探偵物語

 横浜市石川町の元町といえば、ちょっとおしゃれな若い子たちやおしゃれなお店も多い街として有名だが、そんな元町を歩くには異色としか言いようがない男が歩いていた。
 190cm近い長身で痩躯。それだけでも人目を引きそうなモノだが、更に黒のスーツに赤いYシャツ青のネクタイ、黒いソフト帽を被りレイバンのサングラスをかけている。これで髪がアフロヘアーだったりしたら、二昔前のギャング映画か探偵ドラマかなんかに出てきそうなほど異彩を放った格好である。
 そんな男が毛並みの良いかわいい猫を抱いて歩いているのだから、通りすがりの人間は、彼を見るとひそひそと話したり、吹き出したりしているが、当の本人はそんな世間の反応など気にした風でもない。
 この二昔前の探偵ドラマから出てきたような出で立ちの男の名前は、工藤優作。冗談みたいな本名だが、かの名俳優、故・松田優作をこよなく愛する父親がつけた名前を、彼自身もいたく気に入っている。
 横浜中華街の関帝廟通りをちょっと離れた通りの更に奥の方にある古い雑居ビルの一室で探偵家業をしているが、探偵と言うよりは便利屋といったほうがいい。事務所を構えてからの仕事と言えば、調査依頼とかよりも、交渉事や雑用の手伝いなどが主なものである。今だって、近所にある上海料理店のおばさんからの依頼で、行方不明になった猫を探してくれというものだった。この猫、わざわざ元町まで出奔して逢い引きしているらしく、猫探しはこれで5度目だったりする。いまや、猫がどこら辺で逢い引きしているかだいたい想像がつくようになったのが、正直言ってちょっと情けない。だが、おかげで、おばさんと懇意になり、食事関係の面倒を見てもらえるようになった。空きっ腹を抱えて何日も過ごすということをしなくて済むようになったのは、ありがたいと思っている。
 そして、今日も家出常習犯の猫を抱え、おばさんの店に戻ろうとしたとき、優作の視界に止まったものがあった。
 大きなスポーツバッグをイス代わりにして座り込んでいる女の子だ。
 つり目がちで大きな瞳が印象的で、小さく愛らしいが、魅惑的な唇。豊かな碧の黒髪は、無造作ながら首の辺りまでの短さに切ってあり、首筋に現れた白い肌がちょっぴり悩ましげである。暖色系のチェック柄のシャツとGパンの取り合わせの、ボーイッシュな格好が中性的な魅力を漂わせていた。
 大人っぽい女性がタイプである優作の好みとかけ離れてはいたが、何となく心に引っかかるモノを感じた優作は、自分でも気が付かないうちに女の子のほうへと足を向けていた。
「よお、どしたの彼女? 待ち合わせすっぽかされでもしたか? それとも迷子? 派出所まで案内しようか?」
 口の端をゆがめたにやついた笑みを浮かべて、優作は女の子に声をかけた。
 優作に早口でまくし立てられ、女の子は最初大きな目を見開いてきょとんとしていたが、すぐにむっとした表情を浮かべて立ち上がり、顔を近づけてきた優作の横っ面を思い切りひっぱたいた。
 突然のことに、今度は優作が面食らった表情を浮かべていた。そこへ四方数キロあたりに聞こえそうな大声で、女の子は怒鳴りつけた。
「馬鹿! オレは男だっ!」
 ひっぱたいて、怒鳴って、それでもまだ怒りが収まらない様子の<彼>は、荷物を肩にかけて立ち上がると頬を膨らませたまま中華街方面へと大股で歩き去っていった。
 優作は叩かれたほうの頬に手を当てたまま、呆然と<彼>を見送った。
「おとこ? ……おとこ、ねぇ」
 呆けたように言葉を繰り返す優作の手中で、猫がひとつあくびをして、
「な〜ご」
 と、小馬鹿にした泣き声をひとつあげた。



