<内容>
1947年1月5日、ロサンジェルス市内の空き地で若い女性の惨殺死体が発見される。胴体が真っ二つに切断され、中の臓器が取り去られているという奇妙で無残な状況であった。この事件はやがて“ブラック・ダリア”事件と呼ばれることになる。
ブラック・ダリア事件により人生を乱されることになる元ボクサーでロス市警に勤めるバッキー・ブライチャートとリー・ブランチャード。エリートコースを歩みながらも、この事件により道を外すこととなるブランチャード。そして、ブランチャードと拳を交えた仲であり、彼によって現在の地位に引き立てられたブライチャード。事件の果てに彼らが見出すこととなったものは・・・・・・
<感想>
再読の作品。再読したきっかけはマックス・アラン・コリンズ著「黒衣のダリア」という、同じく“ブラック・ダリア事件”を扱った作品を読み、読み比べてみようという試みから。しかし、「黒衣のダリア」を読んでから、かなり時間が空いてしまい、その試みは微妙なものとなってしまった。
久々に読み直した感想はというと、序盤は二人のボクサーの物語となっており、このへんの流れはエルロイらしくないような、ちょっといい話とも感じたりする。ただし、そのボクサー二人が警官として努めることになってからは、俄然エルロイらしさがましてくるものとなっている。というよりも、この「ブラック・ダリア」という作品をきっかけにエルロイ節が試行されつつあったのではなかろうか。
本書は“ブラック・ダリア事件”そのものを描いたというよりは、その事件によって狂わされた人々の様子を描いた作品という趣が強い。コリンズの「黒衣のダリア」のほうは極力無駄をはぶき事件に忠実に描いてるように思えたことから、フィクションにも関わらずドキュメンタリーのようにも感じられた。その一方でエルロイの「ブラック・ダリア」に関しては極めてノン・フィクション、物語的な要素が強くなっていると感じられた。
ただし、物語といっても従属のミステリのような小説ではなく、まさに暗黒史というにふさわしい、エルロイならではの世界が描かれているのが特徴といえるだろう。まさにこれはもう、エルロイの作品でしかないというようなものに仕上げられている。
あと、感想を付け加えるならば、後半はかなり冗長であったなと。後半はある程度話が片付きつつも、だらだらと続けられているという印象がぬぐえない。特に前半のほうは流れるようなペースで展開されていたために、より強く感じられたところであった。
なにはともあれ、エルロイの作品としては、これを抜きに語ることはできないので、ぜひとも興味のある人は一読してもらいたいところ。ただ、この作品でつまづいたとしても、後に出た「ビッグ・ノーウェア」や「LAコンフィデンシャル」のほうがはるかに読みやすくなっているので、続けて読んでもらいたい。
<内容>
異様きわまる侵入盗・・・・・・切り裂かれた衣服、惨殺された番犬。被害者は警察と癒着した大物麻薬密売人。上層部の命で捜査にあたる悪徳警官クラインは、全てを操る巨大な陰謀に翻弄され、破滅してゆく。
脈打つ暴力衝動、痙攣し暴走する妄執、絶望の淵で嗚咽する魂。ミステリ史に屹立する20世紀暗黒小説の金字塔。
<感想>
この「暗黒のLA四部作」のうち「ホワイト・ジャズ」の前の三編を読むと実に気になる男の名前が浮かぶことになる。その名はダドリー・スミス。全編に渡って登場人物たちが傷つき死んで行く中、一人だけ不死身の如く傷つかずに出世をしていくダドリー・スミス。「暗黒のLA四部作」ではこの男の不気味さが際立っている。そして今回はそのダドリー・スミスの全貌が明らかになってゆく。
サブリミナルかのように読者を酔わせ、そしてクラインが狂気に駆られてゆく様を書いたぶつ切りの文体。序盤ではわかりにくさが感じられるが、後半へ行き真実が明らかになってくると実に緻密さが浮き彫りにされる構成。全体が情報屋や関わった者たちの告白で先に進んで行くストーリーゆえ、ミステリー性は感じられないが確かに感じられる暗黒性。狂気に駆られる主人公に、自分だけがいい目を見て生き残ってやるという気持ちが全面にでている登場人物たち。そこには確かにエルロイの世界がある。
<内容>
「過去から」
「ディック・コンティーノ・ブルース」
「ハイ・ダークタウン」
「アクスミンスター 6-400」
「おまえを失ってから」
「甘い汁」
「センチメンタル・ナンバー」
<感想>
