<内容>
多くの女性が働くブティックにおいて、ある日突然仕入れ部主任の女性が倒れ病院に運ばれるものの死亡してしまう。帽子のクリーニングのために使われた、毒性のある蓚酸が原因なのか!? 互いの利害が絡んだ複雑な人間関係のなかで警察は犯人を捕らえることができるのか?
<感想>
これがブランドの処女作品であるが私が読んだ作品としては5作目にあたる。ブランドの作品というと、途中までは何がなんだかわからないけれども、全てが明らかになったときにはパズルの欠けていたパーツが当てはまるように、これしかないという解決に着地するという印象を持っている。しかし残念ながら本書はそこまでのレベルには達していなかったようである。
読んでいて思ったことは、警察の捜査の過程がいい加減に思えたこと。方針がはっきりしていなく、しかも間違った捜査をしているというような思いにかられ、苛立ちさえも感じながら読んでいた。そういう面が本書のマイナス部分となり、あまりいい印象を持つことができなかった。それでもラストにはそれなりの解決に落ち着くのだが、これが最善というような爽快さを得るにはいたらなかった。
どちらかというと、本書は推理小説というよりはサスペンス、もしくはドタバタ劇と言った内容になっている。女性の“サガ”というものを書き表した作品というようにも見受けられた。
<内容>
ビジョンスフォード山荘付近で、その山荘によく絵を描きに来ていた老嬢が殺害されているのが発見された。何故か、首を切り落とされたうえに、山荘に住むフランセスカ・ハートが購入したばかりの帽子がかぶせられていた。何故、老嬢は殺されなければならなかったのか!? コックリル警部による捜査が開始されたが、さらなる首切り殺人事件が起こることとなり・・・・・・
<感想>
クリスチアナ・ブランドの作品でありシリーズキャラクターであるコックリル警部が登場するも、いまいち活躍しきれていなかったような・・・・・・
死体の首が切り落とされるという事件が連続で起こり、最初の死体には山荘に住む者の帽子がのせられていたりと、不可解な様相。何故、このような事件が起きたのか? そして誰が成しえたというのか? 警察によるアリバイ捜査が行われる・・・・・・と、見どころの多い内容。
と、事件要素に関しては見どころが多いと思われたのであるが、肝心の真相はというと、あまり見るべきものがなかったような。真相が明らかにされる際のどんでん返しもあまり決まっていたとは思えず、なんとも、もやもやしたような感触が残る。また、首切りなどの意味合いに関しても微妙なような。なんとなく、未だ文庫化されていないということを、納得してしまうような作品。
<内容>
ヘロンズ・パーク陸軍病院に郵便配達人のヒギンズが運ばれてきた。簡単な手術で終わると思われたものの、手術中とつぜんヒギンズは喘ぎだし、あえなく死亡する。何故ヒギンズが死亡したのか理由がわからず、病院の職員達は恐慌におちいる。そんななか、1人の看護婦が自分は秘密を知っていると言い出すのだが・・・・・・
<感想>
ミステリーを描きながらも、その中にからむ男女の関係をもまざまざと描ききった作品といえよう。
本書のなかで殺人事件が起き、数少ない容疑者が絞り込まれる。しかしその行動状況はあいまいに感じられ、たとえ誰が犯人であってもおかしくないように感じられる。しかし、そこで看護婦が何故驚いたのか? また看護婦が何故手術衣を着ていたのか? という点から論理的に犯人を絞り込んでいくという手法には感心させられる。
その犯人を絞るポイントとしては弱いようにも感じられるのだが、そこからストーリーと登場人物らの人間関係をも用いて一気にラストへと流れ込んでいく展開には目が離せなくなる。全体的なバランスがうまくとれている作品。
<内容>
