次々に街頭に現れては、住民達を無差別に襲撃しはじめたのだ!
<感想>
一つの作品ではあるけれども、やはり位置付けとしては、デスペレーションのパロディというところだろう。これ一作ではえるという作品ではない。内容はデスペレーションとは関係ないといってよいのだが、それでもデスペレーションがあって初めて意味のある一つの作品になるといいきれるだろう。
<内容>
ベストセラー作家マイク・ヌーナンは、突如妻の死に遭遇することとなり、その死を乗り越えなければならない羽目に陥る。妻の死を引きずり続けるマイクはやがて小説を書くことができなくなる。マイクはある日思い立ち、妻との思い出が残る別荘へと行き、そこでしばらく過ごすことを決める。すると、そこでとある少女と出会ったことにより、地元の権力者がからむトラブルに巻き込まれる羽目となる。そうしたなか、別荘にてマイクは数々の怪奇現象に見舞われることとなり・・・・・・
<感想>
文庫版で発売されたときに購入したもので、約15年もの積読本。ようやく読むことができたのだが、これが読み始めは、全く面白いとは思えなかった。主人公である作家の妻が不慮の死を遂げるのだが、その後、その妻の死に対する虚無状態のような描写が延々と続く。そうした場面に何の面白みもなく、この作品を最後まで読み通すことができないのでは? と考えたくらい。しかし、中盤以降、それまでの展開が嘘のように物語が動き始める。
主人公が別荘へと移り住むようになってから、話の展開がやたらと早くなる。度々遭遇することとなる別荘での怪異、母娘との出会いと邂逅、地元の権力者からの嫌がらせ、さらにその嫌がらせは母娘をからんでの裁判沙汰へと発展してゆく、そして妻が生前調べていた“何か”。そういった出来事が矢継ぎ早に現れ、さらには読み手の予想を覆す展開がどんどんと続き、一気に濁流に巻き込まれるようにラストのカタストロフィへと向かうことになる。
地元の権力者が出て来てからは、単なる偏執狂との戦いというような話なのかと思ってしまったのだが、実はしっかりとした動機が隠されていたことに驚かされた。この真相により、それまでの町の人々の様相の裏に隠されたものが明らかとなり、全てが腑に落ちるように作り込まれている。単なるホラー作品としてだけではなく、ミステリとしてもなかなか読み応えのある作品であった。
読み始めた時は、全く手ごたえがなかったものの、これは序盤我慢をして、最後まで読み通して良かったと思える作品。
<内容>
ベストセラー作家、スティーブン・キングが自らの体験に照らし合わせて綴った自伝的文章読本。
「履歴書」
「道具箱」
「書くことについて」
「生きることについて」
「閉じたドア、開いたドア」
<感想>
本書は「小説作法」というタイトルで出ていた作品の新訳であり、補遺の一部を追加したもの。スティーブン・キングによる小説の書き方が描かれた作品。
序盤はキングの人生を描いたものであるので、そこに興味がなければ飛ばしてもよいかもしれない。その後からは、思っていたよりも深く“小説の書き方”について描き上げられている。
小説を書く際にここまで深く考えているのかと感心させられてしまった。自分なりの気に入った書き方だとか、他の作家の好きな文章なども取り上げられている。また、プロットを重要視していないという作法については驚かされた。書いているうちにストーリーが自然に湧き出てくるという感覚で書いているよう。また、書く環境も大切なようである。
私自身は別に作家を目指しているわけではないのだが、本を書こうとしている人にとっては、結構役に立つ作品ではないかと思われる。ここに書かれているのが唯一の方法というわけではないのだろうが、少なくとも一つの作法であるということは間違いない。また、キングがどのように作品を書いているのかを知ることによって、読む側のほうも別の楽しみが増えることになる。
<内容>