短編であってもエルロイ作品は変わることはない。エルロイは常にエルロイとして存在する。
「ディック・コンティーノ・ブルース」
これは小説というよりもドキュメント・・・・・・というおもむきでもないか。とにかく、人づてに聞いた話をエルロイが作品に書き下ろしたもののようである。作品中でこの短編だけ異色と感じられる。しかし、その世界はエルロイが描く世界そのものである。
よくよく読めば、とんでもない事を登場人物が話している。しかし、彼らはろくでもない事やとんでもない計画をありきたりなことであるかのように話す。事象の前にすでに世界が壊れている。
上記以外の作品はLA四部作の外伝といっていいだろう。
一番印象に残ったのは「アクスミンスター 6-400」。ラストがこの著者の作品にしてはなかなか爽快に感じられた。たまにはこんな終わり方もいいだろう。初期の作品にはハッピーエンド的なものもあったなぁ、などとつい思い返す。
あと、「おまえを失ってから」はLA四部作そのものであるといってもいいし、後日譚的なところも匂わせる。これは必読の一編か。
全体的に暴力が含まれて入るもののノワールというよりは、廃退さというものが色濃く出ているように感じられた。別にこれらがLA四部作の後始末というように書かれたわけではないのだろうが、続けて読んでいくとそのような感触を受けてしまう。
<内容>
FBIの特別捜査官ケンパー・ボイド。彼はFBI長官のフーヴァーからケネディ兄弟の動向を探るように命じられる。しかし上昇志向の強い彼はケネディとフーヴァーを両天秤にかけるかのような行動を取りつつ、自分の利益へとまい進する。
ハワード・ヒューズの用心棒で暗黒街の始末屋ピート・ボンデュラント。彼はヒューズの下で仕事をしているうちにケンパー・ボイドと親しくなり、そして・・・・・・
FBI捜査官のウォード・リテル。彼はケンパーに見出され、盗聴や強請の仕事を続けているうちに、徐々にその暗黒にのまれてゆき・・・・・・
三者三様の夢と欲望が入り乱れる中、アメリカは栄光と語られる時代へと進んでいく。そしてその先にあるケネディ暗殺の真実とその裏側の全てが今ここに語られる。
<感想>
エルロイの面白さを再認識させられる見事なできである。エンターテイメント・謀略物としての面白さに加え、史実入り乱れる“裏暗黒史”。この時代背景に詳しくない私にとっては本書こそが真のアメリカ近代史になってしまいそうなくらいのできばえである。
本書での主人公は三人。FBIの優秀な捜査官ボイド、暗黒街の仕事人ボンデュラント、そしてあまりパッとしないFBI捜査官リテル。物語の序盤では彼らの力関係と物語上のでの役割は明らかであるように見えた。物語りの最後まで、そのままの配置で進むのかと思っていたが、それが物語りの進行によって予想だにしない結びつきを見せたり、力関係が入れ替わったりする。この3人の主要人物のパワーバランスによる物語の創り方には見事だと感じられた。
後半になってくるといささか爆発力に欠けると思われる部分も見られた。ただし、それは“史実”という制約があるのでそれはしょうがないといえよう。
とはいえ、クライマックスにおけるケネディ暗殺へいたる道筋まで一気に読み通させるパワーがあることは確かである。
<内容>
「アメリカ文学界の魔犬」と呼ばれるこの作家を育んだのは、ありきたりの文学修行ではない。十歳のとき起きた陰惨な事件が、この稀有な才能の源となった。1958年6月22日−何者かに実母を殺害されたのだ。崩壊家庭で育ち、母を憎悪し、母を欲した少年は、心に暗いトラウマを抱え込み、狂いはじめる。犯罪、薬物、妄想−そして現在、地獄の底から生還し、アメリカを代表する作家となった男は、欲望と頽廃の街LAへ帰る・・・・・・母を殺した男を探すために。母の秘密を暴くために。母を愛するために。
本書はその全記録、母への狂おしい愛を刻みこんだ鎮魂の書である。
<内容>
「我が母なる暗黒」の元となったルポ「マイ・マザーズ・キラー」を始め、エッセイ、事件ルポ、LA四部作を補完する小説など、エルロイのこれまでの仕事をまとめた一冊。
<第一部 未解決事件>
「ボディ・ダンプ」
「マイ・マザーズ・キラー」
「グラマー・ジャングル」
<第二部 ゲッチェル>
「ハッシュハッシュ」
「ティファナ・モナムール」
<第三部 コンティーノ>
「過去から」
「ハリウッド・シェイクダウン」
<第四部 LA>
「セックス、虚飾、そして貪欲 O.J.シンプソンの誘惑」