 上海料理店「茉莉花楼」は、猫のご主人である陳おばさんの店である。
 夕食の仕込みで殺気立っている厨房の勝手口を優作はそっと開け、陳おばさんを手招きで呼んだ。
「あらー! アンドリューちゃん、やっと帰ってきたのぉ。ママ、心配していたのよぉ。ホント、もう2度と家出なんかしないでねぇ」
 人のいい顔をした太めの中年女性が、文字通りの猫なで声で愛猫をぎゅうっと抱きしめ、頬ずりを繰り返す。至極迷惑そうな猫を見ながら優作は、近いうちにまた猫探しをする羽目になるな、などとぼんやり考えていた。やがて、側に突っ立っていた優作のことを思いだした陳おばさんは、猫を空いている段ボール箱の中に入れて、優作の手を取りお礼を述べた。
「いっつもありがとネ、工藤くん。お礼しなきゃなんないんだけど、今、ウチ立て込んでいるから。もう少ししたら、ご飯食べにおいで?おいしい小龍包用意しておくから、ね?」
「や、これはいつも申し訳ない。では、また後ほどお邪魔します」
 隙あらば優作に抱きついてキスまでしかねない勢いの陳おばさんを何とかやり過ごし、優作は足早にその場を去ろうとしたとき、陳おばさんが何かを思いだしたように話し始めた。
「あ、そうそう。お昼に事務所にいったらね、工藤くんの留守中にお客さんきてたわよ」
「客?」
 優作はその言葉にピタっと足を止めた。
「うん。何か、すっごく身なりのいい中年のビジネスマンってカンジの男の人。おっきい男と一緒でさ。何でもお願いがあるとかいってたけど、留守だって言ったら、また連絡するって。それでねって……、工藤くん?」
 陳おばさんの話の途中で、優作は大急ぎで事務所へと走っていった。
「ちょっと工藤くん!」
「ありがとう、おばちゃん! また後でメシ食いに来るから!」
 そう言って陳おばさんに手を振って応えると、優作は更に足を早めて角を曲がった。
「あ〜あ。行っちゃった。工藤くんもせっかちねぇ。アンドリューちゃんも、そう思わない?」
 あわてふためいて事務所へ走る優作の後ろ姿を、陳おばさんは呆れ顔で見送り、愛猫にぽつりと漏らした。
「な〜お」
 まるで同意するかのように、アンドリューが一鳴きしてみせた。



 複雑に入り組んだ路地にある雑居ビルの階段を一階分上がると、そこには<工藤探偵事務所  代表 工藤優作 TEL045-***-****>と書かれた名刺が、看板代わりにセロテープで張ってあるだけのドアがある。ここが工藤探偵事務所のオフィス兼住居だ。
 優作はズボンのポケットから鍵を取り出し、急いでドアを開けるが、当然、事務所の中には誰もいない。
「そりゃそーか。オレ、今、帰ってきたばっかりだもんな」
 優作は一人そう呟くと、Yシャツの胸ポケットからショートホープとジッポライターを取り出し、煙草に火をつける。1本分の煙草を煙と灰に変換する作業を終えると、少し落ちついてきたらしい。煙草の火を消し、再び事務所のドアを開け、外に出る。
 ビルの入り口にある郵便受けを開けると、多数の請求書に混じって、大きくてずっしりと重い茶封筒がひとつ。茶封筒には、<工藤優作様>と丁寧な毛筆で書かれているだけで、差出人を明記してあるものは何もない。不審に思って、優作は茶封筒に耳を当てるが、別にコチコチとか機械的な音がするわけでもなく、サングラスを外して封筒の表面を観察してみても、白い粉がついているわけでもなかった。一通り茶封筒の安全性を確かめた優作は、他の有り難くない郵便物と一緒に事務所に持って帰った。
 事務所に戻った優作は、背広を脱ぐとその辺に放り投げ、ベッド代わりのソファーにどかっと腰を下ろし、テーブルの上に足を投げ出した。ソファーの上に無造作に転がっていた青島ビールの瓶を手に取ると、器用というか力ずくというか、見事に手でビール瓶の蓋を開けた。生ぬるいビールの苦みを喉で味わうと、テーブルの上に置いた例の茶封筒を手に取り、封を切る。中には手紙と写真、それとまた茶封筒。今度は、小さいが結構厚い。優作はソファーの背もたれに身を任し、まずは手紙を読み始めた。
< 工藤優作様
 本日昼前に、事務所にお邪魔しましたが生憎とお留守でしたので、まずは手紙にて失礼いたします。
 実は、お忙しいところ大変恐縮なのですが、人捜しを依頼したいと思いまして、お訪ねした次第です。
 依頼を単刀直入に申しますと、同封の写真の少年を探して欲しいのです。写真の少年の名前は黄悠人。母親の姓の相木を名乗っている可能性もあります。彼は私の甥で、兄である彼の父親が他界してからは、私にとって唯一の血族です。兄が亡くなってから、何を思ったか悠人は家出してしまい、友達のところを転々としていたみたいですが、消息がまったくつかめなくなってしまいました。
 そこで工藤様にお願いがあります。甥を捜して、私のところへ連れ戻してきて欲しいのです。
 なお、この仕事の条件としてもうひとつ。私は一ヶ月後に中国本土の本社に転勤になるため、それまでに仕事を終わらせて欲しいと思っております。
 再度こちらより連絡させていただきますので、詳しい話はそのときにでも。
 悠人に関することと、写真、それと必要経費を同封しておきます。
 それでは、よろしくお願いいたします。