白鳥の湖邸と呼ばれる豪邸で、もはや恒例となる大富豪サー・リチャードの亡くなった先妻を偲ぶパーティーが開かれようとしていた。いつものように集まるサー・リチャードの孫たち。和気あいあいとしたなかでパーティーが開かれていたものの、サー・リチャードがちょっとしたことから、遺言の内容を変えると言い出したことにより不穏な空気が漂い始める。そして、次の日、死体となってサー・リチャードが発見されることとなる。コックリル警部が捜査にあたることとなったのだが・・・・・・
<感想>
全体的になんとなく、わちゃわちゃした作品という感じ。雰囲気としては楽し気な感じであるにもかかわらず、殺人事件が起きてしまう。遺産を巡る殺人事件というのはありきたりであるが、登場人物全員が結構仲が良く、殺人など起こりそうもない雰囲気であったので、なんとなく違和感があった。
そして事件捜査となるのだが、初期作品におけるコックリル警部の存在感の薄いこと、薄いこと。今までブランドの作品を数作読んでいるので、コックリル警部が主要なキャラクターと分かっているのだが、それを知らなけらば、たいした登場人物ではないと流してしまいそうなほど。
あと、最終的な事件解決においても、ブランド作品でありがちなのだが、なんとなく誰が犯人でも良かったのではないかと。ただ、動機に関しては、確かにこの人物くらいしか大きな理由を持つ者はいなかったかなとも感じられた。あと、最後に真相が明かされるちょっとしたトリックが何気にまぶしてあるのが心憎いとも言えなくもない。
この前に書かれたブランドの作品でハヤカワミステリから出ている「切られた首」を読んだときにも感じたのだが、どうも〝気が狂っているから”犯行におよぶという考え方がやけに強いなと。この辺は、時代によるものなのであろうか。そうした描写があるから「切られた首」も「自宅にて急逝」も文庫化されなかったのかなと。
<内容>
舞台の幕が緊迫の中で上がろうとしていた。それはこの舞台が始まる前に過去の事件にまつわる脅迫状が出演者ら三人に届いていたのだ。請われて劇に訪れたコックリル警部が見守るなか、衆人監視のなか、殺人事件が起こる。主演の女優ジェゼベルことイザベルが突然、塔の窓から舞台へと落下した! さらには脅迫状を受け取った者達が次々と・・・・・・
<感想>
衆人監視のなかでの舞台における殺人トリック。
演劇の最中に殺人事件が起こり、舞台上の登場人物配置、そして鍵にて閉ざされていた殺人現場、これらの要素によって犯人探しは混迷をきわめていく。舞台上ではちょうど11人の騎士が出てくる場面。よって、誰が本当にどの騎士を演じていたのかということがわからない。こうした様相のなかでの殺人事件の犯人を指摘しなければならない・・・・・・のだが、主要な登場人物らがどこで何をしていたかというのがとてもわかりづらい。このへんはもう少し整理をしてもらいたかったところ。そうでなければ、結局のところ誰が犯人であっても別におかしくないという状況におちいってしまう。
後半は次から次へと登場人物らが自ら犯人を名乗り、推理によって徐々に消去されていく。そして段々と絞り込まれていくような、いかないような状況の中、最後の最後にて犯人がつかまる。全体的にいまいち決め手にかけたという印象。ただ、この物語の中でのとあるトリックについては、なるほどといったところ。
本書の一番の見所は後半部分の次から次へと容疑者が入れ替わり立ち代りになるドンデン返しの部分であろう。この部分に著者の推理小説たるこだわりというものを垣間見た気がする。
<内容>
霧の街ロンドン。エヴァンス家が未婚の娘ロウジーの妊娠騒動で揺れる中、マチルダの元恋人のフランス人・ラウールがエヴァンス家を訪れる。その日、家の2階に住む祖母のエヴァンス以外は出かけていてマチルダが単身ラウールを家に迎え入れた。そしてマチルダが祖母の面倒を見に2階に上がった隙にラウールが何者かに殺害されていたのだった! また、殺害される直前にラウールは近隣に住む医師エドワーズに電話をかけ、その電話をロウジーがとっていたということは判明した。警察はその家の主人である医師でアリバイのないトーマス・エヴァンズを殺人容疑の罪でとらえるのであったがはたして真相は?
