「溶けて流れて、ハイそれまでよ」
最近怪奇スポット巡りが熱いです。私の中でかなり熱いです。
暇と車を使える知り合いをとっ捕まえては、常時ネットで調べてある
噂のスポットに来日、ひたすら肝を試して試して、試しまくって満足して帰ってきます。暇です。
I県T市にある某廃病院、T県N市にある自殺の名所と名高いS公園(昼はアスレチックパラダイス、
夜はハッキリ言って樹海です。)アウトドァ色が強すぎて意外に知られてないT県K浜、
しかも自分の母校が怪奇ネットに載ってたのは驚きでした。自殺があったのは知ってたけど。
色々見て廻りましたが、多分某廃病院が一番デンジャーだと思います。
一緒に行った人の中で、ソッチのセンスに恵まれてらっしゃる方々は絶対中に入ってくれませんでした。
解る人には解るのね。私全然解りませんでした。才能無いってある意味幸せみたいです。
しかしデンジャー・廃病院では才能の無い私が、怪奇現象初体験!
誰も居ないところで足音しました。2,3歩で消えたけど。
バケにしてみりゃ早く帰って欲しくて走ってみたのに、
初体験に大喜びした私は丁寧に隅々まで見て廻りました。2階まで行っちゃったりして。
私はソッチの才能は皆無ですが、バケは信じる方です。アンチ大槻教授の人間です。
人間は死んでしまえば体は只のタンパク質です。でも何か、心の様なモノは残ると思います
其れがいわゆるバケと呼ばれるモノであるのなら、何故人間はあんなにもバケを怖がるのでしょう。
同じ人間の思念であるのなら、器が在るか失いかの違いで我々と変わらないでわありませんか。
こんな事を言うのは傲慢かしらん?才能が無いが故に言える幸せな意見なのかも知れません。
でも意思の強さで言わせてもらえば、結構負ける気はしません。 要するに性格悪い奴が死ぬと悪いバケになったりする訳で、 体の有無を無くせば中身のバトルだし。 器が無くなって元の力量に何も加わるモノが無いのなら、ハッキリ言って負ける気しねー。 とか考える訳です。どーせ死ぬならいいバケ目指したいね。 生前好きだった奴守ったりして。たまにちょっと悪戯して写真写り込んだりして、超笑顔で。
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