ヤクザ御用達のモグリの病院で治療を受けた英斗と優作は、いったん自宅に帰ることにした。帰り際、もの悲しそうな目で英斗が優作を見つめていたが、優作は帽子を目深に被り、小さくお辞儀をしてきびすを返しただけである。一言も会話を交わすことはなかった。 中華街に戻った足で、すぐに陳大老のところへ寄った。やはり携帯電話は性に合わないと、電話を返す。陳大老は、何やら文句は言っていたが、携帯電話を優作に押しつけるでもなく、部屋から去っていく優作の背中を見守るだけである。 帰り際、林師啓が大きなビニール袋を優作に手渡した。 何かと思って中身を見ると、黒と白の三ツ釦スーツが二着。高山からの依頼を受けた後、割とすぐに仕立てを頼んだものだった。すっかり忘れていた。代金を払うと、優作はスーツを受け取って事務所へと帰った。 明日は白のスーツとお揃いのソフト帽を買いに行こう。のびきった髪の毛も切って。 晴れやかな気持ちにはなれなかった。左肩の骨にはひびが入っており、全治二ヶ月と診断された。しばらくは重労働は避けた方がいいとも言われたが、言いつけを守れる自信はない。 左腕を回す。痛みが走る。 苦痛に顔を歪める優作に、松本が顔を近づけ詰め寄る。 「おい。工藤」 「あ。キスはだめ」 「この……バカッ!」 松本は革靴を脱ぐと、そいつを右手に持って優作の頭を叩いた。頭を押さえて痛がる優作に、松本は怒りも露わに優作の足を踏みつける。優作もまた、先程の青木のようにピョンピョンと跳ね回る。 「け、警察が一般市民に暴力振るっていいのかよぉ」 「誰が一般市民だ! だいたいなぁ、おまえ警官の息子のくせに、ヤクザと飲み歩いたりして、おまえらどういう神経してやがるんだ」 「殴られれば痛い神経……」 優作は靴を脱いで、痛む左足をブラブラさせた。 青木が背後に回り込み、優作のケツを撫でる。気色の悪さに飛び跳ねる優作。 「ちょっ……! なにすんですか! 公然わいせつ!」 「ばーか」 そう言いつつもニコニコした顔のまま、青木は優作のズボンポケットから、財布を抜き出す。 「あっ! 警官がドロボーなんてしていいのかよ!」 「身体検査、身体検査」 ニヤニヤした顔で優作の財布を探る青木。 散歩のつもりだけだったので、財布の中身は二万円くらいしか入ってはいなかったが…… 「おい。これは何だ?」 そう言って青木が優作の財布から抜き取ったのは、ソープランドの優待券だった。 「あっ! それは……!」 慌てて取り返そうとする優作。青木が泳ぐように優作の手から遠ざけると、松本に手渡す。松本は優待券を手に取り、渋い顔を作ってしげしげと見つめる。 「なになにィ? ……<泡泡ランド ノワール ご優待券>だぁ? てめえ、若造のくせに、こんなとこの優待券なんてもらってんのか!」 革靴の一発。頭を抱える優作。口を尖らせて反論する。 「どこで遊ぼうとボクの勝手でしょう。国家権力が、いちいち介入することですか」 「いちいち反論すんな!」 再び革靴の一発。首をするめる。青木がケラケラと笑った。 「しかしアレですね。これであの晩、工藤が川口にいたことがはっきりしましたね」 「くそったれ!」 またまた革靴。ここまでくると、八つ当たりもいいところである。優作は松本を睨むが、松本に睨み返されると、すごすごと後込みをした。 八つ当たりをしまくったせいか、少しすっきりした松本は、ニヤニヤという笑いを作り、優作に詰め寄る。 「なあ、工藤ちゃんよ。二日前、あっちの本牧埠頭であった事件(ヤマ)は、知っているだろ?」 「え、ええ、まあ……。親父から聞きました。何でも大変な事件だったらしいですね」 「とぼけてんの?」 にこにこと笑う松本。眼鏡の奥の目が笑っていない。つられて笑う優作。 「はは……何?」 革靴が優作の頭に炸裂する。 「おまえ、佐藤のこと、知っているんだろ?」 「佐藤……蛾次郎?」 革靴が振りかぶられる。頭を抱えて優作がうずくまるが、今回は叩かれなかった。ほっとしたのも束の間、腕をどけた瞬間に革靴で頭を叩かれる。頭を押さえ、悶え苦しむ優作に、松本が詰め寄った。 「死んだ白虎組の佐藤龍司だ! とぼけんのもたいがいにしろ!」 「し、知りませんよ! そんな人……!」 睨む松本。ビビる優作。刑事二人にやり込められている優作の姿に、ヤクザたちを手玉に取った風情は微塵もない。松本が鼻を鳴らして優作を見下す。 「ふん。まあいいさ。今日は大人しく帰ってやるよ。こいつは証拠物件としてもらっていくぞ」 松本が手でソープの優待券をヒラヒラさせてそう言うと、懐の中に入れてしまった。 「ああー? オ、オレの優待券!」 本気で叫ぶ優作。手を伸ばして取り返そうとするが、その腕を青木がねじ上げる。 「いててててっっっ!」 「まあまあ、工藤くん。ここは、松本さんの好意に甘んじておいたほうが、いいと思うよ?」 本気でねじ上げられたので、たまらなく痛い。怪我をしている左手でなくて良かったと、優作は心底思った。 ねじ上げられた腕を放してもらい、痛そうに腕をブラブラと揺らす。松本は優作に悪態をつきながら、青木はそんな松本をなだめながら、山下埠頭を後にした。優作は帽子を取って、二人の刑事に挨拶をすると、帽子を手にしたまま海に向かって両腕を広げた。 |