<感想>
絶妙な効果を狙ったミステリーという言い方が合う作品であると思う。ネタとしては一人の男が殺され、それを誰がどのような方法でどういうタイミングで殺害したのかということのみ。最後まで読んでみても、はっきり言って犯行は誰の手でもどのようにしても行えたのではないかという疑問はぬぐえなかった。しかし、作品のなかで最終的に犯人にたどり着くまでの道筋を物語後半の法廷場面を用いて表現するという方法にはなかなか心憎いものが感じられた。
通常、ブランドの長編というと登場人物らがバカ騒ぎを繰り広げながら真相が解決されてゆくというものが多い。本書もそれらに負けず劣らずそうなのであるが、そこに法廷というものを持ち込み、うまく流れに沿わせた形にして真相へとたどり着くように書かれている。ただし、最後の最後まで物語りは混乱し続けるのであるが、ラストの場面が打って変わったような静けさに包まれており、突異なる場所へ足を踏み入れたかのような感覚に陥らされる。この辺は、物語にうまくメリハリをつけたなと感心してしまった。また、犯人は誰でもおかしくないと前述したが、最後の一文によるセリフがその欠点をうまく補っていると痛感させられた。その最後の一文を是非とも存分に味わってもらいたい作品である。
<内容>
スコットランド・ヤードの警部コックリルは休暇をすごすため、イタリア周遊ツアーに参加した。そのツアー参加客の男女の間にて、それぞれの思惑がひしめきあうなか殺人事件が発生する。しかし、その容疑者と思われるものたちは、犯行時刻にコックリルが見渡す砂浜にて全員の姿が見られたのだが・・・・・・。いったい犯人はいつ、どうやって犯行を? そしてその動機とは。
<感想>
この作品でこの著者の長編を読むのは3作目であるが、基本的に1つの事件を、ああでもないこうでもないとこねくり回すのが好きな作家であるらしい。そして事件に必ずロマンスを持ち込むというのも特徴か。
最初は登場人物の女性陣の区別がなかなかつけられず苦労した(登場人物の数はそれほど多くないのだが)。事件が起こり、検証が進むに連れて徐々に慣れてきはしたが、呼び名がいくつもあるというのは本当にややこしい(海外の作品はたいていそうなのだが)。
しかし、そういったものを差し置いて事件の解決はなかなか見事なものであった。不可能犯罪ゆえに、どのように考えても犯行を行える者はいなさそうなのだが、それを見事に解決している。しかも、いきなりストレートな解決ではなく、あれこれと趣向をこらしてからのラストへの展開はすばらしい。まさにこれしかないという解答であると思う。ただ、全体的にやはり冗長であると感じられた。もう少し短くても充分。
<内容>
女優エステラ・ドゥヴィーニュは、友人で彼女の秘書でもあるバニーの力を借りて、傷害のある娘との生活をエッセイで描き、それにより人気を得て有名女優の座を射止めた。障害のある娘は、田舎町に住む友人夫婦にあずけ、女優としての生活をしていたエステラであったが、そんな彼女の元に出所した夫が娘に会いたいと迫ってくる。夫はギャングで収監されていたのだが、心臓病により特赦で出所することとなったのだ。病弱な娘が粗暴な夫に会ったらショックを受けると思い、なんとか合わせないようにしようとするものの、夫は部下を連れてアメリカからやって来て強引に娘に会おうとする。そして、再会を果たすこととなった時、思わぬ事件が起こることとなり・・・・・・
<感想>
なんとなく冗談みたいな小説。全編にわたる物語が壮大な冗談のように思えてしまう。殺人事件が起こるにも関わらず、全編コメディー風の作品のような印象が残る。
障害のある娘をモチーフとしたエッセイを題材にして、女優として活躍するステラとその秘書バニー。女優として活躍し続ける彼女の元に、娘の父親であるギャングの夫が再会を求めてやってくる。心臓病を理由に刑務所から出所することができ、一度娘に会いたいとアメリカからわざわざやってくるのである。ただ、ステラとバニーは娘に会わせまいと、さまざまな策を弄して夫を娘から遠ざける。しかし、それも時間の問題でとうとう娘に・・・・・・という内容。そこから事件が起き、物語は急展開する。
最初から最後までドタバタ劇が続いてゆく。部分的にあいまいとなっているところあるのだが、そこに秘密が隠され、最終的な真相とその真相が明らかになってからの展開が気になるところである。何が真実で何が虚実なのかがポイントとなり、そこに惹き込まれ物語を読み通していくこととなる。
真面目なミステリ作品であるはずなのだが、何故かドタバタコメディに思えてしまった作品。ユーモアミステリともとれるようなのだが、果たして作者がそれを意図して書いたのかどうかはわからない。底の浅いミステリと言っては失礼かもしれないので、軽く手軽に読めるサスペンスミステリというくらいにとどめておきたい。
<内容>
元映画女優のサリーはかつて自分が主演していた映画を見に行った帰り道、自分が何者かに付けられていることに気がつく。なんとかその車をやり過ごして帰ろうとしたとき、帰り道が大木によってふさがれているのを目の当たりにする。すると、ちょうどそのとき、木の反対側で立ち往生している男がいたので、その男と車を(なんと同じ種類の車であった!)取り替えて、互いの連絡先を伝えて家に帰ることにした。
そして次の日・・・・・・サリーは自分が乗って帰ってきた車の後部座席に死体が置かれているのを発見することに!!