                          黄仲正>

 手紙を読み終わった優作は、むずかしい顔をしてひとり呟いた。
「黄仲正。黄仲正、ねぇ。どっかで聞いたことのある名前なんだが」
 ソファーから立ち上がり、腕を組んで動物園の猿のようにうろうろと事務所をうろつきまわったが、ひっかかるものはあっても、結局思い出せなかった。
 次に、必要経費に使ってくれと書いてあったお金が入っていると思われる茶封筒の封を開けた。
 中を取り出して優作はぎょっとした。
 福沢諭吉さんの団体が、<横浜銀行>と判の押してある帯をしたまま束となっていたのだ。中をばらした形跡は全くない。
「必要経費って……これが? 必要経費だけでこんなもらっていいのか? おい」
 おそらくは生まれて初めて見たかもしれない、百万円の束を前に、優作は少なからず動揺してしまった。探偵事務所を開いて早幾年月。成功報酬とあわせたって、これだけのお金をもらったことはない。
 自分が浮かれているような困惑しているようなで、とにかく落ち着かなくなった優作は、これ以上ものを考えている気になれなかったので、今度は甥っ子のデータと写真を見ることにした。ショートホープを口にくわえ、火をつけようとしたところで、思わず優作の手が止まった。
「ああん?」
 間抜けな声をあげた途端、口の端からショートホープが床に落ちたが、それにすら気づいた様子がない。写真の少年の顔をまじまじと見る。慌てて他数枚同封されていた写真を見比べたが、確かにこの顔に間違えはなかった。
 昼間、石川駅付近で優作の横っ面をひっぱたいた張本人の顔に。
「マジかよ……」
 顔に手を当て、優作は天を仰いだ。
 この事実に、さっきの百万円のショックなど、あっさり引っ込んでしまった。
 そのとき、事務所の電話が、けたたましく鳴り響いた。今時探してもないと思われる黒電話の着信ベルは、放心状態の心臓にはとても悪い。優作も自分で使っていながらも、心臓が口から飛び出る思いだった。あわてて電話に出ようと駆け出すと、先程飲み干して床に放り投げていたビール瓶を踏んづけ、受け身を取るヒマもなく大転倒した。それでも電話のベルは鳴り響く。優作はようやく電話を取ることができた。
「はい。工藤探偵事務所」
 転んだことで、少し気を持ち直した優作は、落ち着いた声で電話に出ることができた。しかし、したたか腰を打ったので、顔をゆがめて腰をさすってはいたが。
『工藤優作さんですね? 昼間うかがったものですが、郵便受けに入れた封筒を見てもらえましたか?」
 電話の主の声は、物腰の静かな、品の良い男性の声だった。
「あ、はいはい。その節は、留守にしておりまして、申し訳なかったです。お手紙のほうは読ませていただきました。写真の甥御さんを探して欲しいということでしたが」
『はい、そうです。電話では何なので、直にあってお話したいと思うのですが、今からでもよろしいですか?』
「構いませんよ。どこで待ち合わせますか?」
『そうですね。そちらからはちょっと遠いですが、パンパシフィックホテル横浜まで出られますか?』
「ええ。大丈夫です」
『それでは、2Fにある<バー ジャックス>にてお待ちしております。工藤さんの目印として、お渡ししてある茶封筒を持ってきていただけますか?』
「え? 茶封筒?」
 優作の目は、思わず百万円の入っていたほうの茶封筒にいっていた。
 優作の不安を見透かしたかのように、依頼人は涼しい声で答えた。
『いえ、そちらではなく、全部が入っていた大きい方の茶封筒でのほうで。持ってくるのは、資料と写真だけでいいです』
「あ? え、いや。それはもちろん、わかっていますよ。ははははは」
 バツが悪そうに優作は照れ笑いをして見せた。電話の向こうの相手が、どんな呆れ顔をしているかは何となく想像はついたが。
 そんな優作の胸中はさておいて、依頼人は話を続けた。
『それでは、ホテルのほうでお待ちしておりますが、そうですね……8時頃までに来ていただけますか?』
 優作は腕時計をチラリとのぞき込んだ。まだ7時過ぎである。すぐに出れば、楽勝で着く。
「わかりました。じゃあ、8時に」
『よろしく頼みますよ。それでは』
 依頼人はそう言うと、電話を切った。
 優作も受話器を電話にかけ直すと、改めて写真を見た。
 写真の少年は、可憐な花のようであり、かわいらしい笑顔を浮かべて友人と談笑しているようだった。
 こんな可愛らしい子が男なんてなぁ。と思いながら、優作は写真を見比べていた。
 何度も写真を見ているうちに、優作は何か引っかかった。
「んん?」
 テーブルの上に、写真を並べてよく見ると、何かおかしい。
 これだけの写真があっても、一枚もカメラ目線の写真がない。しかも、画像のぼやけ具合から、どうも遠くから撮ったようなカンジだ。アングルも盗撮写真にありがちの下から、遠くから、といったものが多い。
 依頼の裏に何かありそうな気がした優作だが、今更後には引けない。
 −−石川町の件は黙っておこう。
 優作は叩かれたほうの頬をなでると、背広を着て帽子を被り、スクーターのキーを持って外へ出た。
 バタン。
 再び事務所のドアが開いた。
「忘れモン」
 優作は例の茶封筒に写真と資料を入れて、再び事務所を後にした。



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