「ブルドッグス」
「金ぴかの街のバッド・ボーイズ」
「レッツ・ツイスト・アゲイン」
<感想>
ジェイムズ・エルロイ作の“LA四部作”の補完的な意味合いの強い作品集といったところか。ゆえに、エルロイのファンであれば読みがいはあると思えるのだが、そうでない人がこれを読んでもピンとこないであろう。
というわけで、犯罪のノンフィクション小説やエッセイなどが書かれているためか、小説というよりは資料というような印象が残った。その中であえて挙げるとすれば、ディック・コンティーノという人物の伝記小説仕立てになっている「ハリウッド・シェイクダウン」あたりが普通に面白かったくらいか。
またO.J.シンプソン事件に触れているエッセイもなかなか面白く読めた。ただし、これはあくまでもO.J.シンプソン事件を知っているという上での、事件の背景を書いたもので、事件自体についてはさほど触れていない(アメリカ人であれば知っていて当然という事なのであろう)。
というわけで、エルロイのファンであるとか、近代犯罪史に興味のある人は一読してみてはいかがであろうか。
<内容>
JFKが暗殺された! 犯人はオズワルドという男。しかし、真の犯人は別にいた。真相を知る者たちは、真相を隠すために暗躍する。黒人のヒモを殺すためにダラスに送り込まれたラスヴェガスの刑事ウェイン・テッドロー・ジュニア、元FBI局員で今はハワード・ヒューズのために働く弁護士ウォード・リテル、ヒューズお抱えの殺し屋ピート・ボンデュラント。3人の男達が、JFK暗殺から、ベトナム戦争、キューバ危機、キング牧師の活躍の陰で、国家の陰謀とともに暗躍する。
<感想>
簡単に言ってしまえば、JFKからキング牧師まで、または、ケネディからケネディまでという具合。そうした、歴史上の動きのなかで暗躍する人物達の様相が描かれている。私のようにアメリカ史に無知なものは、思わずこれが正史かと信じてしまいそうな危険性がある作品。
ただ、あまりにも裏側過ぎるところが難点。物語の始めの、ケネディ暗殺から始まるところまではよいのだが、そこからは徐々に歴史の裏へ裏へと突入していくこととなる。表では、ベトナム戦争やキューバ危機などといったことが関連しているようなのだが、史実をよくしらないので、どうにもイメージがわきにくかった。もし、アメリカ史に詳しければ、よりいっそう楽しめる作品ではないだろうか。
また、前作「アメリカン・ダブロイド」から時系列が続いており、同じ登場人物も複数登場している。当然のことながら、歴史的時効においては時系列順に書かれているので、続けて読むのが乙であろう。
しかし、不思議に思えるのは、よくこれが発禁にならないなということ。あまりにも白人社会を強調しすぎる感がある(というよりも、それは確信犯的に行っているのだろうが)ように思える。日本文化や日本の歴史を、ここまで偏った表現で書いたら問題になりそうなのであるが、そこは自由の国ということなのだろうか。アメリカ本国でエルロイの影響というのは、どのくらいのものなのだろうか。
<内容>
「ハリウッドのファック小屋」
「押し込み強姦魔」
「ジャングルタウンのジハード」
<感想>
エルロイ節もここまでくれば、もはや暗号のようにさえ感じられてしまう。
と、言いたくなるほど、あいかわらずの筆舌ぶりは今でも変わらず絶好調のようである。ただし、この作品から初めてエルロイを読むというのには無理があるかもしれない。是非とも初期のエルロイの本から順番に読んでいってもらいたい。
とはいえ、エルロイの短編集にしては珍しく、この作品はシリーズものとなっており、三作品に登場する主人公や主要人物は変わらないので取っ付きやすい作品であった。最初は暗号のように思えた文章も、その文体や登場人物らに慣れてくるに従って、だんだんと馴染み深くなってくるのだから恐ろしい限りである。
作品としての内容はどうかといえば、従来のエルロイ作品に変わりはない。ただし、あくまでも短編であるので奥行きの深さは感じられなかった。よって、単にエルロイ文体のマシンガンがただ炸裂し続ける作品という印象が強かった。
最近、私個人としてはエルロイの短編ばかり読んでいる気がしているので、そろそろ長編を読みたいところ。まだ「アメリカン・デス・トリップ」が文庫化されていないので、そちらを待つか、もしくはもうそろそろ長編の新作が出てもいい頃だと思うのだが、どうなっているのだろうか?