<感想>
物語が始められる前に9人の登場人物が提示され、この中に被害者と犯人がいると書かれている。ということで、犯人当てを強調するような、内容の濃い本格推理小説かと思ったのだが、実際に読んでみるとそうでもなかったと感じられた。
問われる“事件”というものは最初に起きた車の中で発見された死体の事件ひとつだけ。あとは、ひたすら元女優であるサリーを巡る物語が延々と語られている。
本書はミステリーというよりは、サリーという情緒不安定ながらも人を惹き付けて止まない、まさに“女優”という名に相応しい女性の物語を描いた作品と言えよう。タイトルである“暗闇の薔薇”というのは、事件の中に出てくる証拠品としての薔薇という意味よりも、このサリーという女性を象徴しての“暗闇の薔薇”ということなのであろう。
本格推理小説というよりも、サスペンスチックにひとりの女優の奇怪な生涯が描かれている作品として読んでみてはいかがか。
<内容>
ヒルボーン家に生まれたものは奇病に取りつかれるという噂が長きにわたって伝えられていた。実際過去に、ヒルボーン家の人々が狂い、早死にしていくということは近隣に知れ渡っていた。双子の美しい姉妹、クリスティーンとリネスもその奇病に取りつかれることになるというのか。新しい家庭教師テターマンの存在により、ヒルボーン家に光が差したと思いきや、代々に伝わる呪いが姉妹のもとに忍び寄り・・・・・・
<感想>
クリスチアナ・ブランド最後の小説であり、東京創元社創立60周年記念ということで出版された作品。ただ、内容はミステリというところまでいかず、ゴシック小説と言われる分類に属するよう。1840年のとある領主館を描いた小説。といっても、単なる擬似歴史小説的なものでもなく、超自然的現象が介在する内容となっている。
ミステリ作品ではなかったので、個人的には受け入れづらかった。後半へ行くと、物語が大きく動いて読みやすくなるのだが、前半はやや退屈とも感じられた。内容は、とある館に秘められた呪いの様相を描いたもの。その“呪い”というものがどのようなものなのかが徐々に正体を現し、その呪いにより領主館の直系である双子の姉妹や、彼女らを取り巻く者たちを絶望へと落とし込んでいくこととなる。
そうして後半になり、とある人物がその呪いに対抗しようと、ある行動を起こすこととなる。この様相が女の愛憎を非常にうまく描いており、こういった内容の作品が好きだという人にはたまらないものかもしれない。ミステリ作品として手に取るというよりも、女の愛憎劇を描いたサスペンス的なものを読みたいという人にお薦めかも。読み手を選ぶ作品ではあるかもしれないが、良く出来た小説であるという事は確かである。
<内容>
【第一部 コックリル・カクテル】
「事件のあとに」 「血兄弟」 「婚姻飛翔」 「カップの中の毒」
【第二部 アントレ】
「ジェミニー・クリケット事件」 「スケープゴート」 「もう山査子摘みもおしまい」
【第三部 口なおしの一品】
「スコットランドの姪」
【第四部 プチ・フール】
「ジャケット」 「メリーゴーラウンド」 「目 撃」 「バルコニーからの眺め」
【第五部 ブラック・コーヒー】
「この家に祝福あれ」 「ごくふつうの男」 「囁 き」 「神の御業」
<感想>
再読、三度目ぐらいになるであろうか。今度こそ、きちんと内容を忘れないように噛みしめながら再読。確かに何度読んでも面白い。味のあるサスペンス・ミステリ作品集である。後半に行くにつれて小粒になるという欠点はあるものの、料理のコースメニューに例えてうまく並べられている。
“第一部 コックリル・カクテル”はその名の通り、コックリル警部が活躍する短編が掲載されている。なかでも演劇の雰囲気がふんだんに醸し出されている「事件のあとに」がブランドらしい作品と言えよう。他の作品もそれぞれ、想像の斜め上を行く悪意がたまらない。