幼なじみのジョーンジー、ヘンリー、ビーヴァー、ヘンリーの四人は大人になってからも互いの交流を絶やさず、毎年秋になると山小屋に泊まり、鹿討ちを楽しんでいた。しかし、今年はその山小屋に一人の奇妙な遭難者が現われたことを発端に、大きな事件に巻き込まれていくことになる。
<感想>
最初は、4人の少年が成長して、彼らが集まったときに過去を掘り起こすなんらかの出来事が起こり、恐怖を体験することになる、というような物語を想像していた。ところが話は段々と大きくなり、やがては異性人との生存をかけた戦いにまで勃発していくことになる。
全体的な感想からすれば、面白いし、なかなか読める本であるといえる。しかし、それはスティーブン・キングの本であれば当たり前であろう。だからキングの著書であれば、常にそれ以上のものを期待してしまう。本書がそこまで応えることができたかというと微妙である。
やはり一番に感じるのは話が大きくなりすぎたという点。そのために物語の幅は広がり、展開を読むことができなくなるという効果はあるものの、逆に主人公達の過去のエピソードの効果というものが薄れてしまったようにも思える。ホラー作家であるがゆえに、ただ単にいい話で終わるようなことはないのであろうが、もう少しダディッツのエピソードをわかり易く交えてもらっても良かったのではないだろうか。また、軍隊の投入により登場人物が増えるのだが、カーツの存在が必要であったのかも疑問に感じるところである。
本書では部分部分では、それぞれ楽しむことができる。現われ出でる“怪物”の存在や四人がひとりひとりになったときの描写などには恐怖を感じ、“追跡”の部分ではサスペンスと楽しめ、過去のエピソードは心温まる良い話として、それぞれ読むことができる。しかし、それらの話が一つにまとまりきらなかったように感じられた。もう少し、単純な話でもよかったのではないだろうかという印象が残る。
<内容>
「ウィラ」
「ジンジャーブレッド・ガール」
「ハーヴィーの夢」
「パーキングエリア」
「エアロバイク」
「彼らが残したもの」
「卒業の午後」
<感想>
スティーブン・キングの短編集。「Just After Sunset」という短編集を日本ではこの「夕暮れをすぎて」と「夜がはじまるとき」の2分冊にして刊行。
「ウィラ」は、駅舎での一幕が描かれた作品。気が付く人は、序盤でどのようなものなのかネタがわかってしまうであろう。ノスタルジーというか、もはやその先の物語というか、なんとも。
「ジンジャーブレッド・ガール」は、ジョギングに目覚めた女性の話。ただ、それだけではなくその女性がとんでもない事件に巻き込まれることとなる。この短編を読むと「ミザリー」や「ジェラルドのゲーム」といった他のキングの作品を思い起こす。ジョギングが話に何の関係があるのかと思いつつも、後半で見事にスポットが当てられることとなる。
「ハーヴィーの夢」は、リドルストーリーのようなちょっとした話。嫌な予感が実際のものとなるのか? それとも杞憂で終わるのか?
「パーキングエリア」 ホラーという観点からはこれが一番かもしれない。日本ではどうかわからないが、外国のパーキングエリアでは遭遇しかねない事件。パーキングエリアの中のトイレでカップルが喧嘩しており、女が男に殴られていたらどう行動する? というもの。
「エアロバイク」 ダイエット・ストーリー。平凡なエアロバイクによるダイエットをキングが描くと、このようなホラーとして描かれてしまう。
「彼らが残したもの」は、とある男のアパートメントにさまざまなちょっとした品が置かれているという綺譚が描かれる。若干ネタバレとなってしまうのだが、9・11事件の跡に残された者としてキングなりに考えて描いた作品とのこと。非常に印象深い内容であった。
「卒業の午後」は、恋人との関係に思い悩む女の話かと思いきや、最後に物語はとんでもない方向へと転換してゆく。まぁ、日常に幸せが崩れるときというのは、こういうものなのかもしれない。
<内容>
「N」
「魔性の猫」
「ニューヨーク・タイムズを特別割引価格で」
「ろうあ者」
「アヤーナ」
「どんづまりの窮地」
<感想>