“第二部 アントレ”がなんといってもこの作品集のメインディッシュ。「ジェイミー・クリケット事件」は歴史に残る名作。密室を取り扱ったミステリとしても素晴らしいし、結末の付け方も印象的。ちなみにこちらはイギリス版と言われているものなのだが、結末の内容を少し変えたアメリカ版もある。個人的にはアメリカ版のほうが味わい深い(「北村薫の本格ミステリ・ライブラリー」に収録)。
そして「スケープゴート」のほうもある種の密室殺人事件と言えるのであるが、トリックよりも話の流れの方が興味深い作品。「もう山査子〜」のほうは、この作品だけ読めば、“えっ”で終わってしまいそうなのだが、これら作品集のなかにあると、それなりに味わい深く感じられてしまう。
第三部の「スコットランドの姪」はまさに口直しの作品。悪意にあふれるブランドのサスペンス・ミステリのなかで、ユーモアにより“ほっ”とさせられる泥棒物語。
第四部と第五部は短めの短編作品がそれぞれ掲載。予想を上回る結末が付けられているそれぞれの作品には脱帽するばかり。「ジャケット」という作品は、皮肉までもが利いていてすばらしい。第五部に掲載されている短編はややホラー調とも言える内容。まさに、ブラックコーヒーを最後にのまされることにより、舌に残る濃い味わいの余韻にひたりながら本を閉じることとなる。
<内容>
「コックリル警部」
「最後の短編」
「遠い親戚」
「ロッキング・チェア」
「屋根の上の男」
「アレバイ」
「ぶち猫」(戯曲)
<感想>
“ぶち猫”というタイトルからして、ライト系の色ものかなと勝手に思い込んでいて、読むのを先送りしていた。読んでみると、きちんとしたミステリ短編集であることがわかり、積読にしていたことを後悔させられた。
本書は副題のとおり、コックリル警部が登場する短編を集めた作品集。といいつつも、今までブランドの作品を数冊読んでいるにもかかわらず、このコックリル警部という人物について何の印象も持っていないどころか、覚えてすらいなかった。それくらい地味なキャラクターなんだよな(この短編集を読んだ後でもそう思える)。
「コックリル警部」はタイトルの通り、警部の紹介のみ。
「最後の短編」では電話を使用したトリックが使われている。現在では当たり前の話であるが、ひょっとするとこれが最初に使われた作品なのかもしれない。
「遠い親戚」は遺産を巡る殺人事件が扱われている。ホラー・サスペンスといってもよいような内容。
「ロッキング・チェア」は過去に起きた身元不明の女性死体を巡る物語。まさに女性が描くサスペンス作品。
「屋根の上の男」は新米の巡査が発見した密室殺人事件を描いた作品。トリックよりも物語として味がある。
「アレバイ」はショートショートであるが、皮肉が効いた鋭い作品と言えなくもない。
「ぶち猫」は戯曲になっており、この作品だけで本書のほぼ半分を占める分量。一癖二癖ある登場人物たちによる毒殺事件が扱われているのだが、予想だにさせない展開により読者を惹きつける内容になっている。ちなみにタイトルの“ぶち猫”とはコップに付いた模様のことである。
といった作品が集められているのだが、心理的なものを扱ったサスペンス小説が多かったという印象。そうした中、よくよく見返してみると主要人物であるはずのコックリル警部自身が、必ずしも事件を解決しているわけではないことに気づかされる。むしろ、他の強烈な印象の登場人物にくわれてしまっていることが多かったりする。そんなわけで、“コックリル警部の事件簿”という気はしないものの、サスペンス・ミステリ小説としては十分味のある作品集としてできていることは間違いない。