スティーブン・キングの短編集「Just After Sunset」を日本で2分冊にしたもの。もう一冊の「夕暮れをすぎて」は既読(感想は↑)。今作は、意外というよりもキングらしい作品がそろっていたような。
「N」 Nという患者に対する精神医の書簡。
「魔性の猫」 殺し屋は不気味な猫を始末してもらいたいという依頼を受けるのであるが・・・・・・
「ニューヨーク〜」 死者と電話がつながり・・・・・・
「ろうあ者」 ヒッチハイクしていた“ろうあ者”を拾い、自分の愚痴を効かせた結果・・・・・・
「アヤーナ」 ひとりの少女が起こした小さな奇跡の話。
「どんづまりの窮地」 土地の利権でもめていた男が、恨みを持つ者からある場所に閉じ込められ・・・・・・
「N」は、キング作品というよりは、サスペンス・ミステリとして、ありがちな題材のように感じられた。ミイラ取りがミイラになるというか、精神分析医が患者の境地にはまってゆくこととなる。
「魔性の猫」は、理由も意味もなく、何か怖い。何で猫が? と思いつつも、ネコの存在感が見事に不気味さを出している。
「ニューヨーク」は、9・11の事故にからめての作品であるのだが、時間をおいて死者と電話がつながってしまうという綺譚を描いた作品。ホラーというよりは感動系であるのだが、ありがちなように思えて、実はこういうネタはあまり見かけなかった気がする。
「ろうあ者」は、これまた「魔性の猫」のように理由なき不気味さが醸し出されている。何故? とか関係なしに、何かやってしまったというような恐ろしさ。
「アヤーナ」は、一見感動系の作品のようであるのだが、あえてきっちりとした結末を付けずにぼかしているような内容。キングの短編集ゆえに、このくらいの感じがちょうどよい。
「どんづまりの窮地」は、これこそがこの作品集のなかで随一。とにかく恐ろしく、とにかく息苦しく、とにかく不快。自分がこのような目に会ったらなどと、絶対に想像したくない。
<内容>
ハイスクールの英語教師ジェイク・エピングは、知人である“アルズ・ダイナー”の店主から、とある秘密を打ち明けられることに。それは、アルズ・ダイナーの店から、現在と過去を結ぶ“穴”が空いていると。店主のアルは実際にその穴を通って、なんども過去と現在を行ったり来たりしていた。そんなアルは病にかかり、自分の命が長くはないことを知る。そこでアルはジェイクにその穴の存在を知らせ、彼に一つの使命を託そうとする。それは、JFKの暗殺を防ぎ、歴史を変えることだと・・・・・・
<感想>
過去へ遡って、ケネディ大統領暗殺を阻止しようとする試みがなされる作品。キングの小説にしては珍しい基軸か。私は文庫本で読んだのだが、上巻は長いエピローグという形であり、いかにして過去へと遡るか、そしてそのルールは、というものについて描かれている。そして中巻からJFK暗殺阻止への長い準備が始まり、後半へと入り、事態は佳境を迎えることとなる。
全体的に内容は面白く、特に後半に入るほどページをめくる手が止められなくなっていった。うまく書かれた作品であると思う。ただ、いくつか不満に思える点もあった。
というのは、私がこの作品に期待したのは、どのような緻密な計画を立てて、JFK暗殺の阻止を試みるのかという点。この物語も実際に、そのような流れて途中までは展開していったと思われる。しかし、後半に入るにつれ、JFK暗殺阻止の話よりも主人公自身の人生における物語のほうが大きな存在を示すようになっていった。暗殺阻止という件に関しては、緻密な計画が必要で、より周囲と関わることなく不確定事項を少なくするべきだと思われるのだが、主人公はそれに反するように自分自身の人生の成功に夢中になってしまったように感じられる。
そして最後にとあるラストシーンを迎えるのだが、それが実に映画的な感じ。というか、このようなエンディングを迎えるのであれば、JFK暗殺というモチーフではなくても良かったのではと思ってしまう。これだけ長大な物語で読者を引っ張っておいて、このエンディングというのもなぁ、と。